竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

あの鐘を鳴らすのはー遅ればせUTMF2016試走記Day1

先日UTMF2018の大会概要が発表されましたが、開催が4月末で冬が明けてまもないため、試走のタイミングが難しいのではないかと思います。
ならば、秋のうちにできることはしておきたいのが人情だと思いまして、多分UTMF2018のコースになるんじゃないかなと思われるエリアのことを、書き記したいと思います。
↓関連記事はこちら↓
☆UTMF2016試走記Day2
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2017/10/24/084017
☆UTMF2016試走記Day3
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2017/11/03/114047

私のそもそものブログの執筆動機の一部に、先達の試走記やレースレポートなどの山行記録に育てられた恩に報いたい、というものがありました。
ここで報いることができれば幸いなのです。
しかし、この記事で取り上げる山中湖~石割山~二十曲峠~杓子山のコースがUTMF2018でどういう扱いになるのか、まだわからない状況でもありますが、UTMF2018に向けて、何かしら役に立てばいいと思い筆を執ります※。
山行してないのでフレッシュな山ネタ不足なのもありますが、2年越しの過剰な自意識を放出したいと思います。
※その後、この記事で取り上げたコースが、河口湖↔山中湖折り返し区間の復路に当たることがわかりました。

2016年の9月にUTMF2016の試走を繰り返しましたが、主に山中湖~河口湖間の終盤エリアに行っていたため、結局短縮となったレース本番で走ることはありませんでした。
なぜ終盤の山中湖~河口湖間が多かったかというと答えは単純で、アクセスが容易でエスケープもしやすいからです。
ピュアなゴールドペーパードライバーである私には、車でなければ行けない場所に行く選択肢が、最初からありません。
その点、東京から高速バスで直接行くことができるこのエリアは、UTMF2016のコースの中でも抜群のアクセスしやすさがありました。
本栖湖も同様ですが、そういう意味で身近なトレイルであると言えます。
加えて路線バスや電車と山が近いので、エスケープも容易です。
本番前に無理をしたくない、でもトレーニングは積みたいという要望にピッタリな山域でした。

最初の試走は2016年9月3日(土)でした。
前日の仕事終わりに東京駅からの高速バスに乗り、河口湖には21時くらいに到着したでしょうか。
会社からは新宿よりも東京駅のほうが近いため、本数は少なめですが、終業後の移動には便利でした。
宿は大池公園に近いゲストハウスにとりましたが、主に外国人向けのため、宿泊の日本人は私一人でした。
ここはUTMF本番でも非常用の宿として確保しました。
基本ドミトリーでシャワーしかありませんが、その分安く、立地も便利な宿でした。
外国人観光客の様子も、見ているだけで面白かったです。
交流が好きな方はこの宿、ありだと思います。

翌朝、私にしては早起きして、河口湖駅から富士急電車で富士山駅まで乗っていきました。
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富士山駅からは御殿場行か何かのバスで、山中湖へ向かいました。
バスでは須走から試走される方と一緒になり、何かしらお話ししたと思いますが、よく覚えていないのです。
実は記憶が曖昧です。
なにぶん去年の話なので、写真はあっても情況を覚えていないのです。
記録はあっても記憶はないのです。
まあ、そのどっちもないどこかの国の官庁よりはましですかね。
ともあれ、書きながら、現時点での印象を整えていくしかありません。

私は山中湖旭ヶ丘で下車し、とりあえず湖畔へ。
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鉛色の湖面に浮かぶビッグスワンにご挨拶。
この時点で7:43でした。
山中湖旭ヶ丘からロードを湖に沿って走り、A7予定地の山中湖きららを通過してしばらく道志村方面に走ると、石割山の登山口に到着します。
本格的な山の試走の始まりです。
とりあえず砂利の林道を登り詰めていき、分岐では石割山ハイキングコースを選びます
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鎖があっても人は乗り越えてオッケーです。
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この時点で8:45頃でした。
石割神社はそこからほどなく到着します。
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DVDなどでよく観ていましたが、実物はやはり迫力が違いました。
石割神社には9:00頃の到着で、石に挟まってみたりペタペタ叩いてみたり、ひとしきり遊んでから出発しました。
そこからは狭くて若干もろい土の登山道を、途中急な登りを挟みながら山頂まで進みます。
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9:15頃の到着でした。
山頂からの景色はこんな感じ。
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めちゃめちゃ近いはずの富士山も、まだ雲の中にいます。

ここからはA8予定地の二十曲峠に向かう下りになります。
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晴れていれば素晴らしい景色なのでしょう。
晴れていれば…。
下りきると二十曲峠に到着します。
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石割山の山頂からは20分弱でした。
ここには常設のトイレもあり、一息いれるには適していました。
たしかチップ制だったような気がするので、小銭の用意はお忘れなく。
ここからは杓子山に向かいます。

このエリアは、道が広くて足下も脆くなく、快適に走れるトレイルでした。
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しかし、この日はまだ人間の通行が少なかったようで、途中何ヵ所か獣の匂いが濃厚な場所がありました。
そういう場所では匂いを感じた瞬間、戦慄に似たような緊張が全身を走るのがわかりました。
私のような人間にも、一抹の野性が残っているのかもしれません。
また、この9月の初旬という時期、山はキノコの季節のようで、この日に限らず印象的なキノコに出会いました。
なかでもこの子。
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毒なのか、毒々しいだけなのか。
鮮やかな色で圧倒的な存在感を放っていました。
てか、かじったの誰?

トレイルの道標は手作り感のあるものから立派なものまで様々でしたが、要所要所には配置されていました。
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確かここで一人に抜かれました。
STY2016の参加者だとおっしゃってました。
このエリアはSTYの後半にあたります。
なぜかこの日出会った試走者は、皆STYランナーでした。
この道には途中何ヵ所か、忍野へエスケープ可能なポイントがあります。
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ここは恐らく立ノ塚峠、忍野に下りればバスに乗れます。
先程のポイントから20分ほど進むと、斜面が急になります。
UTMF反時計回り名物、終盤の杓子山急登の始まりです。
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ロープのあるこの辺りにたどり着くと、傾斜がきつくなります。
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ここが一番きつかったかもしれません。
15分くらいきついエリアが続きましたが、急登もやがて終わりがやって来ます。
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ここできついのはおしまい、気持ちよいブナ木立のトレイルを走ります。
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距離は短いのですが、この稜線はとても気持ちのよい道でした。
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でかいブナも生えています。
途中で富士山の眺望がよいだろうと思われる場所がありますが、
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御大はまだ雲の中。
気持ちいいな、もっと走りたいなと思っているうちに、杓子山に到着です。
11:00ちょっと過ぎだったと思います。
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杓子山といえばあの鐘です。
UTMF2013のDVDで、セバスチャンが鳴らしていたような記憶があるのですが、山頂のあの鐘を私も鳴らしました。
富士はまだ雲の中、あの鐘を鳴らすのは私。
鳴らしたところで何が起こる訳でもないのですが、楽しいことは楽しいのでした。
富士山は11時過ぎになっても姿を見せてはくれませんでした。
こちとら早起きなのに。
山頂でタープを張ってずっと富士山が出てくるのを待っていた方もいらっしゃいましたが、見れぬものは見れぬのです。

朝起きてから時間も経っていたため、杓子山で軽い食事を摂って大休止しました。
といってもせいぜい15分ほどだと思います。
下り始めて間もないところに、ハンググライダーの飛行場がありました。
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富士山に向かって飛んで行きたい。
と自然に思えてしまうほどの、絶好のロケーションでした。
晴れた日は本当に気持ちいいでしょうね。

ここからの下山道は不動湯方面へ林道を下り、途中で古い山道に入るコースを取ります。
道標は不動湯を指示していますが、どこかで曲がって古道に入らなくてはなりません。
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そのどこかを探しながら下っていきます。
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不動湯方面の道標に従うのはよいのですが、従い過ぎて本当に不動湯に下りてしまうのはロストです。
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私は見事に不動湯に到着してしまいました。
まさかの試走ロストです。
地図もちゃんと持っていたのですが、どこで山の中に入るのか、さっぱりわかりませんでした。
暑くて戻る気も起きなかったので、仕方なく林道をたどって里に下りました。
試走ロストからの試走DNFです。
本当は最低でもA9予定地の富士小学校までは行きたくて、調子がよければフィニッシュまで行こうとも目論んでいました。
それでも、こんな理由のわからないミスをした日は無理をしないほうがいいと思い、すっぱり諦めました。

山から下りた先の富士吉田の里はすっかり晴れて、バッチリ暑くなっていました。
暑さに弱いトレイルランナーである私は、やはりやめてよかったと思いました。
のどかな田園地帯を走っていると、時折、パーンッ!という爆竹のような破裂音が響いてきました。
たぶん獣避けの効果音なのでしょうが、慣れるまでは音が鳴るたびにビックリしていました。
田んぼは荒らしませんから赦して…。
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鎮守様という趣の神社を通りすぎたり、途中、下山してきたSTY試走ランナーとおしゃべりしながら走ったりして、エスケープ先の富士急下吉田駅に向かいました。
下吉田駅は快晴。
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落ち着きのあるよい建物でした。
コーラで試走ロストを労います。
今日間違えても、本番に間違えなければそれでいいのです。
その本番では、誰一人あそこまでたどり着きませんでしたが…。

河口湖駅に戻る電車はトーマス電車でした。
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たぶんレアな経験だったと思います。
河口湖駅から荷物を預けている宿に戻る途中、スタート/フィニッシュの大池公園の下見を少々しました。
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この駐車場は大会当日、必携品チェックと荷物預かり場所になりました。
公園を抜けて河口湖に一歩踏み込んだら、この日はフィニッシュ。
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試走ロストからの試走DNFという1日でしたが、1年経って嫌な思い出がないので、まあよしとしましょう。
地中海ブルーと言えなくもない河口湖。
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写っている河口湖大橋、私にとっては「約束の橋」でしたが、結局本番で渡ることはありませんでした。
それでも、この日は総じて気持ちのよい1日だったんじゃないかなと思います。
よく覚えていないけど…。

この日に走ったコースは、総じてよく整備された山道で、試走以外でも走りに行ったら楽しいだろうなと思います。
アクセスとエスケープ(本当はロストなのですが)の容易さの、どちらも身をもって体験できました。
杓子山のあの鐘をガンガン鳴らしたいと言っていた友人もいたので、あの鐘を鳴らすのはあなたツーリングもありのような気がします。
ガンガン鳴らしたらロストしちゃいましたが、もし鳴らさなかったとしても結局ロストはしてたと思います。
本番で来ることがなかったのが残念でしたが、いつかまた、あの鐘を鳴らしたいと思います。

思いと安全ーUTMF2018に向けて3

間がずいぶん、半年近く空きましたが、UTMF2018への思い入れ第3段です。
ちょうど山ネタが枯渇していることもあり、過剰なまでの思い入れに、ある程度の区切りをつけてみたいと思います。

どうしても、UTMF2016の経験の総括が自分自身できていないのですが、まとめられないなりに私見を書き連ねます。
また、この記事を書く上で、2017年3月27日に栃木県の茶臼岳で起きた雪崩事故が大きな動機となっています。
実は、この記事を書き始めたのは3月の上旬からでしたが、なかなかまとめることが出来ないまま放置していました。
そのうちにあの遭難事故が起きました。
それが自分の経験と重なる点があったため、さらにまとめられなくなりました。
そして、もう8月も半ばを過ぎ、まだまだまとまってはいないのですが、それでも過剰になってしまった思い入れの一端を放出したいと思います。

あの雪崩事故の報道に接する度に、自分がUTMFで経験したことに構図が似ているなと思い、何かを書き残さずにはいられなくなりました。
でも、今回は落ちをつけられないテーマで、たぶん投げっぱなしで終わるのだと思います。
また、他者への批判ととられてもおかしくない内容が多々含まれます。
批判することが悪いことだとは微塵も思ってない私ですが、過剰な思い入れの言葉は時に、誰かに不快感を抱かせる言葉となって現れるかもしれません。
そこだけは気になりますが、書いてしまったものは書いてしまったのです。

安全という面で大きな関心があるのは、大会の開催可否の判断基準についてです。
UTMF2016もSTY2016も、スタートしたことの是非の検証が改めて必要なはずです。
UTMFでは、気象警報発令中の地域に向かってスタートし、再度の短縮はありながらも、レースはとりあえず成立しました。
かたや、STYは気象注意報の発令下でスタートして、重大な事故につながりかねないコース状況の悪化で、レース中止に追い込まれました。
UTMFでは、天子山地に向かう途中にある涸れ沢が増水して危険な状況だったことを把握したため、スタート延期かつコース短縮となりました。
その判断ができるのなら、なぜSTYコース上にある涸れ沢が、天子山地同様に危険な状況に陥るという予想ができなかったのでしょうか。

私が一番気になっているのは、前日に大雨警報によってレース短縮を余儀なくされたことが、かえって「大雨注意報ならば大丈夫」というバイアスになっていなかったかという点です。
これは茶臼岳の雪崩遭難事故にも繋がるバイアスで、かの事故も雪崩注意報ならば「経験的に絶対安全」という、論理的に破綻した判断が引き起こした遭難でした。
脱線しますが、経験は過去のものでしかなく、未来予測の際に「絶対」というものを導けるものではないはずです。
それは経験からの類推の営みである科学ですら、絶対を保証しないのと同じことだと思います。
「経験的に絶対」という理路は、それこそ絶対に成り立たないのです。
こういう判断の仕方は危険であると、自戒をもって肝に銘じたいと思います。

で、STYです。
スタートさせなければ雷で危険だったという判断があったということは、その後の報告や報道で目にしました。
しかし、それが適切だったとはどうしても思えなかったのです。
むしろ、雷が迫るなかスタートするほうが危ない気がしたのです。
雷避けの施設がないことを理由にあげていたと思いますが、富士山こどもの国にはUTMF用のエイドステーションの準備がされていたはずです。
何とか、エイドと他の施設で選手を収容することはできなかったのでしょうか。
そもそも、トレイルランナーは登山者です。
登山者であれば、あの天候で不要不急の山行に出発するのでしょうか。
合理的に判断できる状況ならば、私は行きません。
それはUTMFにも言えるのです。
気象警報が発令されている地域に向かって、私達は突っ込んでいきました。
登山者としてそれは正しかったのでしょうか。
私は、今なら正しくなかったと思うことができます。
結果オーライではありましたが、それではよくないのです。
この問題は難しいのです。
正直、走れてよかったと思ってはいますし、あのフィニッシャーベストは宝物と言っても過言じゃありません。
そして、走らせてくれてありがとうと言っていた方の気持ちにも共感しています。
でも、やはり、それで済ませてはならないのです。
なぜならば、いわゆる「思い」が、私たちの判断を狂わせるからです。

私が一番心配なのは、現在のトレイルランニングレースが、全体的に、関係者の「思い」を重視し過ぎているのではないかということです。
思い無くして、楽しみも達成感も何物も成立しないのは重々承知しています。
そもそも、私は思いが過剰な人間です。
しかし、もしも、UTMFとSTYのスタートが、ランナーの走りたいという思いに応えるという動機があったのなら、それは合理的な判断を阻害する要因であると私は思います。
参加者の思いを主催者が汲んでくれることは、本当にありがたく、嬉しいことだと思います。
スタッフの思いも、参加者のそれよりもむしろ強いものであることは理解できます。
でも、「走りたい」「走らせてあげたい」という人間の「思い」が、ひとたび荒ぶってしまった自然の前では無力なことを、私を含めたUTMF/STY2016の関係者は身をもって知ったと思います。
状況によっては、「思い」は置いておいて、登山の安全原則に従うべきです。

茶臼岳の雪崩遭難事故について、詳しく知ることができないでいますが、現場の責任者がもっと「思い」にとらわれずに判断することができていれば、あの高校生達と若い教員は亡くなることがなかったのかもしれません。
山好きであろう彼らと、どこかの山で巡り会ったかもしれない未来を、私たちは喪ってしまったのです。
そのことがとても、残念でなりません。
心が痛みます。

たまには、やめる勇気を。
鏑木さんの「楽しむ勇気を!」のパロディーでしかないかもしれませんが、「思い」に引きずられず、やめる勇気を持つべき時には持つべきと思います。
「思い」は、生きてさえいれば持ち続けることができます。
そして、生きて「思い」を持ち続けるために、やめるときはやめるのです。
全ての登山者が当たり前のように持つ勇気であってほしいと、私は強く思います。
やめる勇気は、登山のカテゴリーにあたるトレイルランニングレースにおいて、私が大切だと思う心持ちの一つなのです。
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UTMF2016の足和田山から見た富士山です。
レース中にこの富士山を見ることができて、とても嬉しかったのは事実です。
でも、例えレース中止という状況でこの富士山が見られなかったとしても、私はそれを受け止めることができるトレイルランナーでありたいと思います。
現時点では、UTMF2018へのエントリーを考えてはいませんが、いつかはまた参加したいと思います。
そして、いつかこの地に帰る、生きてそう思えることは、やはり幸いであると思います。
待っててください、富士様。
じゃなくて富士山。

過剰なものを鎮める

このお盆もカレンダー通りに職場に通っているのと、故障のために山行を控えているため、新たな山ネタを仕入れることができませんでした。
コンパス、ドライサック、テントなど、小さなものから大きなものまで買い物はしましたが、まだ思い出はもちろん、あふれるほどの思い入れがあるわけでもなく、いずれ何かしら書くことができればいいと思います。
9月10日の信州戸隠トレイルまでに、1度だけ山に入る機会があるので、それは記録に残したいと思いますが、ちょっと先のお話です。
今は私がブログを始めてから考えていたことをつらつら書いてみたいと思います。

先の記事で、百日紅の過剰なまでの生命力の発露に感服しているという話をしました。
しかし、過剰であること全てを肯定しているわけではありません。
過剰なものを放出することで発露される表現に、私は自ずと心を揺さぶられてしまう、というのが近いと思います。

過剰ということであれば、ブログに書かれる言葉もまた、過剰なものといって過言ではないように思います。
特に私は、自分の意識に上った言葉を全て記録したいという無茶な願望を持っている節があり、どうしても書き言葉が過剰になります。
ただし、そうした過剰な言葉たちによって得られるものがあると思います。
私がトレイルランニングを始めてから6年が経とうとしていますが、その間、山の知識やレースのレポートなどが書かれているブログに、どれだけお世話になってきたことでしょうか。
恐らくはブログなど書かなくても人生には支障がないのに、あえて書いている人たちがいます。
そこに並べられた言葉たちは、筆者の人生の必要最低限ではなく、それを越えて言葉にしたい何かたちの表現であり、私はそれを過剰な言葉たちとして受け止めています。
余剰の言葉といってもいいかもしれません。
そうした過剰や余剰によって私は、足りないものを補い、知らないことを知り、想像すらしたこともないことについて考えることができるようになったと思っています。
実際に山に行くのと同じくらい、他人の言葉を読むことによっても自分のなかに蓄積していくものがあると、しみじみ思っています。
先達たちがその身の内に抱えていられなくなった、過剰だったり余剰だったりする言葉によって、私の世界は拓かれていきました。
このことには大きなありがたさを感じています。
101本の記事をこれまでに書いてきて、私自身の過剰な言葉が、同じように誰かの役に立っていれば、これは大変な幸いだと思っています。

ただ、誰かの役に立つことがこのブログの至上命題かと言われればそれはノーで、あくまでも自分のために、過剰な言葉たちを鎮めているのです。
私は昔から自意識過剰でしたが、それを特に何かで表現するような人間ではありませんでした。
ただ、そのことで色々と溜め込んでしまって、それが問題となっていることもあります。
今の私は、この場を利用して過剰な自意識を放出することで、自意識のバランスを整えているのだと思います。
私の身の内に溢れる過剰なものを、言葉に乗せて解き放てば、私自身がそれに押し潰されないですみます。
このブログは、私にとってはそうした意味合いのものです。
当初は薄れてゆく記憶を補い、かつ、今までにお世話になった先達と同じように、情報源として役に立つようなブログになればいいなと思っていました。
101本の記事を書いてきて思うのは、当初の目論見よりも、私は私の過剰なものを放出することを一番の目的としているのだ、ということです。
これからも恐らく、私は過剰な自意識を放出し続けるのだと思います。
私に限らず、過剰なものが放出されて、その過剰が誰かに何かをもたらす世界を、私は豊かな世界だと思います。
世界は過剰で、豊かであって欲しいと思います。
そして私は、世界がそのようであることを支える人間でありたいと思います。
とはいえ、この御大には、過剰なマグマを放出しないで欲しいものですが…。
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