竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

竹仙坊骨折抄2018年4月10~23日入院生活編

あきる野市の馬頭刈尾根で転落して左上腕骨を骨折し、入院して手術した話の続き※です。
*事故編
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/04/22/063505
**搬送編
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/05/05/091433
***入院治療編
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/05/21/125130
今回は入院中の生活についての備忘録です。

入院生活のタイムスケジュールは、基本的には以下のようなものでした。

6:00 起床
7:00 朝食
7:30 薬
8:30 掃除
9:00 バイタルチェック(体温・血圧測定など)
10:00 シャワー(2日に1度)
11:00 回診
12:00 昼食
12:30 薬
13:00 バイタル
14:00 リハビリ
17:00 バイタル
18:00 夕食
19:00 薬
21:00 消灯・バイタル

健全な時刻に寝起きする規則正しい生活です。
このスケジュールで14日間過ごして退院した直後は、夜更かしの私が22時には眠くなる体に変わっていました。
上記は一番忙しかった日のスケジュールで、バイタルの回数は日によって異なりました。
掃除、回診、リハビリ以外の全ての項目の担当は、看護師さんたちでした。
外傷の病棟だからか若い人ばかりで、私よりも年上だと思われる看護師さんは一人もいませんでした。
あくまで私の印象ですが、その誰もが誠実に仕事をしていたと思います。

しかし、スケジュールはそれなりに詰まってはいるものの、入院生活は基本的に暇でした。
合間の時間にやることがないのです。
そういう時の暇つぶしは、病院中をふらつくに限ります。
読書にはすぐに飽きてしまったので、それ以外にやることがありませんでした。
私がやっていたのは、1日2本の1階から病棟のある10階まで階段で昇るトレーニングを軸に、日に何度も6,7階の休憩スペースや空中庭園を散歩することでした。
とにかく歩数を確保して、脚力を極力落とさないようにしたかったのです。
そんなことをしていたので、病棟を抜け出していることが多く、看護師さんに電話で呼び出されたこともありました。
その時は階段トレーニングを終えて、ちょうど階段室の目の前にあるナースステーションの前に出たところでした。
お互い電話を持ったまま半笑いで見合ってしまって、決まりの悪いやら何やらでなんだかなあな気持ちになりました。
他にも、自分の気づかないところで迷惑をかけていたかもしれません。
でも、それが仕事とはいえ、人に世話をしてもらえるのは有り難いものです。

私が入院したのは外傷患者専門の病棟で、交通事故やスポーツ中の事故などで外傷を負った患者さんしかいませんでした。
しかも、重症(重傷?)な方が多く、少なくとも私が入院していた間は、私よりも軽症の患者さんはいなかったのではないかと思えるくらいでした。
足をケガしたわけではないので自由に歩き回っていましたし、顔などの人目に触れるところには擦り傷一つ負っていませんでした。
手術に伴う痛みはあったものの、痛みは他人には見えないものです。
包帯を巻いてわかりやすく痛々しい姿をしていたのは術後2日くらいで、それが外れてからは、何が悪くて入院しているのかわからないような患者になっていました。
そういうときに改めて、左腕を骨折した「だけ」で済んだのだなと思っていました。
不幸中の幸いを強く感じていました。

折った「だけ」で済んだとはいえ、利き腕ではないとはいえ、左腕が自由に動かせないことには相応の不便があります。
そんな入院生活で一番役立ったのは、上司が差し入れてくれたハサミでした。
しばらくは左手でものを押さえられなかったので、手で食べ物の袋を開けるのがとても困難でした。
しかし、ハサミがあれば大丈夫。
文明の利器とはこういう状況で使う言葉なのでしょう。
そして、ハサミこそ文明の利器でありますと声高に表したいくらい、その偉大さを再確認しました。
誰かのお見舞いには必ず持っていこうと思います。

入院中、特に手術の前後はこんな服装で生活していました。
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入院したのが帝京大学病院なので、帝京大学ラグビー部のTシャツを着ていました。
このシャツは元々友人Bさんが大学ラグビーの観戦の際にもらってきたものでしたが、私の入院衣装として提供してくれました。
ラグビーをしていたことがある私はラグビー観戦が好きで、大学選手権9連覇中の帝京大学には特に注目しています。
ただ、今年は明治大学が強そうですね。
10連覇には期待していますが、果たして。
実はこのTシャツ、正面からはわかりませんが、左側がバッサリと切り開かれています。
頭と右袖を通したら、左肩にかけるだけで済みます。
痛む左腕を動かさないでシャツを着るために編み出した苦肉の策でした。
左側はがら空きのため、そのままだとお腹が寒いので腹巻きを巻いています。
お医者さんや看護師さんは、このシャツを見て「え?帝京の?どうしたのこれ?」と半笑いで聞いてきましたが、私が同じ立場でも半笑いになったでしょう。
ともあれ、腹巻きとの併用で非常に快適なスタイルとなりました。
他には甚兵衛も役立ちました。
腕を動かせないくらいのケガをした際にはおすすめです。

暇つぶしとトレーニングのために始めた散歩でしたが、途中から別の楽しみが加わりました。
帝京大学病院の空中庭園には色々な花が植わっていて、その様子を見に行くのが楽しみになったのです。
毎日花を見ていると、日毎の変化や、朝夕の表情の違いなどが見えてきて、なかなかの暇つぶしになりました。
名前の知らない花の写真がたくさん増えてしまいましたが、これもよい思い出なのかもしれません。

あの日見た花の名前を私はただ知らないシリーズ
in帝京大学病院空中庭園

黄色い花
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白い花
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何かの実
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もう一つ白い花
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一番気に入っていた黄色い花
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また、私の病室からは富士山が見えました。
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富士山を見ることができる部屋に住む(?)のは、千葉市の元の実家以来で、多分21年ぶりのことだと思います。
特に、夕暮れと富士山の組み合わせはなんだか贅沢に感じました。
ノスタルジーのせいもありますが、UTMF/STYのことを考えながら見つめる富士山には、なんだか切ないものを感じました。
本当ならば、STYに出場する友人Bさんのサポートをする予定でしたが、それがこの骨折のせいでできなくなりました。
不可抗力とはいえ、大事なときに役に立てない歯がゆさを感じていました。
ただ不思議なもので、そうした気持ちも、富士山を見ていると自然と緩んできてしまいます。
不幸中の幸い、左腕が骨折している「だけ」で、意外に元気でいることができています。
それだけでもよくない?
そんな問いかけを受けているように思えました。
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富士山が見えなくなると、どこかの山塊に沈む太陽を見ていました。
こういう時間がとても心地よかったです。
私が心身ともに快復して山にまた行ける日が来るのかどうか、退院して一月以上経った今この時点でも定かでないのです。
でも、山の見える風景は入院中でも心のオアシスでした。
いつかは、なるべく早く、山に戻れるようになれればよいのですが。
じっくり行ければよいなと思います。