竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

竹仙坊骨折抄2018年4月23日~退院それから編

あきる野市の馬頭刈尾根で4月7日に骨折した話の第5段です。
4月23日に退院してからの生活について記録しておきます。
骨折抄の記事は今回で一段落させようと思います。
※前回までは下記参照
事故編
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/04/22/063505
搬送編
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/05/05/091433
入院治療編
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/05/21/125130
入院生活編
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/05/29/201648

骨折した左上腕骨は、4月12日の手術でチタンボルトとチタンプレートを入れて固定しました。
この記事を書いている現在、術後7週程が経過しています。
ただ、骨は「くっつけてある」ものの、まだ「くっついている」わけではありません。
くっつく(骨癒合)までには大体術後12週かかるそうなので、あと一月あまりは無理をしないように過ごそうと思います。
退院後はしばらく左腕の伸びが悪かったのですが、術後4週程で、右腕と遜色ないくらいに伸びるようになりました。
また手術では、ボルトやプレートを入れるために、上腕二頭筋や肩の筋肉を割いています。
それが人工的な肉離れのような状態になっていて、その痛みは今でも残っています。
疼くレベルを越える程度の痛みはあるため、常に気にかかっています。

骨は体内で固定しているので、ギプスなどは付けていませんが、通勤電車の中では三角巾で左腕を吊ることにしています。
人混みが怖いのです。
この時期に左腕にぶつかってこられたりして、運悪くまた骨折してしまったりしたら、元の木阿弥以外の何者でもありません。
私の三角巾には、あまり「近寄らないで」、できれば「触らないで」、最悪「ぶつからないで!」というメッセージが込められています。

また、左腕だけで2kgを超えるものを持つことを禁じられています。
2kgが具体的にどれくらいかはわかりづらいのですが、私の通勤リュックが本体だけで1kg近くあり、そこに500mLの水や諸々の必携品を入れれば、ゆうに超える重さだと思います。
そのため、通勤リュックは左手だけでは持つことができません。
あと、敷布団はけっこう重たいので、敷くときに左手を使わないことにしています。
右利きである私は、右手で作業する際、当たり前のように、左手でものを持ったり支えたりします。
そのため、自然と左手で重たいものを持ってしまいそうになります。
今は危険なので、注意せざるを得ません。
右利きは左手でものを持つ、文字にすると当たり前のことですが、大袈裟に言えば新たな発見でした。
利き手でなくてもしっかり働いているものなのだなと改めて思いました。

ただ、生活についての不自由はそれくらいでしょうか。
私の上腕骨骨幹部骨折という骨折は、二の腕の骨の真ん中を折るという骨折です。
真ん中ということは、肩関節にも肘関節にも関わらない位置ということです。
不幸中の幸い、私の場合はその両方に問題が生じませんでした。
肩と肘の関節が自由に動くから、左腕が自由に動くのです。
17年前に左肩の関節鏡手術をしたときには肩が動かせなかったので、今回のように自由に腕を腕を動かすことはできませんでした。
ケガの程度は今回の方が重いのですが、生活の自由度は今回の方が高い気がします。
だんだんと回復してきてつくづく思うことは、自分の体を自分の思うように動かせることが、本当に幸いなことだということです。

走ることに関しては、術後3週からジョグを再開することができました。
近所の公園に1周500m強の土のジョギングコースがあり、そこをグルグルと走り回っています。
ジョグの相棒たち。
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左はアシックスのヌーサFF、右はブルックスのフロー6。
だいたいキロ7分前後のペースですが、調子の良い日はキロ6分を切るペースで走ることができます。
はじめのうちは走る振動で左腕が痛んでいましたが、それも最近はずいぶん鈍くなってきました。
医師の言うことには「転ばない限りはいくらでも走っていい」とのことなので、徐々に距離を伸ばして行ければ良いかなと思っています。
でも「いくらでも走っていい」なんてお墨付き、ウルトラ系のランナーに与えてしまってよいのでしょうか。
際限がなくなるのが目に見えてるようで…。

退院から4,5日程経った4月27日から、2泊3日でUTMF/STY2018の応援旅行に出掛けました。
本来ならば友人Bさんのサポーターとして参加する予定でしたが、さすがに左腕が折れている状態では断念せざるを得ませんでした。
それでも、応援だけならば特に大きな支障もなく過ごすことができました。
いつもより慎重に行動することが求められますが、旅行は問題なくすることができています。
フィニッシュの大池公園では、選手たちの姿に心を動かされました。
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/05/01/170257
今はまだ、トレイルランニングを含め、登山はできませんが、山の近くまで行くことはできます。
復帰を焦っても仕方なく、また、復帰してもしなくても、どちらでもいいのかもしれません。
私にとってしばらくは、山や山で遊ぶ人たちを眺めて楽しんでいればよいのです。
できることだけ楽しんでいたいと思います。

竹仙坊骨折抄2018年4月10~23日入院生活編

あきる野市の馬頭刈尾根で転落して左上腕骨を骨折し、入院して手術した話の続き※です。
*事故編
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/04/22/063505
**搬送編
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/05/05/091433
***入院治療編
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/05/21/125130
今回は入院中の生活についての備忘録です。

入院生活のタイムスケジュールは、基本的には以下のようなものでした。

6:00 起床
7:00 朝食
7:30 薬
8:30 掃除
9:00 バイタルチェック(体温・血圧測定など)
10:00 シャワー(2日に1度)
11:00 回診
12:00 昼食
12:30 薬
13:00 バイタル
14:00 リハビリ
17:00 バイタル
18:00 夕食
19:00 薬
21:00 消灯・バイタル

健全な時刻に寝起きする規則正しい生活です。
このスケジュールで14日間過ごして退院した直後は、夜更かしの私が22時には眠くなる体に変わっていました。
上記は一番忙しかった日のスケジュールで、バイタルの回数は日によって異なりました。
掃除、回診、リハビリ以外の全ての項目の担当は、看護師さんたちでした。
外傷の病棟だからか若い人ばかりで、私よりも年上だと思われる看護師さんは一人もいませんでした。
あくまで私の印象ですが、その誰もが誠実に仕事をしていたと思います。

しかし、スケジュールはそれなりに詰まってはいるものの、入院生活は基本的に暇でした。
合間の時間にやることがないのです。
そういう時の暇つぶしは、病院中をふらつくに限ります。
読書にはすぐに飽きてしまったので、それ以外にやることがありませんでした。
私がやっていたのは、1日2本の1階から病棟のある10階まで階段で昇るトレーニングを軸に、日に何度も6,7階の休憩スペースや空中庭園を散歩することでした。
とにかく歩数を確保して、脚力を極力落とさないようにしたかったのです。
そんなことをしていたので、病棟を抜け出していることが多く、看護師さんに電話で呼び出されたこともありました。
その時は階段トレーニングを終えて、ちょうど階段室の目の前にあるナースステーションの前に出たところでした。
お互い電話を持ったまま半笑いで見合ってしまって、決まりの悪いやら何やらでなんだかなあな気持ちになりました。
他にも、自分の気づかないところで迷惑をかけていたかもしれません。
でも、それが仕事とはいえ、人に世話をしてもらえるのは有り難いものです。

私が入院したのは外傷患者専門の病棟で、交通事故やスポーツ中の事故などで外傷を負った患者さんしかいませんでした。
しかも、重症(重傷?)な方が多く、少なくとも私が入院していた間は、私よりも軽症の患者さんはいなかったのではないかと思えるくらいでした。
足をケガしたわけではないので自由に歩き回っていましたし、顔などの人目に触れるところには擦り傷一つ負っていませんでした。
手術に伴う痛みはあったものの、痛みは他人には見えないものです。
包帯を巻いてわかりやすく痛々しい姿をしていたのは術後2日くらいで、それが外れてからは、何が悪くて入院しているのかわからないような患者になっていました。
そういうときに改めて、左腕を骨折した「だけ」で済んだのだなと思っていました。
不幸中の幸いを強く感じていました。

折った「だけ」で済んだとはいえ、利き腕ではないとはいえ、左腕が自由に動かせないことには相応の不便があります。
そんな入院生活で一番役立ったのは、上司が差し入れてくれたハサミでした。
しばらくは左手でものを押さえられなかったので、手で食べ物の袋を開けるのがとても困難でした。
しかし、ハサミがあれば大丈夫。
文明の利器とはこういう状況で使う言葉なのでしょう。
そして、ハサミこそ文明の利器でありますと声高に表したいくらい、その偉大さを再確認しました。
誰かのお見舞いには必ず持っていこうと思います。

入院中、特に手術の前後はこんな服装で生活していました。
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入院したのが帝京大学病院なので、帝京大学ラグビー部のTシャツを着ていました。
このシャツは元々友人Bさんが大学ラグビーの観戦の際にもらってきたものでしたが、私の入院衣装として提供してくれました。
ラグビーをしていたことがある私はラグビー観戦が好きで、大学選手権9連覇中の帝京大学には特に注目しています。
ただ、今年は明治大学が強そうですね。
10連覇には期待していますが、果たして。
実はこのTシャツ、正面からはわかりませんが、左側がバッサリと切り開かれています。
頭と右袖を通したら、左肩にかけるだけで済みます。
痛む左腕を動かさないでシャツを着るために編み出した苦肉の策でした。
左側はがら空きのため、そのままだとお腹が寒いので腹巻きを巻いています。
お医者さんや看護師さんは、このシャツを見て「え?帝京の?どうしたのこれ?」と半笑いで聞いてきましたが、私が同じ立場でも半笑いになったでしょう。
ともあれ、腹巻きとの併用で非常に快適なスタイルとなりました。
他には甚兵衛も役立ちました。
腕を動かせないくらいのケガをした際にはおすすめです。

暇つぶしとトレーニングのために始めた散歩でしたが、途中から別の楽しみが加わりました。
帝京大学病院の空中庭園には色々な花が植わっていて、その様子を見に行くのが楽しみになったのです。
毎日花を見ていると、日毎の変化や、朝夕の表情の違いなどが見えてきて、なかなかの暇つぶしになりました。
名前の知らない花の写真がたくさん増えてしまいましたが、これもよい思い出なのかもしれません。

あの日見た花の名前を私はただ知らないシリーズ
in帝京大学病院空中庭園

黄色い花
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白い花
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何かの実
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もう一つ白い花
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一番気に入っていた黄色い花
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また、私の病室からは富士山が見えました。
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富士山を見ることができる部屋に住む(?)のは、千葉市の元の実家以来で、多分21年ぶりのことだと思います。
特に、夕暮れと富士山の組み合わせはなんだか贅沢に感じました。
ノスタルジーのせいもありますが、UTMF/STYのことを考えながら見つめる富士山には、なんだか切ないものを感じました。
本当ならば、STYに出場する友人Bさんのサポートをする予定でしたが、それがこの骨折のせいでできなくなりました。
不可抗力とはいえ、大事なときに役に立てない歯がゆさを感じていました。
ただ不思議なもので、そうした気持ちも、富士山を見ていると自然と緩んできてしまいます。
不幸中の幸い、左腕が骨折している「だけ」で、意外に元気でいることができています。
それだけでもよくない?
そんな問いかけを受けているように思えました。
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富士山が見えなくなると、どこかの山塊に沈む太陽を見ていました。
こういう時間がとても心地よかったです。
私が心身ともに快復して山にまた行ける日が来るのかどうか、退院して一月以上経った今この時点でも定かでないのです。
でも、山の見える風景は入院中でも心のオアシスでした。
いつかは、なるべく早く、山に戻れるようになれればよいのですが。
じっくり行ければよいなと思います。

竹仙坊骨折抄2018年4月10~23日入院治療編

あきる野市の馬頭刈尾根で転落して左上腕骨を骨折した話の続編です。
4月7日の事故から6週間近く経ちましたが、折ったあたりは時折疼く程度です。
今回は入院から手術を経て退院するまでを振り返ってみることにします。
前回までは事故編*と搬送編**にまとめてあります。
*事故編
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/04/22/063505
**搬送編
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/05/05/091433

4月7日に骨折して搬送され、応急措置の後に再搬送された帝京大学病院で、左上腕骨骨幹部骨折の診断を受けました。
上腕骨骨幹部とは二の腕の骨の真ん中あたりのことで、そこが螺旋状に折れているとのことでした。
4月10日(火)の再診にて、入院しての手術がお奨めであるとの説明を改めて受けました。
折れた骨同士の間隔が大きめに離れていて、固定のみでは修復するのが難しいとのことでした。
また、手術の方が復帰までの期間が短く済むとのこともあり、二つ返事でOK。
準備は整えてきていたので、その場で即入院しました。

入院後に手術日が4月12日(木)と決まり、当日は母に来てもらいました。
私にとっては人生2度目の手術でしたが、前回の2001年に左肩を手術した時も力を借りています。
有り難いものです。
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母が撮影した術衣の私。
息子の術衣姿を見慣れてしまうというのはどんな気持ちなのか、機会があれば聞いてみたいと思います。
ちなみに、私の両親は入院を要する大病や大ケガに今のところ縁がなく、息子の私の方が手間をかけてばかりです。
今のところ、私は不孝息子以外の何者でもないのです。

手術は救急外来で診察してくれた若い医師が執刀してくれたようです。
骨折部位は元通りに修復された後、ボルト1本、プレート1枚とそれを固定するネジ6本が埋め込まれました。
手術自体は1時間半くらいで終わったそうです。
また、今回の手術は全身麻酔でした。
全身麻酔も人生2度目でしたが、前回は覚めるときに口の中に強烈な苦味を感じて非常に不快だった記憶があります。
今回も麻酔から覚めるときは苦味を覚悟していたのですが、予想に反して全く苦味を感じず、嬉しくも拍子抜けしました。
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お見舞いに来てくれた友人Bさん撮影の術後の1枚です。
このときはギプスはしていないものの、包帯でグルグル巻きになった上に、ドレーンチューブが左腕に入りっぱなしになっています。
術後の2,3日は痛みに苦しみましたが、4日目になって急に痛みが引いていきました。
ドレーンチューブも4日目の夜に抜いてもらえました。
その後は、入院生活もだんだんと楽になっていきました。

手術の翌日4月13日(金)から左腕のリハビリテーションが始まりました。
帝京病院では、腕の障害は作業療法士が担当するようです。
私の場合、骨折と、手術でチタンプレートを埋め込むために上腕の筋肉を割いたことによる人工的な肉離れの影響で、左腕の曲げ伸ばしができなくなっていました。
入院中は日曜を除いて毎日リハビリの時間がありました。
私は経過がよかったようで、毎回療法士さんにほめられたのはとてもいい気分でした。
私は39歳ですが、この年齢になると普段は滅多にほめられることがありません。
入院してよかったなと思えることの一つでした。
「ほめて伸ばす」は最近は定番の指導法だと思いますが、このことについては経験的に正しいと思います。
全てにおいて誰もがそうなるとは限りませんが、私の左腕に関しては、ほめられて伸びるようになりました。
伸びるの意味、若干ずれてますけど。

痛みが引いて来ると出歩くのも苦にならなくなるもので、4月19日には外出することができ、帰宅して荷物整理をした後、会社に寄ってから病院に戻りました。
久しぶりの外の世界は少し疲れました。
患者は病院の中では守られている存在なのだなと、認識を新たにしました。
この頃になると腕の曲げ伸ばしも大分できるようになり、ほめられて伸びるを日々体感することができました。
元々私の腕は平均よりもよく伸びる腕だったようで、そこまでは伸びていないものの、平均的なレベルに近いところまでは回復してきました。
早くからリハビリを始めることは、本当に大事だと思います。

退院は4月23日(月)、14泊15日の入院でした。
治療は上手くいったようで、純粋によかったと思います。
退院後の外来で術後のレントゲン写真を見ましたが、骨の継ぎ目がパッと見だとわからないくらい、きれいな修復がされていました。
後は、この骨が完全につながるまで養生するだけです。
新たなケガに気を付けながら、日々を無事に過ごして行きたいと考えています。

なお、私自身17年ぶりの入院生活は、なかなか面白いものでした。
それはまた別の機会***にまとめたいと思います。
***入院生活編
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/05/29/201648