竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

竹仙坊骨折抄2018年4月7日事故編

2018年4月7日(土)、トレラン中に左上腕骨骨幹部骨折をしました。
現在入院中ですが、手術を終えて痛みも大分落ち着いてきました。
チタンプレートが左上腕骨に入っていて、なんだか強化人間になったような気分です。
退院も間近となってきたため、備忘録として、事故と搬送など当日の経過をまとめておきたいと思います。

事故現場はあきる野市の馬頭刈尾根です。
高明神社の跡地先の分岐から、瀬音の湯方面へ下っている途中でした。
ちなみに、神社の跡で撮った花の名前を僕はまだ知らない。
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入院中どうせ暇なんだから調べればいいのですが、暇ゆえのスマホ使いすぎで通信制限がかかってしまい、簡単に調べることができなくなってしまいました。
いつ知ることになることやら。

この馬頭刈尾根から瀬音の湯に抜ける山道は今まで通ったことがないため、それなりに慎重に下っていました。
しかし、斜度がそれなりにあるのと、路面が細かく砕かれた枯れ落ち葉に覆われていて、着地の足場に不安定感がありました。
また、この日は集中力が途切れ気味だったのもよくなかったかもしれません。
事故が起きたのは、分岐から10分弱下ったあたりでした。
それなりに急斜面で段になるような下りだったと思いますが、右足が何かにつまづき、少し体重が前にかかりました。
とっさに左足を地面に下ろして両足着地になったのですが、その左足が枯れ落ち葉(乾燥していました)を踏んだためにスルッと流れてしまったのです。
その瞬間、前のめりになっていた身体が左側を下にして横倒しになりました。
運が悪かったのは、私がいた場所が一段高くなっているところだったことでした。
単純な転倒ではなく、転落に近い転倒だったため、勢いが強かったのです。
横倒しになるときに手を着こうとして伸ばされた両腕が、ちょうどバンザイしながら前のめりになっているような形だと思いますが、山道の脇にあった岩の上を通過するのが見えました。
高さがあったので、低い位置にある岩をつかめなかったのです。
その次に左側から視界に入ってきた立ち木に、左腕の二の腕を強打しました。
地面に落ちたとき、左腕が目の前にだらんと横たわっているのが見えました。
その瞬間「折れたな」と思いました。
痛みを感じるよりも折れたという認知の方が早かったと思いますが、その辺は科学的に正しいかはわかりません。
折れたと思ってから、じわじわと痛みを感じていきましたが、この痛みが人生最大に激しい痛みでした。
本当に、一生のうちに骨折の痛みを経験しないことだけでも幸せな人生なんじゃないかと思うくらい、とてつもなく痛かったです。
骨折なんてするもんじゃないです。
本当に痛いんだから。
まだ骨折したことのない人が、このまま一生骨折しないことを願っています。

さて、骨を折って痛くて仕方がないのですが、ここで転がり続けていても仕方がないのです。
一刻も早く下山してなければなりません。
足はなんともなかったので、とりあえず自力で歩いて、下山してから助けを求めることにしました。
同行していた友人Bさんがテーピングテープで二の腕をぐるぐる巻きにしてくれました。
事故発生から下山開始まで、2,3分くらいしかかからなかったと思います。
左手には握力があったため、シャツをつかんで固定しながら歩き出しましたが、一歩一歩の衝撃と揺れで、患部は絶えず痛んでいました。
途中でBさんが手拭いで固定してくれて、さらに杖をつくようにアドバイスしてくれました。
探せばあるもので、杖に適当な枯れ枝がすぐに見つかりました。
Bさんの先導で山道を20分弱下ると、軍道のバス停に繋がる車道を、山道が陸橋で越える地点にたどり着きました。
その少し前から人家と外に出ている人が見えていたのでそれを目指して歩いていたのですが、実際に車道に下りられたときには一安心しました。
Bさんは突然の事故に驚いてはいたと思いますが、下山時の行動は的確で私はただ着いていくだけでよく、頼りになりました。
一緒にいてくれて本当によかったと思います。

Bさんが助けを求めてくれたところ、そのご夫婦は大変ご親切に対応してくれました。
ご自宅に上げてくれて、通報のために電話を貸してくれたり、保温のために上着をかけてくれたり、突然現れた怪我人に対してとにかくご親切でした。
快復したらぜひ御礼に参上したいと思っています。

通報から15分ほどで、たまたま近くにいた檜原村の救急隊が駆けつけて来てくれました。
ご夫婦のお宅は山里なので、現場のあきる野市の救急隊でも、近くにいなければ30分はかかるような話を聞いていたので、到着が思いの外早く、とても嬉しかったです。
ここから八王子市の高月整形外科に搬送されますが、それはまたの機会*にまとめたいと思います。
*搬送編
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/05/05/091433

それにしても、後から考えれば不幸中の幸いというのはいくつもあるものだなとつくづく思います。
今回の場合は受傷時に頭を打たなかったこと、これが最大の幸いだったかもしれません。
恐らく、左腕が前に伸びていなかったら、頭から木にぶつかっていたのではないかと思います。
そうなっていたら、下手をすれば命の危険があったわけで、そうでなくとも今こうして徒然なるままに体験を書くことはできていなかったのだと思います。
左腕が頭を守ってくれたと考えてよいでしょう。
また、足がなんともなかったことも幸いでした。
自力で歩いて下山できたから、早く救急車に乗ることができたのだと思います。
落ち葉で足が流れて倒れたので、捻挫くらいしててもおかしくはないのですが、すねの擦り傷ですみました。
また、折った左腕も神経の損傷がなかったため、左手が骨折した当初から自由に動いていたのが幸いでした。
握力が維持できてシャツを掴むことができたので、患部の固定を下山中にし続けることができました。
そして、自力で歩いて下山できたこと、今回の不幸中の幸いとはこれに尽きるのかもしれません。
他にも下山した先のご夫婦がとても親切な方々だったこと、たまたま近くに救急車が居合わせたこと、これらも不幸中の幸いです。
私には、いわゆる「ポジティブシンキング」を称揚する傾向をよしとしない志向があり、これまで挙げてきたこともポジティブシンキングの文脈で考えて挙げたわけではありません。
無理矢理ポジティブに考えているわけではなく、骨折した後の出来事が上手く運んだことを純粋に喜んでいるのです。
一連の不幸中の幸いをたどった先に、自分自身の今があること、自分がここにこのような形で存在ができていること、それが嬉しいのです。