竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

竹仙坊骨折抄2018年4月7日搬送編

2018年4月7日にあきる野市の馬頭刈尾根を瀬音の湯方面に下っている最中に転落し、左上腕骨骨幹部骨折をしました。
事故から下山までの経過は以下にまとめてあります。
*事故編
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/04/22/063505
ここでは、下山後に救急車で搬送された病院で応急処置を受けてから、自宅近所の大学病院に「再搬送」された経緯をまとめたいと思います。

下山したのは地名で言えばあきる野市養沢で、乙津浄水場の至近にあるお宅に助けてもらいました。
同行していた友人Bさんが電話を貸してもらい救急に通報、たまたま近くにいた檜原村の救急隊が10分ほどで駆けつけて来てくれました。
この辺りは時間がかかるときには通報から30~40分かかることがあると聞いていたので、これは運が良かったとしか言いようがありません。
救急車に乗り込んでから搬送先を決める際、ケガの状況を色々と聞かれました。
救急隊にとっては、頭を打ってるか打ってないかが最も重要な情報のようで、2,3回確認された記憶があります。
幸い頭は打っておらず、大きな出血もなかったので、1秒を争うような状況ではありませんでした。
救急隊が選んでくれた搬送先は、八王子市の高月整形外科病院でした。
この病院はその名の通り整形外科の専門病院で、救急診療も積極的に行っているところでした。
また、東京手の外科・ スポーツ医学研究所という施設も併設して力を入れていて、腕を折った私が搬送されるにはうってつけの病院でした。
私の状況から、救命センター的な所に行く必要がないと判断されたのでしょう。
そこから、一番ふさわしい病院に搬送しようということだったのだと思います。
私は大人になってから救急搬送されたのは初めてでしたが、救急隊の仕事を目の当たりにできてよかったと思います。
私の搬送にあたってくれた檜原村の救急隊の方々は、親切な上にテキパキしていてかつ丁寧な仕事ぶりで、とても好感の持てる方々でした。
ありがとうございました。

搬送された先の高月整形外科病院でも頭を打ってないか確認されました。
確認が終わると、救急スペースのような所でしばらく待機することになりました。
ここまでは、左上腕骨を折った「みたい」という仮定のもとに行動してきましたが、病院では診断を確定し処置を受けなくてはなりません。
診断のためにはレントゲンを撮らなくてはならないのですが、これが一番の苦痛でした。
効果的に撮影するためには左腕を動かさなくてはならないのですが、動かすとひどい痛みが体を走ります。
けっこう大事なことなので二度言いますが、一連の診療の流れのなかでレントゲン撮影が一番の苦痛だと思います。
思わず涙が流れてしまっていたのですが、放射線技師の方が「痛いですよね。ごめんなさい」といたわりの言葉をかけてくれたことが心に沁みました。
まあ、いたわってくれても痛みは和らがないのがどうしようもない現実なのですが…。
また、この病院では看護師さんの仕事ぶりに感心してしまいました。
処置の間に担当してくれた方は、テキパキの3乗くらいのスピード感のある仕事ぶりでした。
患者対応も付き添いのBさんへの助言も、非常に的確なものでした。
ストレッチャーに寝転がりながら、プロフェッショナルってこういう人のことを言うんだろうな、なんてぼんやり考えていました。
高月整形外科病院では、救急対応、診断、その後のギプスシーネによる固定と、総勢3人の医師による診療を受けました。
患者も多く忙しい時間帯だったと思いますが、丁寧に診てもらえたのではないかと思います。
15時過ぎにケガをしてからギプスで固定するまでで2時間くらいだったでしょうか。
鎮痛薬とギプス固定のおかげで大分落ち着いてきました。

高月整形外科病院では、応急処置の後に、恐らく入院と手術が必要になるのではないかという予想を医師から告げられました。
そのまま入院という選択肢もあったのかもしれませんが、何分自宅から遠いこともあり、自宅近くでの再診をすすめられました。
紹介状をもらって帰宅ということになるのですが、先の看護師さんから誰でもいいから車で迎えに来てもらった方がよいと強く勧められました。
こういうことを頼める友人は、私にはAさんしかいません。
私は痛みでぐったりしてて動けないので、BさんにAさんに連絡してもらいました。
Aさんは快く引き受けてくれて、車を飛ばして奥さんと一緒に駆けつけて来てくれました。
本当にありがたかったです。
また、遠慮していた私たちを半ば強引に説得してくれた看護師さんにも頭が下がります。
Aさんの車で、高月整形外科病院を19時ごろに出発しました。

当初は自宅に帰るつもりでした。
高月整形外科病院でも、応急処置はしてあるので週明けに近所の病院に行けばよいとのことだったので、とりあえず帰宅しようと思っていたのです。
ところが、Aさんと奥さんに、まだ何があるかわからないからこのまま近所の病院にいった方がよいとのアドバイスをもらって、方針を変更しました。
このアドバイスが、後の治療の進展に良い影響を与えました。
Bさんが私の近所の病院を調べてくれたところ、大学病院に自宅からバスで10分ほどで行けることがわかりました。
そのアクセスのよさが決め手で、帝京大学医学部附属病院に送ってもらうことにしました。
こうして再搬送された帝京大学病院で再度診察を受けました。
レントゲン撮影の苦痛も再度味わいました。
それはもう仕方がないのはわかっていますが、骨折に関する診療行為で一番痛いのはレントゲン撮影である、これは声を大にして言いたいと思います。
帝京大学病院の医師からも、恐らく手術が必要になると再度言い渡されました。
次の火曜日に方針を確定させるので、入院の準備をして来院してほしいとのことでした。
全てが終わって帰宅したのは23時を過ぎていましたが、治療の予定が決まったことには安心感がありました。

私の入院した帝京大学病院には外傷センターという外傷専門のユニットがあり、特に救急的な外傷による骨折の手術経験が豊富です。
ただ、再搬送されたときはこのことを全然知りませんでした。
後で詳しく調べ直した際、図らずも適切な病院を導かれるように選択していたことに、何とも言えない運のよさを感じました。
Aさんと奥さんのアドバイスがなければ、そのまま帰宅していて治療の開始が遅れるところでした。
Bさんが調べてくれなければ、結果的にとはいえ適切な病院に行くことができませんでした。
この3人には感謝しています。
そして、不幸中の幸いというのは至るところにあるのだなと改めて思います。
私の経験が普遍的に正しいものであるとは思いませんが、一つの不幸中の幸いの事例として記録しておきたいと思います。

以上のような経緯で、帝京大学病院に入院して骨折の手術をすることとなりました。
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帝京大学病院はラベンダーが花盛りで、富良野の風景を思い出させられました。
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まあ、富良野には行ったことがないので、絵葉書的なあの風景ですが…。
帝京大学病院はきれいな病院で、その点、入院生活は快適でした。
手術*と入院生活**については、また別の機会にまとめたいと思います。
*入院治療編
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/05/21/125130
**入院生活編
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/05/29/201648