2021年11月 20(土)~21(日)日に開催された、第7回 FunTrails Round 秩父&奥武蔵 100K(FTR100K2021)参加記録の第4段です。
62kmA6(2度目の)子ノ権現から、90kmA9(2度目の)刈場坂峠までの夜道を進みます。
19:00頃にA6を出発、レースは5:00スタートなので、この時点で14時間経っています。
出発時に、A7から先の街中走行時にヘッドライトの無期を下向きにするよう、注意喚起がありました。
住民や警察からライトが目に入って迷惑だという苦情が、大会本部に多数寄せられていて、最悪の場合は今後の大会開催ができなくなるかもしれないとの趣旨でした。
それは重大な事態なので、十分注意して対応したいと思います。
さて、ここから106kmのフィニッシュまで残りは44km、12時間はかからないだろうから、目標としていた25時間台のフィニッシュは固い、そんな希望的観測を持っての出発でした。
その後5kmも進まないうちに、その希望的観測は打ち砕かれるのですが。
エグイでおなじみの飯能アルプスとはいえ、子ノ権現から通過に注意を要する岩場付近までは、比較的穏やかなアップダウンでした。
岩場ではスタッフの方から65km地点というコールがありましたが、実際には63~64kmくらいだったと思います。
トレランあるある的なもので、コース上のスタッフが正確な距離を把握している確率は半々くらい、というのが私の相場感です。
例えばハセツネのように、長年固定されたコースで開催されるレースであれば間違えることはほぼないのですが、コースが変わってしまうと対応は難しいと思います。
実際、過去のFTR100Kでは、当該の岩場は40kmを少し過ぎた辺りで通過する場所で、今回のように20kmも変わってしまえば、対応は難しいと思います。
そして、1,2km違ったからといって大した違いではないはずです。
しかし、このコールが後々、私の周囲で思わぬ形で波紋を呼ぶことになります。
岩場から前坂に向かう辺りから、飯能アルプスが本性を現してきました。
一つひとつのアップダウンが、急で長くなります。
かつてのFTRでは経験したことのないキツさを感じました。
過去のFTRでそこそこ大丈夫な感覚があったのは、40kmちょっと過ぎのまだ元気のある身体で臨めたからであって、60kmを越えてきた身体は、飯能アルプスのエグさに悲鳴を上げています。
また、明るい時間帯に通るのと違い、暗いと一つひとつのアップダウンの大きさが見えません。
そうするとそれぞれに要する時間の見当がつけられないので、精神的にも余裕がなくなっていきます。
疲れと見通しの悪さに加えて、この区間はマーキングが非常に少なく、私の周囲でロストしているのではないかと不安になる選手が相次いでいました。
もちろん私もその一員です。
先ほどの「65km」コールもここで響いてきます。
今回のレースでは5kmごとに距離表示がされていたのですが、65kmコールの後、その距離表示が出てきませんでした。
ずっと手前だったから当然といえば当然なのですが、知る由もないその時点では、ロストの不安に拍車をかける要素でしかありませんでした。
コース上の選手達の心はざわつきます。
「このコースで合ってるんですか?」
そんな質問もされましたが、私はただの選手に過ぎず、かつ、同じ不安を持つ仲間です。
「信じて進みます」としか答えられませんでしたが、他に答え様があったのでしょうか。
その7,8分後くらいに、一人旅状態となって進んだ先にマーキングテープがあったので、背後の闇に向かって「テープありましたよ」と叫びましたが、その声は届いたのでしょうか。
他の大会(ハセツネ)でスタッフをした時には、大体2~300mに一つの頻度でマーキングするように言われていました。
この大会では、この後の区間も含めてマーキングの数が足りていない気がします。
夜間に出会うマーキングは、選手の精神安定剤の機能も果たしています。
もっと増やしてほしいですね。
ロストの不安を抱きながら、延々続くエグイアップダウンを乗り越えると、やっとのことで大高山に到着、本当の65kmを通過します。
A6から3km進むだけで、かなりの時間と体力を使ってしまいました。
特に脚の疲労蓄積が一気に加速した感があります。
目標達成が、怪しいどころか、もうヤバイです。
でも、きちんと距離表示があったことでひとまず精神的には落ち着きが戻りました。
しばらくして、やっとのことで飯能アルプスのラスボス、天覚山にたどり着きます。
山はエグイが夜景はキレイ。
だからと言ってごほうび気分にはひたれず、とにかく早く飯能アルプスを抜け出したい一心で、これまたエグイ下りを身体に鞭打って進み、69km地点のA7東吾野に転がり込みます。
A6からの7kmで、2時間53分かかりました。
この区間の想定タイムは2時間にしていたので、ほぼ1時間遅れです。
時刻は22:00少し前、スタートから17時間ほど経っています。
残りは37kmですが、脚が売り切れた感じが強くて、8時間を切って進める気に全くなれません。
目標の25時間台のフィニッシュはここであきらめました。
こんなはずじゃなかったのに。
FTRがヤバイレースになっている、そう思い始めたのはこのエイド滞在中でした。
ヤバイよヤバイよ、出川哲朗的なヤバイよだよ。
新生FTR100K、全国の変態系トレイルランナーの皆様に心よりお勧めいたします。
それでも、A7東吾野は短時間の滞在で済ませて、23時には出発しました。
次のA8高山不動は82km地点で間隔は13km、しかもほとんど登り基調の道のりです。
レース前の想定ラップは3時間半でしたが、脚も売り切れ、気力も売り切れ寸前ということで、4時間半~5時間に変更します。
とにかく完走できればいいのです。
気持ちを切り替えた矢先、出発直後の街中で迷う羽目になります。
ここもマーキングがわかりづらかったのですが、後で合流した選手から妙な噂を聞きました。
曰く、大会の開催に怒った住民がマーキングを撤去してしまったらしい。
A6での注意喚起に従ってヘッドライトはオフにしていたのですが、まさかそこまで深刻な事態になっていたとは露知らず、ヤバイよこれは、と、レース中には思っていたのですが、その後どうなったのかは、知る由がありません。
その噂が事実でなければよいのですが。
東吾野からはまずユガテの集落に向けて登ります。
ユガテから先、A10までは過去に参加したFTRと同じコースをたどるので、幾分か気が楽になります。
そんなはずでしたが、この区間でもマーキングの少なさや見えにくさに悩まされました。
しかも、時刻が深夜に差し掛かってきたことに加えて、前日の夜によく眠れなかったこともあり、強めの眠気ににも苦しみ始めました。
しかもオーバーナイトのレースが久しぶり(前回はFTR100K2016なので5年ぶり)で、耐性がなくなっていたのでしょう。
ただ幸いしたのは登り基調の区間だったことで、最悪転んでも、登りならば大したケガはしないだろう、そんな妙な割り切りと覚悟を共に、睡魔と戦いながら前進を続けます。
それでも、マーキングの見えにくさには本当に参ってしまいました。
顔振峠の少し手前にある神社では、同じペースで進んでいた選手7,8名と一緒にコースから外れて拝殿の方に迷い込んでしまいました。
テープはあるのですが、選手からは見えにくい位置に付いています。
また、眠気にも断続的に苦しんでいて、ていうか、この日の眠気はヤバイです。
あまりにもヤバイので、顔振峠到着時にとうとう仮眠をとることにしました。
リュックのフラップポケットに差し込んでいた防寒用のホワイトランニングジャケットを着込んで、峠道の街灯の明かりが届かない所でうずくまって丸くなります。
さすがに寝転んではいませんが、リスかなんかの冬眠スタイルに近いのでしょうね。
3,4分軽く寝て、というか寝た気になってから、再出発しますが、ここから八徳へのトレイルの入り口が見つからずに、レストハウスの駐車場に迷い込んでしまいました。
ここも、マーキングテープはあっても、位置が見えにくくなかなか見つけられませんでした。
また、八徳へのトレイルは基本的に一本道なのですが、マーキングが全くといっていいほどなく、ロストの不安にかられた選手が引き返してくるなど、軽い混乱が起きていました。
一本道だからといってマーキングを減らすと、選手が不安になります。
ここでは私の前を走る選手が「テープありました!」と大声で教えてくれました。
ありがたいことです。
そこから伝言ゲームのように声をつなげて、なんとか事なきを得ました。
個人競技で起きる突発的なチームプレーには、トレランでは意外と高頻度で出会いますが、いつも心に迫るものを感じます。
こういうのがいいんだよな、なんて、少し心に温かいものを抱きながら下りトレイルを走っていきます。
やがてたどり着いた八徳の集落は、高山不動への登り口に当たります。
ここから高山不動へはかなりの急登ではあるものの、距離は短いので、あと一踏ん張りです。
山道を登り終え、本堂への急階段を登り切り、境内のトイレに寄ってから、もう少しだけ登った先の開けた場所の82km地点、A8高山不動にたどり着きます。
時刻は2:05、A7からの13kmのラップタイムは4時間23分、想定内で済んでほっとしながら、バナナで腹ごしらえを済ませて、ストーブで暖を取りつつ、軽く寝ます。
(C)FunTrails #FTR秩父奥武蔵100K30K
寝起きの後ろ姿が公式サイトにアップされていたのは、まあお恥ずかしい限りなのではあります。
ただ、レース中の後ろ姿の写真って妙に嬉しいものがあり、オールスポーツで見かけるとたまに購入します。
こういう機会でないと、自分の背中を自分で見ることはないですから。
貴重な機会です。
それにしてもこの猫背はどうにかならんかな。
さて、軽く眠気を払ってからA8を2:24に出発します。
見送りのキャンドルサービス。
このキャンドルランタンの演出には、2015年の第1回のFTRで始めて出会ってから、出場する度に楽しみにしていて、かつ、勇気付けられています。
惜しむらくは今回、A8のかなり前からキャンドルランタンが置いてあり、まだ着かないの?と思いながら進む時間が長かったことでしょうか。
エイドの手前300mくらいから始めるのが適当かな、なんて、不遜にも思います。
次のA9(2度目の)刈場坂峠は90km地点で間隔は8kmと短いのですが、いい加減疲れているので、ラップタイム2時間の想定で行くことにします。
エイドを出た直後、関八州見晴台への道を登り始めたところで、また強烈な眠気がやって来ました。
出発して5分も経っていないのに。
またジャケットを着込んで切り株にうずくまります。
3分ちょっと、寝た気になってから再出発しますが、その後もちょくちょく睡魔が襲ってきます。
そしてついに、関八州見晴台を過ぎた先のフラットなトレイルで走っている最中に、意識が飛びました。
ほんの一瞬だったのですが、ちょうど小さな段差のタイミングで左足の着地に失敗し、膝を軽く捻りました。
捻りの程度はごく軽かったので、歩く分には問題がなかったのですが、走ると軽い痛みを覚える程度には痛んでいました。
本当にヤバイ。
その先は走らない、特に下りは絶対に走らないことに決めて、速歩の一択で進んでいきます。
この辺りは奥武蔵グリーンラインのロードと、並行するトレイルを出たり入ったりする区間です。
マーキングは相変わらず少なく、心細い思いで進みますが、時折前後する選手がいると心強くなります。
ロードを3人くらいで固まって歩いていたところ、前から走ってきた自動車のドライバーに、いきなり声をかけられました。
「いったい何をやってるんですか!?」と結構なビックリ顔で尋ねられたのですが、「トレランのレースですよ」なんて軽く返事をすると、「ヘエーッ!」と一声、輪をかけたようなビックリ顔でそのまま走り去っていきました。
まあ、夜中の3:00を過ぎた山中のロードをひた歩く集団は異様というか異形というか、そう見えるのは仕方ないのですが。
でも、そっちこそ夜中の山道でなにやってるの?って話ですよね、なんて一緒に歩いていた選手と話しながら、ひた歩きます。
本当になにやってるんでしょう?
この先、A9まで、コース脇で軽く寝てからまた歩きだすというのを何度か繰り返します。
ヤバイくらい眠いのです。
ただ、標高が800mほどはある高所で体温が下がるのを避けるため、1回の仮眠が3分を大きく超えないように努めました。
そんなこんなで90km地点、A9刈場坂峠に到着します。
暗闇に浮かぶエイドステーションは、まるで宇宙ステーション。
そんなことないか。
到着時刻は意外と早く4:00ちょうど、ラップタイムは1時間35分くらいでした。
走れなくなって歩いていたのに、眠くて寝まくっていたのに、なんでこんなに早いのかなと、少しは考えましたが、睡魔に侵された頭ではろくに答えが出るはずもありません。
必要なのは分析ではなく仮眠です。