竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

『鹿の王』(著・上橋菜穂子)ー読書感想文2021白露

新暦の9月7日頃から秋分までの期間を、二十四節気では白露と呼ぶということを、さっき検索して初めて知りました。
新暦とか二十四節気という言葉を使うことすら、人生で初めてかもしれないくらい旧暦の感覚で生活したことのない私ですが、近年の激烈残暑とは異なる今年の寒々しい9月初旬を過ごしていると、白露という文字から感じる冷涼感が肌身に沁みてきます。
そんな白露な昨日、『鹿の王』の文庫版全四巻を読み終えました。
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映画「鹿の王 ユナと約束の旅」の原作です。
元々『精霊の守り人』シリーズからファンになった著者ですが、次に何を読むか迷っているうちに何年か経ってしまっていて、ようやく先月から読み始めたのがこの小説でした。
獣の奏者』とどちらかで迷っていたのですが、映画化されるという帯広告を書店で見たのがきっかけです。
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ちなみに、帯に9月10日と書いてある公開日ですが、COVID-19の影響で延期になったそうです。
映画になって評判が高まると入手が困難になるので、早めに読んでおきました。
本当に大雑把に言えば、疫病を巡る感染者である庶民と為政者に近い医療者の物語ですが、COVID-19が猛威をふるっている現在、手離してはならない基本的な考え方を思い起こされる本でした。

物語の詳細には触れませんが、最終巻で、主人公「欠け角のヴァン」が回想する父親の言葉と、それを理解した上で、ヴァンが自分の行いを決断してゆく過程に、深く考えさせられるものがあります。
「才というのは残酷なものだ」
物語の鍵となる「鹿の王」という存在に象徴される、英雄的な行為が出来る者、出来てしまう者の生命のあり方に哀しみとその不条理さに怒りを覚えていた父親。
出来てしまう者になってしまった自分自身。
「全身全霊で欲していた時には持たなかった力を、いま、持っている」
図らずも力を持ってしまった自分自身は、どのような行いを為せばいいのか。
どのように行いを為すべきなのか。
そんな問いに向きあうことがこれからの私の人生にあるとは、容易に思えません。
ただ、生命がそうした種類の不条理を抱えていることに自覚的であることが、人生において大切なことなのだなと思わされました。
そういえば、7月に山で「欠け角」に会ったことを思い出しました。
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鹿ではなくニホンカモシカでしたが、よく見ると左の角が欠けているのです。
その欠け角には、どんな生命の軌跡が記されているのでしょうか。