竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

今はいない人たちーCOVID-19徒然25

私は通勤で東京メトロの地下鉄に乗るのですが、ちょっと前、久しぶりに録音でない生の声の車内放送を聞きました。
その路線はワンマン運行なので、運転士が直接話している声だったのだと思います。
他路線の事故に関する放送でしたが、自分には影響のない内容だったため、ぼんやり聞いていました。
すると、突然話されている言葉の意味が理解できなくなりつかの間混乱してしまったのですが、落ち着いて聞いてみると、言語が英語に切り替わっていたことに気がつきました。
ぼんやりしていて切り替わりの瞬間を聞いていなかったための出来事でしたが、ここでいくつか違和感を覚えました。

違和感の一つ目は、そういえばこの放送は運転士さんが運転しながらしゃべってるけど、この路線にもかつては車掌がいたので、その頃だったら車掌がしゃべってたんだろうなというものでした。
調べたら、この路線はワンマン化してから12年が経つそうで、その前から今日までずっと利用している私ですが、既に車掌がいない状態の方が利用期間として長くなっています。
車掌といって思い出すのは、私は大学生の頃、当時は東京メトロではなく帝都高速度交通営団の時代でしたが、地下鉄の駅で朝ラッシュ時のホーム整理のアルバイトをしていました。
いわゆる押し込みっていうやつです。
通勤客をパンパンに詰め込んで発車した電車を見送る際、車掌さん達と会釈や敬礼を交わしていた記憶がよみがえります。
それはもう20年以上昔の話で、その路線もワンマン化されて久しくなります。
車掌がいない地下鉄には慣れていたはずなのですが、運転士の生の音声による英語の放送を聞いて、ふと、昔だったら車掌のアナウンスだったんだよなと思いだした次第です。
そう思いながら、運転しながらアナウンスするって、バスならば当たり前なんでしょうが、電車はなんだか大変そうだなと思いました。
もちろんバスでも大変でしょうけど。
ただ、自宅に最寄りの私鉄路線は車掌が健在で、車掌全てがいなくなってしまったわけではありません。
この間乗ったJRも車掌のいる路線だったのと、生音声で英語の車内放送をしていました。
やはり車内放送といえば車掌だよなと思う昭和世代として、これからも車掌という職業があり続けてほしいと思います。
ワンマン化した路線にも復活してほしいですし、なんならバスの車掌も復活してはどうでしょうか。
無人化による経営の合理化という発想は、営利企業の構成員としては理解はできるのですが、経済社会における労働者や消費者としては、短慮と思わざるを得ません。
昨今の経済の行き詰まりを見ると、労働者を減らしたことによる消費者の減少が主因で、そんなことばかりやってるから経済成長が出来なくなったんじゃないでしょうか。
人手がかかる仕事を復活させることで持ち直す経済、なんて夢想をしてしまいます。

違和感のもう一つは、この英語の放送は、今、誰に向けられているんだろうということでした。
それは、今はここにいない人たちに向けられているんだということ、具体的には、外国人観光客のための英語放送なんだろうなということです。
もちろん、英語放送は日本語話者でない日本国住民も対象であるということは承知しています。
しかし、近年急速に整備された感のある英語放送は、住民というよりは観光客が主な対象であることは間違いないでしょう。
昨年2020年からの新型コロナウイルス感染症COVID-19のパンデミックで、海外からの渡航者の姿を見かけることはほとんどなくなりました。
インバウンドのない今の日本で、いわゆる「外国人」(見た目で分かりやすい、平たく言えば東アジア系でない)を見かける頻度は、東京都心ですら劇的に低くなっています。
まるで私が幼少期を過ごした「20世紀の地方都市」に戻ったような感覚です。
パンデミックが起きていなければ普通にいた人たちが、今の日本にはいません。
ニュースでは報じられている事柄でも、その日の車内放送を聞くまでは、私の生活実感として全く認識されていませんでした。
この放送に気を止めなければ、いつまで実感しなかったのかと思うと、自分の鈍感さに怖さを覚えます。
今はいない人たちに向けられた言葉は、いつかそこにいる人たちに向けられる言葉になるのでしょう。
でも、それはパンデミックが終息してからのお話、かれらを安全に迎えられるようになってからのお話です。
私の実感として、今はまだその時ではありません。
外国人観光客が日本に来ることだけでなく、日本人が外国人観光客として海外に行くことすらままならないこの状況が、早く終息することを願っています。

そういえば、最寄り駅の駅前の噴水に、かつてはいたけど今はいない、ではなく、たまにいるんだけどいつもいるわけではない方々が、今年は住んでいます。
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にわか雨に打たれるカルガモさんたち。
今はいない人たちにいつか会える日を望みつつ、今は彼らの安住を願いたいと思います。
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今日の雨はやみましたね。
おやすみなさい。