竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

外食ーCOVID-19徒然6

新型コロナウイルス感染症COVID-19に関する緊急事態宣言以降、私の会社では在宅勤務が基本となりましたが、仕事のタイミング的には出社せざるを得ないときがあります。
そんな折に楽しみにしているのが外食です。
在宅勤務中はほとんど全ての食事を自宅で摂っていて、そのことに大きな不満はなくとも、小さくても満たされないものはやはりあるのです。
月並みではありますが、食事は、ただ食物を摂取すればよいということではなく、どこで食べるのかとか誰と食べるのかという、食物以外の要素と不可分に合わさっている経験なのだということを痛感しています。
時間と空間もまた食事の楽しみであり、その時間には店員さんや顔なじみのお客さんとの交流も含まれています。
私の場合、会社近くの中華料理店とイタリア料理店でほぼ毎日昼食をとって、そこでたまに夜の一人飲みをすることが、人生の大きな楽しみです。
飲食店は現在、休業要請の対象ではないため、行政の要請にしたがった形態であれば営業に何の問題もありませんが、外出自体が自粛されている今、飲食店は軒並み苦境に陥っています。
こういうとき私にできることは、可能な限りお店に行くしかなく、とにかく出社の際には必ず立ち寄って食事をすることにしています。
また、これからもそうし続けます。
自分が好きな時間と空間がなくなってしまわないよう、どんなに微力であっても力を貸したいと思います。
そして、私の力だけではどうにもならないことはわかっています。
社会全体の幸福のためにも、税金を使って街の飲食店の保護をしていくことが必要だと切に思っています。
政治の力で、社会全体を守りましょう。

前置きが長くなりはしましたが、今日は、お昼に中華料理店で海老焼きそばを食べて、夕飯はイタリア料理店で食べました。
写真は夕食のチリコンカーンと赤ワイン。
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イタリア料理店なのにメキシカン食べてるの?
みたいなつっこみもあるかもしれませんが、私はチリコンカーンを食べるとどんなときでも元気になれます。
多分、元気になりたかったのでしょうね。
ちなみに赤ワインも大好物です。
あ、お酒はちゃんと19時前に頼んだものですからね。
その点はご承知おきください。
このイタリアンのマスターはランナーではありませんが、ヘッドライトマニアで、今夜もどこそこのメーカーのこんなライトがいいんだよ、みたいな話ばかりしていました。
思い起こせばいつもしている類いの会話ではありますが、それも久しぶりなので楽しかったなあ。
外食する機会が減り、こうした一回一回の経験の重みが否応にも増していきます。
この緊急事態下での大きな喜びが、常日頃の小さな喜びに戻る日が来ることを、切に願っています。

届きものーCOVID-19徒然5

新型コロナウイルス感染症COVID-19に関連した届きものがいくつかありました。
開催が中止されたレースのもので、最初に届いたのはFTR飯能2020の参加賞Tシャツでした。
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渋くてなかなかかっこいいなと思っています。
主催の奥宮さんのメッセージには、熱意と誠意が込められていました。
2020板橋Cityマラソンの参加賞はウエストポーチ。
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他にはキャタピランや参加費返金のQUOカードと、主催者のお手紙も。
ここにも誠意を感じます。
例のアベノマスクも届きました。
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私はこの施策には甚だ疑問を感じていますが、送られてきた実物を見てもその考えは変わりません。
ただ、こんなものでも、せめて少しでも善意が込められているのであれば、まだ救いがあるのかなとも思いました。

そんな届きもののなかで、一番驚いたのはこちら。
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炊飯器です。
これまでも炊飯器は持っていたのですが、1年ほど前に壊れてから買い換えていませんでした。
それを見かねた両親が、業を煮やして送ってきてくれたのがこちらの炊飯器です。
もともと自炊が得意でない私は、食事をほぼテイクアウトやスーパーの出来合いですませていました。
ただ、この緊急事態宣言下の状況では外出をできるだけ控える必要があります。
買い物の回数を減らすよう、東京都知事からの要請もありました。
これを機にしっかり自炊しろということなのだと思います。
本厄のおじさんが、老親に炊飯器をもらうというのは非常に恥ずかしいことだと思います。
でも、恥ずかしさもさることながら、親の気持ちが伝わってきて本当にありがたいなと思っています。
私は一人っ子でしたが、特に甘やかされて育った記憶はありません。
大切に育ててもらったことはわかっていましたが、むしろ親としては淡白な方なのかなと思っていました。
しかし、こういうことがあると、親っていつまでも親なんだなと思わされます。
そして、私はいつまでも彼らの子供なんだなということも。
親の愛を感じた贈りものでした。

臆病ーCOVID-19徒然4

新型コロナウイルス感染症COVID-19に関する緊急事態宣言が出てからの毎日、毎日不安に過ごしてはいますが、今回の事態を受けて私自身がどういう人間なのか、わかってきたことがあります。
それは、私はずいぶん臆病な人間なんだなということ。
薄々感づいていたことではありましたが、COVID-19のパンデミックに対する私自身の行動の変化を見るにつけ、それは確信へと変わりました。
具体的に言えば、アライグマなのかと思うくらい手を洗うようになったこと、気がつくと嗅覚をチェックしていること、呼吸が苦しくないかいつも気に掛けていること、外出着と部屋着を完全に分けるようになったこと、などなど、数え上げただけでもこれだけの用心をするようになっていました。
また、東京では自分が既に感染者かもしれないことを前提に行動することが求められています。
他者への配慮として、外出時には必ずマスクをするようになったことも私にとっては大きな変化です。
今までは症状がない人間はしなくてもよいと思っていましたが、自分が感染者かもしれない前提に立つならば、着用した方がベターだと思っています。
だからといって、着用していない人を否定する気はありません。
この頃のマスク不足は異常なほどですので、手に入れることは難しい状況もあります。
早く解消できないものでしょうか。
でもアベノマスクは、税金の使い方として甚だ問題があると考えています。
私はもっぱら、自分で縫ったオレノマスクを着用しています。
他の配慮としては、高齢の方が営んでいるお店に行くことも控えています。
それにしても、自分が既に感染者かもしれないということは、道で会う他者も既に感染者かもしれないということを意味していて、これを前提に行動することはとてつもないストレスを感じます。
臆病な私にとって、人間を無条件に安全だとは思えない状況って、かなりの地獄だと思います。
ただ、医療の最前線に立っている方々の状況が日々悪化していくなかでは、自分の状況をとても地獄だとは言い切れません。
医療関係者に加えて、この難局でも社会を支えるために働き続けてくれている方々にも頭が下がります。
彼らを守って、社会を守るためにも、私はもっと臆病になろうと思います。
皆で生き延びましょう。

それでも、こういう状況になって、今までたくさんの他者と関わり合いながら生きてきたんだなということを痛感させられています。
在宅勤務がメインとなり、他者と会わなくなった今、その手のストレスも抱えています。
私には兄弟姉妹がいないのですが、小学校の頃は学童保育で育ったり、中学・高校・大学はもちろん社会人になっても運動系のクラブに入っていたりと、全くの一人でいることにはあまり慣れていません。
全くの知らない人から顔見知り、行きつけのお店で出会う人たち、取引先、同僚、友人、家族、大切な人、様々に関わり合いながら自分の人生が作られていることに否応なく気づかされています。
今は一部の人達を除いて、会うことができない日々が続いています。
これまでの私の人生が、根こそぎ否定されているような気持ちになります。
そして、COVID-19が終息しても、元通りに生きることができないことも薄々感じています。
今までのようには生きられないならば、どのように生きていけばいいのか。
不安でなりません。
こういうことにまで臆病にならなくてもいいのかもしれませんが、どうしてもなってしまいます。
それでも、今は何にでも臆病になっている自分を受け止めるしかありません。
また元気で会えるまで、臆病に日々を乗り切って行きたいと思います。