竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

誤算の加算―FTR100K2021レポート3

2021年11月 20(土)~21(日)日に開催された、第7回 FunTrails Round 秩父&奥武蔵 100K(FTR100K2021)参加記録の第3段です。
37km地点のA4名栗河川広場から、62km地点のA6子ノ権現までを振り返ります。

A4名栗河川広場の裏の河原で、塩むすびとコーンポタージュを食べた旨は前回書きましたが、その後はエイドで振る舞われたMANABARを3種(個人的な好みはパイナップルが一番)、追加で食べてから出発しました。
次のA5ドライブインゆのたは51㎞地点、14㎞の間隔はこのレース最大で、予定ではこの区間に3時間を見込んでいました。
ただ、出発時刻は11:55頃で、予定よりも1時間早く行動できていて、心身にかなりの余裕があります。
フィニッシュの目標は25時間台ですが、24時間台も見えてきたんじゃないの、なんて希望的観測を浮かべながら、前半最大の山場、ゴンジリ(権次入)峠への登りに取りつきます。

名栗からゴンジリ峠までは、棒ノ嶺(棒ノ折山)登山で使う滝ノ平尾根を700m弱登ります。
植林地帯と雑木林の境目に、紅葉がちらほらと見えています。
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こうした秋の風景は美しいのですが、斜度が大きいうえに歩きにくい木の根道なので、精神的にはきつく感じました。
また、滝ノ平尾根は棒ノ嶺からの主要な下山路となっているため、ハイカーとのすれ違いが多くなります。
私たち選手は登りのため、ほとんどのハイカーは道を譲ってくれようとします。
それはありがたいことなのですが、この後何百人か続く選手に逐一道を譲っていたら文字通り日が暮れてしまって危険です。
なので、途中から積極的に先に下りてもらうように声をかけるようにしました。
選手がハイカーの妨げになってはいけません。
きつい登りをダラダラ歩いて詰め切ると、ゴンジリ峠に13:10に到着しました。
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ちょうど40㎞地点のようで、37㎞地点のA4からの登りのみの3㎞ほどに1時間15分かかりました。
悪くないペースだな、この分なら予定通り3時間でA5に入れるんじゃないかな、なんて思っていられたのはここまででした。
ここから誤算が始まります。

ゴンジリ峠から先、小沢峠のあたりまでは、成木の森トレイルラン*とコースが重なっています。
多少のアップダウンはあっても、総じて下り基調で走りやすいのですが、小沢峠から先はエグイの一言でした。
このあたりの山域の特徴なのかもしれませんが、どのピークも立ち上がりが急で、激しい登り下りが何度も繰り返されました。
特に誤算だったのは激下りの連発です。
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こんなのばっかり。
2018年に骨折してから下りが怖くなってしまった私は、こういう激下りで必要以上にスピードを抑えるようになりました。
この区間でかなりの負担を前腿と膝にかけてしまいました。
あと、神経もすり減らしてしまい、こういうのが後々の判断力に関わってくるんですよね。
振り返ればですが、直後にもう一つの誤算が待っていました。
激下りの連発が終わると、お地蔵様のあたりから四十八曲峠という標識を目安に、ようやく緩やかな下りに入ります。
やっと普通に走れる、と、気持ちが緩み始めたところ、山道の途中にトイレが見えました。
寄っていこうかな、と、ちょっと迷ったのですが、この瞬間は快調に走れているのと、A5の近くまで下りてきているのとで、通り過ぎる判断をしました。
このトイレが実際に使えたのかどうかは不明ですが、もし使えていれば直後のA5でのタイムロスを防げたのではないかと思うと、この判断は誤りでした。
四十八曲峠からの山道は途中から沢沿いの道となり、下山してからロードで原市場の街を少し走るとA5ドライブインゆのたに到着します。
ドロップバッグのある51㎞地点、15:23の到着で、A4からは3時間44分かかりました。
予定の3時間では収まらず、44分と大幅に超過です。
完全に誤算ですが、時刻で見ると、元々は16:00到着予定だったため、まだ余裕があります。

51kmのA5ドライブインゆのたはレースのほぼ中間地点で、ドロップバッグのある大エイドです。
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とりあえずドロップバッグを受け取りましたが、山の中でパスしていたこともあり、着替える前にトイレに行きました。
ここにも誤算がありました。
A5には仮設トイレがなく、隣接する公衆トイレを使用しますが、個室が一つのみで、結局15分も並ぶことになりました。
ドロップバッグのある大エイドなので、まさかこんなにトイレが少ないとは、予想もしていませんでした。
スタート会場よりも長い時間並ぶことになり、タイムロスが加算されます。
並んでる間は、こんなはずじゃなかったのにな、やっぱり山の中で行っておくべきだったな…、なんて後悔をずっとしていました。
レース中の精神衛生上はよくないですが、後で記事にするネタにはなりました。
トイレには行けるタイミングで行っておくべきですね。
その後、着替えや補給食の補充、ヘッドライトの装着を済ませました。
今までのFTRではリュックも含めて全身交換していたのですが、今回は上のアンダーウェアとサイクルジャージ、手袋、帽子、靴下、ランニングパンツの着替に留め、タイツは換えませんでした。
リュックの替えは、今回は用意しませんでした。
替え靴は用意したものの今回は履き替えず、テーピングも特に問題ないことを確認して、貼り替えずにそのまま後半に臨むことにしました。
ちなみに防寒装備は、スタート時から背負いっぱなしです。
着替えた後、直近の登り下りで疲労した脚をマッサージしたり、5,6年ぶりに飲んだVESPAの味に色んな意味でびっくりしたり 、ちょっとのんびり過ごしました。
A5には結局1時間ほど滞在し、日没が迫る16:20過ぎに出発しました。
次のA6子ノ権現(2度目)は62km地点、ナイトランが始まる11kmの道のりです。

ロードを少し進んで、トレイルヘッドの周助山の登山口にさしかかります。
木立のなかの直登を、ハンドライトを点灯して、ただ、ヘッドライトは点灯せずに進みます。
ヘッドライトのレッドレンザーNEO10Rは今回がデビューレースでしたが、なにぶん使用経験がないので、バッテリー持続時間の予測ができず、できるだけ点灯開始を遅らせるようにしました。
結局、周助山と登戸のピークを過ぎて、ある程度走れる道になった辺りでヘッドライトも点灯しました。
17:00を、少し回った頃だと思います。
明るさ250ルーメンのモードならばスペック上は15時間点灯できるとのことなので、それで一晩過ごすことにしました。
その後は登り基調の細かいアップダウンが続きますが、基本的には走ることができるトレイルで、かつ、途中からよいペースで走る2人組の選手に引っ張ってもらうこともできて、順調に進むことができました。
ただ聞こえてくる会話から、そのお二人ともサブスリーランナー(しかも一人はいわゆるサブエガ)のようで、とすると、このペースは私にとっては速過ぎなのではないかという不安を覚えました。
途中、豆口峠近辺の下り階段で頭から出血した選手が救護スタッフの手当てを受けている現場に遭遇しました。
大事に至ってはいなさそうで、その点よかったと思いました。
また、自分を省みて気を引き締めます。
結局、A6に到着するまでサブスリーのお二人に引っ張ってもらってしまいました。
お二人の会話には参加する気持ちの余裕がなくて、ただ黙って後ろにくっついていっただけで、何のお礼もしていません。
この場で感謝申しあげます。
たぶん、余裕がなかったということは、オーバーペースだったということですね。
ちょっと背伸びしてしまいましたか。

そんなこんなで、到着した62km地点のA6子ノ権現(2度目の)には、赤いきつねが待っていました。
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ロングレースで食べる温かい食べ物って、本当に嬉しくて、心が落ち着きます。
美味しゅうございました。
ここA6には18:48に到着、A5からは2時間30分弱かかりました。
2時間のラップタイムを想定していたので、そこからは30分の加算です。
しかもオーバーペースだったのに。
誤算が続いています。
ただ予定時刻で考えると、19:00に出発すれば、レース前に考えていた当初のものと同じになりす。
A4~A5間で44分、A5~A6間で30分弱の加算を経て、当初の予定に戻り、25時間台の完走が目指せます。
この時はそう思えていましたが、この直後、その目算が激甘だったことを思い知らされます。

A6子ノ権現は、レース当初の予定通り、19:00に出発しました。
誤算を重ねてタイムをだいぶ加算してしまいましたが、何とかトントンで済んで、最初の予定に戻りました。
残りの道のりを当初の予定通りに進めば、目標の25時間台のフィニッシュが見えてきます。

次の目的地は7km先の69kmA7東吾野、ここからは「エグイ」でおなじみの飯能アルプスに入ります。
ただ、私の飯能アルプスのイメージは、これまで出場してきたFTR100Kでは40km過ぎから始まって、前半の山場ではあるもののまだ体力気力ともに余裕があって、しかも明るい時間帯に通る区間でした。
なので、そこまで激しくエグイというイメージはなかったのですが、その固定観念が清々しいまでに崩壊しました。
でもその清々しさは、完走後に振り返る今だからこそのもので、レース中は「こんなはずじゃなかったのに」とずっと思ってました。
そんな私の、こんなはずじゃなかったのにStory(往年のセイン・カミュ風に)は、また次の機会に。