竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

臆病ーCOVID-19徒然4

新型コロナウイルス感染症COVID-19に関する緊急事態宣言が出てからの毎日、毎日不安に過ごしてはいますが、今回の事態を受けて私自身がどういう人間なのか、わかってきたことがあります。
それは、私はずいぶん臆病な人間なんだなということ。
薄々感づいていたことではありましたが、COVID-19のパンデミックに対する私自身の行動の変化を見るにつけ、それは確信へと変わりました。
具体的に言えば、アライグマなのかと思うくらい手を洗うようになったこと、気がつくと嗅覚をチェックしていること、呼吸が苦しくないかいつも気に掛けていること、外出着と部屋着を完全に分けるようになったこと、などなど、数え上げただけでもこれだけの用心をするようになっていました。
また、東京では自分が既に感染者かもしれないことを前提に行動することが求められています。
他者への配慮として、外出時には必ずマスクをするようになったことも私にとっては大きな変化です。
今までは症状がない人間はしなくてもよいと思っていましたが、自分が感染者かもしれない前提に立つならば、着用した方がベターだと思っています。
だからといって、着用していない人を否定する気はありません。
この頃のマスク不足は異常なほどですので、手に入れることは難しい状況もあります。
早く解消できないものでしょうか。
でもアベノマスクは、税金の使い方として甚だ問題があると考えています。
私はもっぱら、自分で縫ったオレノマスクを着用しています。
他の配慮としては、高齢の方が営んでいるお店に行くことも控えています。
それにしても、自分が既に感染者かもしれないということは、道で会う他者も既に感染者かもしれないということを意味していて、これを前提に行動することはとてつもないストレスを感じます。
臆病な私にとって、人間を無条件に安全だとは思えない状況って、かなりの地獄だと思います。
ただ、医療の最前線に立っている方々の状況が日々悪化していくなかでは、自分の状況をとても地獄だとは言い切れません。
医療関係者に加えて、この難局でも社会を支えるために働き続けてくれている方々にも頭が下がります。
彼らを守って、社会を守るためにも、私はもっと臆病になろうと思います。
皆で生き延びましょう。

それでも、こういう状況になって、今までたくさんの他者と関わり合いながら生きてきたんだなということを痛感させられています。
在宅勤務がメインとなり、他者と会わなくなった今、その手のストレスも抱えています。
私には兄弟姉妹がいないのですが、小学校の頃は学童保育で育ったり、中学・高校・大学はもちろん社会人になっても運動系のクラブに入っていたりと、全くの一人でいることにはあまり慣れていません。
全くの知らない人から顔見知り、行きつけのお店で出会う人たち、取引先、同僚、友人、家族、大切な人、様々に関わり合いながら自分の人生が作られていることに否応なく気づかされています。
今は一部の人達を除いて、会うことができない日々が続いています。
これまでの私の人生が、根こそぎ否定されているような気持ちになります。
そして、COVID-19が終息しても、元通りに生きることができないことも薄々感じています。
今までのようには生きられないならば、どのように生きていけばいいのか。
不安でなりません。
こういうことにまで臆病にならなくてもいいのかもしれませんが、どうしてもなってしまいます。
それでも、今は何にでも臆病になっている自分を受け止めるしかありません。
また元気で会えるまで、臆病に日々を乗り切って行きたいと思います。