竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

こけ納め2017ーcoast to coast 2017レポート2

coast to coast 房総半島横断2017レースレポートの第2段です。
スタートしてから最初のエイドA1までは、ずっとロードを走ります。

スタート直後にトンネルを抜けると、小湊の隣、天津の海岸にたどり着きます。
ホテルの宿泊客だろうと思われる親子が応援してくれていました。
参加者の家族でしょうか。
スタート前から着ていたウインドジャケットはここで脱ぎました。
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6:16、陽はまだ昇っていません。
ウインドジャケットは、その後フィニッシュまで着ることなく過ごせました。
もしかしたら、最初から必要なかったのかも知れません。
ハンドライトもしまうかどうか迷いましたが、まだ夜が明けていないので、とりあえず持ったまま走りました。
なお、この天津の海岸には公衆トイレがいくつかあるため、スタート前に行けなかった人はここでなんとかなるかもしれません。

ウインドジャケットをしまっている間にほぼ最後尾になってしまったため、先を急ぎました。
海岸を走り抜けて川沿いに内陸へと向かいます。
安房東中学校という宮殿みたいな中学校の先で、外房線の踏切を渡ります。
ここで私は、警報器が鳴っている踏切に侵入して横断してしまいました。
渡り終える頃には遮断機が下り始めたので、横断のタイミングとしては遅かったと思います。
普段の生活では立ち止まる状況なのですが、このときは気が急いていて、ためらいはあったものの、渡ってしまいました。
誤った判断だと今は思います。
次回以降、気をつけたいと思います。

踏切の後は、A1清澄寺に向かってひたすらロードを登ります。
清澄寺は太平洋を見下ろす山の上にあり、日蓮が修行した由緒ある寺でもあります。
海岸からは標高差300mくらい、ひたすら走って登ります。
登りといえどもロードの傾斜なので、ちょっとだけでも頑張れば走れてしまうのです。
coast to coast のコースは、ロードと林道が9割方を占めていると思います。
よく「走れる・走りやすいコース」と表されるレースがありますが、coast to coast についてはもう一歩踏み込んだ表現が必要な気がします。
私にとっては、走らなくてはならない、とか、歩くことが後ろめたい、といった気持ちにさせられるコースでした。
今年はケガが重なって十分に走れなかったため、脚が大幅に売れ残っていたこともありますが、本当に走れてしまいました。

最初の登りロードはほぼすべて走りきり、清澄寺のA1には7:10頃にたどり着きました。
ここまでたしか11,2kmだと思いますが、水分も補給食もとっていませんでした。
エイドでも、私にしては一切飲食せずにパスしました。
なぜか食欲がなかったのですが、恐らく、ずっと走っていたため、モードが切り替わらなかったのだと思います。
私は、いつもは歩きながらエイドインするため、エイド到着時には食事ができるモードになっているのですが、この日はエイドまでの短い下り坂をガッチリ走ってしまったので、心身ともに準備ができていなかったのかもしれません。
ただ、エイドのバナナに手が出なくとも、1時間以上走り続けている身体には補給が必要です。
エイドを出てすぐ林道に入りますが、ハンドライトをしまうタイミングでジェルを飲みました。
ハンドライトはスタートから1度も点灯の必要がありませんでした。

エイドからすぐの未舗装林道を走っている途中に、視界が西側に開けた場所がありました。
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富士山が遠くに見えています。
拡大するとこんな感じ。
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どーん、富士山。
冬の風の強い朝はよく見えます。
同じ千葉県ですが、私の育った東京湾北部から見るより、何倍も大きな富士山です。
この安房の地で育った人達が羨ましくなります。

この林道は途中から元清澄山への登山道に変わります。
山道といっても、傾斜はきつくなく、走れてしまうトレイルでした。
たぶん尾根を走っていたのだと思いますが、細かいアップダウンがあるものの、歩くほどの登りではありません。
スピードの似た数人が連なって、いいペースで走っていました。
こういう集団走の状況になると、私は周りの流れに合わせる他力本願大作戦を決行します。
これはレースの流れをつかむ上ではよいのですが、反面、自分の頭を使わなくなることで注意力が低下してしまうことも、私にはよくあります。
よくよく気をつけなくてはならないのですが…。

それは、狭いながらも柵などがよく整備されている尾根道を、快調に走りながら下っている最中のことでした。
ふと考えごとをしてしまい、暗がりで見えにくくなっていた木の根につまづいて、こけました。
故郷の大地に五体投地、と言えば山岳信仰の一環としてごまかせなくもないのですが、単につまづいて意図せぬヘッドスライディングをしただけです。
このとき私は、道に落ちていた粉飴のジェルについて考えていました。
こけた地点までは15kmくらいしか走ってないと思いますが、それまでに粉飴のジェルが2つも、数kmの間を置いて落ちていたのです。
同じ選手かそれとも違うのか、流行っているからこんなに落ちてるのかな、そういえば友人Aさんは美味しいって言ってたな、ハセツネでもらったやつ今日持ってくればよかったかな…、何て考えてたら、つまづいてこけたのです。
こけた拍子に、リュックの胸に差していたジェル数本を地面にばらまきました。
人の落としたジェルのことより、自分のジェルを落とさないように気をつけるべきなのでしたが、そんなのこけるまで意識もしません。
落ちたジェルは親切な人が集めてくれました。
ありがとうございました。
今年の私は転倒、負傷、故障に苦しみました。
転倒だけでも、1月の高尾山天狗トレイル*でこけ初め、6月の菅平スカイライントレイル**でも大転倒し、いずれもそれなりの負傷に繋がってしまいました。
*天狗
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2017/01/16/234447
**菅平
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2017/06/19/235029
そして、このcoast to coastでこけ納めです。
幸い、今回の転倒は負傷に至りませんでした。
もしかしたら、故郷の大地に五体投地させる見えない力が働いていたのかもしれませんが、そんなことばかり書いているとオカルトトレランブログになってしまうので、以後控えます。
でも、ケガがなくて本当によかったと思います。

こけてからしばらくは、その場で休んで心身を整えていました。
走り出すときもまた集団の一員になりはしましたが、足元の一歩一歩のことだけを考えて淡々と進みます。
この元清澄山付近は痩せた尾根が多く、難所といえるような切り立った道もありますが、そうした場所には山岳連盟の方が待機してくれていました。
心強いです。

元清澄山に到着した時刻の記録がないのですが、山頂直下で、集団ロストの選手たちが引き返してくるところに行きあいました。
山頂を過ぎたらすぐに左に折れて、山腹の階段を下らなくてはならないのですが、下りた勢いでまっすぐ尾根に入ることもできてしまうのです。
もちろん尾根には道がついていないのですが、低山特有の疎らな木立によって、道であるように見えてしまうのです。
ここは階段を下りるのが正しいコースです。
この辺りは階段が多く、登山道の3割くらいは階段であると言ってもいいかもしれません。
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私にとっては段差が歩幅に合わない場所が多く、しかも選手が連なっていたため、かなり「走れない」区間となりました。
しかし、この走れなかったことが、後になって効きました。
走れる脚が、図らずも温存されたのです。
とはいえ、階段でなければ走れます。
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落ち葉が、深すぎず、絶妙な薄さで地面を覆っていました。
実に足に優しいトレイルなのですよ。
楽しいなあって、こけたことも忘れて思っていました。

元清澄山から下山した金山ダムにかかる赤い橋は、A2に入るための約束の橋でもあります。
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9:10頃、スタートから3時間10分で、約24,5kmのA2金山ダムに到着しました。
あとから考えれば、このレースで本格的な山道をまとまった距離走るのは、このA1~A2間と、A5前後の鋸山の山域とで、かなり限られた区間でしかありません。
こけはしましたが、短い山道でこけられたことは、逆に言えば、ロードやジャリジャリの林道でこけなかったことは、大きな幸いだったのかもしれません。
やはり私は、故郷の大地に五体投地したのだと思います。
そう思えば、山納めの日にケガをしなかったことに、大きなありがたさを感じることができます。
なんて言ってると、いつの間にかオカルトになってる…。
こけ納めは五体投地