竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

曇天模様の空の下ーFTR100K2017レポート2

FTR100K2017のレポート第2段です。
武甲山頂への到着が7:43でした。
展望台に寄ってからトイレを済ませ、荷物を整えてから出発するまで、恐らく20分以上は費やしたかと思います。
気温が低いので長逗留は避けたかったのですが、今年はトイレに列ができていたのでいたしかたありませんでした。
ここから先、小持山と大持山、ウノタワ、鳥首峠、~の頭シリーズ、有馬峠、有馬山を越えて、A2有馬山を目指します。

武甲山からの道は急な下りで始まります。
シラジクボという鞍部まで下りて、そこから小持山・大持山への登りに取りつきます。
このエリアは今回の事故が起きたエリアでもあります。
コース上の危険と思われる箇所には、埼玉県山岳連盟のスタッフが待機していました。
この点だけでレースの安全対策を検討し尽くすことはできないと思いますが、私の経験上、対策はされていたのではないかと思います。
ただ、これはあくまでも私の経験上の話です。
様々に丁寧に、徹底した検証がなされることを期待しています。
私はやはり、この山域で同好の士を失ったことに、どうしても心が強く痛んでいるのだと思います。
事故に触れずに書くこともできなくはないのですが、触れないでいることができません。

私は私で、2016年大会で選手が落ち葉の斜面を滑り落ちた場所を探しながら進んでいました。
※2016年大会のことは以下に記載しました。
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2017/11/17/095433
それなので、あまりペースを上げずに進んでいたのですが、1年前の記憶に合う場所を特定することはできませんでした。
時間の経った記憶をあてにすることの難しさがよくわかりました。
小持山付近の展望のよい小ピークには8:40頃に到着しました。
ここはコース上ではないものの、先行の方が景色がいいよと教えてくれたので立ち寄ってみました。
その甲斐はありました。f:id:CHIKUSENDO:20171127125135j:plain
空模様は曇りではありますが、両神山や奥秩父方面の山々がよく見渡せました。
三度目にして初めて、雨ではないこの山域を通りました。
いくら曇天でも、視界が開けると気持ちも開いていくように感じます。
そして、8:50過ぎに到着した大持山の山頂ではこんな景色。
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絵に描いたような曇天です。
それでも雨が降っていなくて、雨を避けるために目を細めるような必要のない天候でした。
そもそも私は狐目の男なので、目を見開いていたとしてもあまり雨や日光の影響は受けにくいのです。
とはいえこの日は、雨天時や晴天時によくする、上まぶたを軽く下げて雨や日光を避けるような仕草をする必要はありませんでした。
その意味で曇天は目に優しいのだと思います。
科学的にどうだかは調べていませんが。

武甲山から有馬峠までの道のりは、大きめなアップダウンを何度も繰り返します。
運動量も大きくなるので体温も上がります。
スタートからずっと着っぱなしだったジャケットは、小持山付近で脱ぎました。
昨年までは雨だったので、体が熱くなってもジャケットを脱ぐことができませんでした。
その意味で曇天は幸いなのだと思います。
これは晴天でも同じことですが…。

ウノタワは9:00過ぎに通過しました。
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不思議に穏やかな雰囲気の窪地で、私がこの山域で一番気になる場所です。
ただ、レース以外で来たいなといつも思いつつも、まだ実行したことはありません。
このウノタワへと下る道はかなりの急斜面ですが、私の記憶では昨年、泥でグチャグチャだったような気がします。
今年は泥もまったくなく、また足元がきれいにならされていて、非常に通りやすい山道になっていました。
その先の鳥首峠に下る急斜面もまた、昨年は泥で足元がズルズルだったのですが、こちらもきれいにならされていました。
整備してくれた方々には大きな感謝の念を覚えます。
この、坂が泥々グチャグチャズルズルになる問題は、雨天のトレランレースと切り離すことのできない業のようなものだと思います。
路面が乾いたら、恐らくデコボコの斜面になってしまうのでしょう。
登山道の崩壊であることは間違いありません。
FTR100K2016、美ヶ原80K2017、そしてUTMF2016に参加してきた私ですが、これらは全て雨天、荒天といった状況下のレースでした。
私が登山道の崩壊に荷担していることは明らかで、罪悪感を覚えていますし、何とかできないものかということもよく思います。
私たちが崩壊させてしまった道をきれいにならす労力の大きさを想像したら、そら恐ろしくなります。
これは色々なところで言われていることではありますが、私も雨天のトレランレースでは、斜面への体重負荷が大きくかかりやすい急坂は歩行区間にして路面の保全を図る、というのは悪くない考えだと思います。
今回、整備後(だろうと思われる)のきれいな山道を見て、そう考えるようになりました。
整備の労力を考えたら、少しでも負荷を与えない方策が、やはり必要なのだと思ってしまいました。

事前に懸念していた路面のコンディションは、予想をよい方に裏切って、非常に上々でした。
故障部位には目立った痛みはありませんでしたが、違和感がずっと付きまとっていました。
なので、先は長いと思っていたこともあり、ペースを上げることなく進んで行きます。
どこで撮ったかわからないのですが、恐らく飯能方面に向けた1枚。
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しつこいようですが、絵に描いたような曇天です。
曇天模様の空の下、私は呼吸をしていましたが、歩行も走行もして、なかなか悪くない感じで進めていました。

武甲山から名栗方面へと南下する尾根道は、鳥首峠を過ぎた後、「~の頭」と名付けられたピークをいくつか過ぎると、有馬峠に突き当たります。
突き当たりを右に曲がると、有馬山への登り基調の尾根道に乗ります。
私はここの尾根道も好きです。
奥宮さん主催のFunTrails Round名栗というレースの舞台でもあります。
このレースで使われる山道がまた、色々な表情を見せてくれる楽しい山道なのです。
オススメの山域です。

この道では前後のランナーとパックになりながら進みました。
有馬峠辺りでかなり大きな集団に追いついたので、そのまま流れに乗って歩いたり走ったりを繰り返しました。
人と前後するとペースメイクに気を使わずにすむというメリットがある反面、視線が前の選手の背中に向かいがちになることによるデメリットもあります。
要は前方不注意になりがちになるということで、有馬峠から有馬山の間に何度か、張り出した枝に意図せずヘディングをかましてしまいました。
本当は、人と一緒にいるせいではなく私の注意力の問題である、ということはわかっていますが、なんか余計なことを言いたくなってしまうのです。
この辺りの山道はほとんど落ち葉の道でした。
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この岩を過ぎると、有馬山のエイドはすぐ近くです。

A2有馬山には10:35頃の到着でした。
着いたー!とは叫びませんでしたが、曇天模様の空の下、悪くはないと思える展開で進んでこれた安堵感はありました。
本当は10:00くらいに着いていたかったのですが、ペースを上げる気になれなかったので、悪くはないというところで、とりあえず満足してました。
故障部位の違和感を除けば、気になるのは右足の小指の付け根にシューズの何かが当たっていることくらいでした。
ただ、この小さなトラブルが、結局最後まで私を苦しめることになりました。

私がA2名物のワインゼリーを食べながらニヤニヤしているところに、実行委員長の奥宮さんがやって来ました。
私は「あ、奥宮さんだ。何中?って聞こうかな※」などと、のんきに考えていたのです。
※その辺の経緯は以下に記載されています。
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2017/09/06/213223
しかし、到着して間もなくだったと思いますが、他のスタッフが奥宮さんを呼び止めて「無線」「滑落」という言葉をかけていました。
その会話の後すぐに、奥宮さんはA2を車で出発して行きました。
奥宮さんがこのとき、どこまでの状況把握をできていたかはわかりません。
でも、緊急性を認識していたであろうことは、私の見たところでは確かであると思います。
このときの私はといえば、もちろん立場の違いもあり、聞こえたのが会話の断片でしかないこともありますが、後の重大な結果について全く想像が至っていませんでした。
しかも、後にA3名栗に着くまでと、着いてからレースが中止になるまで、この状況を見聞きしたことを忘れてさえいたのです。
中止になってから、はたと思い出しました。
こうしたところに、私は私自身の想像力の拙さというか、限界を感じざるを得ません。

この後、A3名栗までの間ずっと、右足小指の付け根の痛みに悩まされます。
続きはwebで。
当たり前か…。

悩ましい武甲山の私ーFTR100K2017レポート1

先日、秩父市が今後のFTRを後援しないことを決定した旨の報道がありました。
この山域が好きなトレイルランナーとしては非常に残念ですが、こうした事態に対して私は何ができるのか、ゆっくり考えたいと思います。
まずできることとして大会のクリーンアップ登山があったのですが、体調を崩してしまい参加できませんでした。
他にできることは何かと考えても、まずは、存続が危ぶまれるこの大会の記録を残すことくらいしかなさそうです。
私はA3名栗で中止を迎えましたので、そこまでの記録を残します。

FTR100K2017には友人Aさんと一緒に参加しました。
一緒に参加するのは3年連続3回目です。
私もですが、Aさんもこのレースをとても気に入っていました。
2:30頃に起床して準備と朝食を済ませ、4時ちょうどくらいに会場入りしました。
Aさんはとんでもなく速い人なので、スタート前に別れてからはいつものぼっち運行が始まります。
スタートは11月18日の午前5時。
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実はトイレに行ってて号砲には間に合いませんでしたが、ちょうどよいのでゲート横からスタートの瞬間を撮影してみました。
うっかり観客気分になってしまいましたが、すぐに列の後ろに回り込んで出発しました。

FTR100の最序盤は、羊山公園のトレイルを少し走ってから住宅街の車道を真っ直ぐに走ります。
この住宅街を通るのは夜明け前で、静かに走ってはいるものの、自分達の物音で住人を起こしてしまわないか気にかかります。
次回があるとしたら、ここは熊鈴だけでなく、おしゃべりも禁止の区間にすればいいのかなと思いもします。
少しずつ明るくなるなか、A1橋立堂(土津園)には5:55頃到着しました。
ここまではハンドライトのみで充分でした。
簡単に食事をとって、6:00ちょい過ぎに出発しました。

A1出発後は、長い林道の先にある武甲山の登山口を目指します。
林道なので傾斜はきつくないのですが、だらだらとした登りが続きます。
ここは過去2回はそれなりにがんばって走っていたのですが、今年は気が向いたら走る程度にしておきました。
負傷や故障している箇所に、序盤から痛みが出てしまうのを避けるためでした。
また、気温が低いという予報だったので、体が温まるまでは無理せず行こうという考えもありました。

林道終点の橋から武甲山の登山道が始まります。
私はこの武甲山の裏側の山道が好きで、特に稜線に出てから山頂の直下までの道の、柔らかい雰囲気が気に入っています。
ただ、FTR100では、この付近で毎年、強い眠気に襲われます。
ハンガーノックというわけではなく、理由がよくわからないのですが、レースのための早起きの反動かなという気もします。
この眠気のために、2015年は武甲山頂の御嶽神社で、2016年は長者屋敷分岐の避難小屋で数分仮眠を取らなくてはなりませんでした。
今年の眠気の程度は、昨年までのそれよりも弱かったので、とりあえず歩き続けました。
とりあえず山頂まで行って、そこでまた考えればいいかなと思いました。
まだ序盤で、先は長いのです。

山頂の御嶽神社には7:34に到着。
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今年は山頂で雨が降っていなかったので、せっかくだからと山頂展望台にも回りました。
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秩父の市街地を一望。
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細長い、という印象です。
丘と丘の間の狭い平地に、街が挟まっています。
肌寒い曇天ではありましたがいい眺めでした。

問題の眠気は山頂に着いたら収まったものの、トイレに行きたくなってしまいました。
一口にトイレといっても、特に個室に行きたくなるのですが、武甲山頂のトイレにはこれで3年連続でお世話になりました。
眠くなって、トイレに行きたくなる。
武甲山とは私にとってそういう山です。
眠気も便意も起床時刻との兼ね合いが大きいのだと思いますが、それによってペースが上がらなかったり、休憩を余儀なくされたりしてしまいます。
その結果、長い時間を武甲山で過ごしています。
FTR100における武甲山の位置付けは、レース全体の最高標高地点で序盤のハイライトというところだと思います。
ただこれにレースの時間軸の視点を入れると、朝の寒い時間帯に、一番寒いだろう場所に向かって行く構図が見えてきます。
FTR100の武甲山は寒いのです。
本当は休憩なしで進んだ方が、体温の保持という観点からはよいということは承知しています。
でも、私は眠いうえにトイレに行きたくなるため、長時間の滞在が必然となります。
2015年大会で神社の軒下で仮眠したときはひどい寒さだったので、その経験を踏まえて、2016年は手前の長者屋敷の分岐にあるトタンの小屋で仮眠しました。
今年は仮眠なしで切り抜けましたが、トイレ休憩は避けられませんでした。
生理現象に悩まされる山、それが私にとっての武甲山です。
好きな山なのですが、なんだか悩ましいのです。

秩父の街から見る武甲山は、削られてしまってなお、白く荒々しい山体をさらけ出すことで偉容を誇っています。
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その姿も好きなのですが、街からは見えない、柔らかい雰囲気の山道も非常に魅力的です。
写真を撮っておけばよかったのですが、眠気と闘っているせいか、頭が回りませんでした。
晩秋の山はどこもそうなのかもしれませんが、落ち葉が敷き詰められた斜面には、日焼けした畳のような落ち着いた明るさを感じます。
山道の脇に積もった落ち葉をよく見ると、ふんわりと柔らかい布団のように見えます。
つまりは身を置いていて心地がよいのです。
というか、私の居室は畳の和室で、寝具は布団です。
落ち葉が畳であり布団でもあるならば、眠くなるのは必然であるかもしれません。
うーん、悩ましい。
とか言う前に、家で寝なさいという話ですね…。

天候の記憶と記録ーFTR100K2017

2017年11月18日のFTR100Kの参加者として、当日の天候や路面状況につき、ここに私の記憶を記録として残しておきたいと思います。
滑落事故の直接情報ではありませんが、今後の検証のために、周辺情報として残しておきたいと思います。
事故直後のネット情報の中で明らかな誤りを含む言説があり、明確に否定しておかなければならないと感じたことがこの記事を書く動機の一部になっています。
つまり、ここから先の内容には、そういうバイアスがかかっているのです。
その点は先におことわりしておきます。

事故直後に、こんな天候でレースを開催したことが一因ではないか、という主旨の言説が見受けられましたが、「こんな天候」とは一体何を指して言っていたのでしょうか。
当日の秩父地方の天候について、前日までの予報では雨もしくはみぞれでしたが、ふたを開けてみれば、雨もみぞれも降りませんでした。
気象庁の過去天気のサイトを私はよく利用しますが、2017年11月18日の秩父市には降雨も降雪も記録されていません。
それは秩父の市街地だけでなく、山もまた然りだと思います。
私の場合、事故現場近くの大持山に到着したのは8:50頃でしたが、肌寒い曇天ではあるものの、この時点で一滴の雨も感じませんでした。
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この写真では雨が降っていないことを完全に証明することはできませんが、見える通りの曇天でしかありませんでした。
こんな天候=肌寒い曇天です。
もし、天気予報だけを見て現地の天候が雨やみぞれだったに違いないという憶測で書いていたのなら、それは誤りであると私は思います。
肌寒い曇天ではトレランレースを開催すべきでないという主張であるならば、私は反対意見ではありますが、主張自体は否定はしません。
でも、私の憶測では、予報通りの雨やみぞれを想定した言説であると思います。
その私の憶測に基づけば、こんな天候でレースを開催したことが一因であるという言説は、誤りであると思います。

なぜ私がそういう憶測を持ったかと言うと、同じ記事の中で、山道が雨で柔らかくなっているという旨の記述が見受けられたことによります。
それが2017年11月18日の当該エリアのことを指しているのなら、その指摘は当たらないと私は思っています。
これについては写真はないのですが、今回私が通過したエリア(スタート・道の駅ちちぶ~A3名栗・さわらびの湯)で、雨でトレイルが柔らかくなっているような場所は、全くと言っていいほど印象に残りませんでした。
ただし、2015年、2016年のFTR100Kでは少なからずそういう場所はありました。
だからこそ今回は逆に、足元の山道がこれまでになくしっかりしているなという印象がありました。
雨で山道が柔らかくなっている、に関しては、私の記憶によれば、2015年や2016年を指して言っているのなら正しい指摘だと思います。
ただし、今回の事故と関連する文脈で述べることとしては、ズレているなと思います。
ズレているのは時間軸です。
1年あるいは2年ズレています。
なお、雨天時のトレランレースでトレイルを崩壊させてしまうことに関する懸念は、私も同様に感じるものです。
2016年のUTMFとFTRに参加した私としては、登山道を泥沼に変えた一味の一人として、罪悪感を持ち合わせています。
でも、それを今回の滑落事故に関連する文脈で持ち出すことは、やはり、ズレていると私は思います。

ここまで書いてきてもなお、本当に何が言いたいのかということが、私自身よくわかっていません。
ただ、確実に言えるのは、2017年11月18日の秩父・大持山周辺の天候が悪天候、具体的には雨やみぞれですが、悪天候であったとする言説は誤りです。
天気予報は確かに雨やみぞれでした。
それは、その予報に基づいてレースの準備をした私もよく知るところです。
でも、当日の現地は肌寒い曇天でした。
そういう根拠に基づいて、事故の一因を天候に求めることが妥当であるとは、私にはこの時点で考えることはできません。
事故直後は情報が少ないので、言説が不正確であることは、正直な話、否めないことはわかります。
今の私が、同好の士を亡くした喪失感によって、感情的になっていることも否めません。
でも、だからこそ、根拠に乏しい言説を看過することができないのです。
この事故には、これから様々な検証が行われると思いますが、検証という行為は、公的なものだけではなく、個人としての振り返りや総括もまた検証であると私は考えています。
だからこそ、私の理路では、現地の天候についての誤った言説を否定しておかなければならなかったのです。
今回の事故は、私の身に起きてもおかしくないことで、自分の事として受け止めています。
だからこそ、私の記憶と記録を書き残さなければならなかったのです。

そして検証という行為には、地に足の着いた、落ち着いた言葉が必要であることも理解はしています。
その点で、この記事を書いている私は、落ち着きを欠いているのだと思います。
自分の事として受け止めて、それでも荒ぶってしまう私は、まだまだ全然、修行が足りていないのだと私でも思います。
できれば荒ぶることなく、地に足を着けた記録としての記事を書けるように、いつかはなりたいと思います。