竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

原風景ーcoast to coast 2017余録1

本当は高尾山天狗トレイル2018のレポートを書こうかと思っていたのですが、こちらのレポートがまだ終わっていないのです。
"coast to coast"という言葉の本場アメリカでは、大西洋から太平洋、北米大陸東海岸から西海岸まで(逆でもいいのでしょうが)を指すようです。
この~coast to coast~房総半島横断という大会では、房総半島を東から西へ横断し、太平洋側の外房から、東京湾側の内房への道のりを行きます。
規模は違えど、東海岸と西海岸を繋ぐことには変わりありません。

今回、この東海岸から西海岸への旅で自覚したのは、私の原風景についてでした。
出発の地、小湊は太平洋に臨む東海岸です。
f:id:CHIKUSENDO:20180112220747j:plain
まだ昇ってはいないものの、太陽が控えている朝焼けの海です。
翻って到着地、東京湾に臨む金谷は西海岸です。
f:id:CHIKUSENDO:20180112221228j:plain
夕焼けの海に太陽が沈みます。
この海と太陽の関係が、東海岸と西海岸では違うということに、改めて気づかされました。
もちろん北海岸、南海岸ともまた別の違いがあるのでしょう。
ただ、今回は東と西についての気づきです。
それは、私が房総半島の西海岸で育った人間だからです。

西海岸で育った私にとっては、太陽は海に沈むものです。
しかし、東海岸で育った人達にとっては、太陽は海から昇るものです。
私の場合は正確に言えば、太陽は海に直接沈むのではなく、海の向こうの陸地に沈みます。
f:id:CHIKUSENDO:20180112235719j:plain
それでも、夕陽と海との組み合わせが私の原風景であることには変わりありません。
砂浜で日の出を拝んで「日本の夜明けぜよ!」的な思いを持つことは、西海岸育ちの私にとっては自然なことではありません。
それは、太陽が海から昇るものではなく、海に沈むものだからです。
当たり前のことなのですが、身体にしみついた感覚とはなかなか自覚ができないものです。
夕陽と海にノスタルジーを覚えるのは、それが西海岸に育ったものの原風景だからです。
これが、他の大陸や島国の西海岸で育った人たちにとっても、同じく原風景なのでしょうか。
もしそうならば、原風景の共有という視点で世界を見れば、潜在的に世界中でノスタルジーを感じることができるのかもしれません。
そして、世界中に潜在的な同郷の志がいるのかもしれません。
どんな原風景でも構わないのです。
なにか共有できるものがあれば、それだけで仲間になれる可能性があります。
西海岸の夕焼けの海に、郷愁と、拝啓ジョン・レノン的な世界とのつながりを感じました。
東京湾だって海には違いないので、リアルに世界と繋がってますしね。

なんか、ポエムでどうしようもないのですが、ポエムが必要な時期は人生のどこかにあります。
不惑を目前にして思ったことを思ったように書ける自由が、正直に嬉しいです。

郷愁を共有することで世界中の人達と仲間になれるのなら、世界平和も夢ではないと思いますよ。
39歳なのにいつまでもポエマーなんだよな…。
でも、そんな自由がやはり嬉しいです。

今年もこけ初めー高尾山天狗トレイル2018速報

昨日1月14日の高尾山天狗トレイル2018に参加して、それなりに無事に完走しました。
2時間37分台のフィニッシュで、今回のコースになってから、過去ワースト2のタイムでした。
途中、景信山からの下りを半ば過ぎたところで転倒して両脚を強打し、小仏峠の登り返しまでは痛みでろくに走れませんでした。
でも、1日明けていつも通りの筋肉痛があるだけなので、大事には至らなかったようです。

ウルフルズに「暴れだす」という歌があります。
私の大好きな歌という次元を通り越して、魂の歌だと思っている歌なのですが、その歌詞に「大人になって やることやって ケガの数だけ小さくなって」という1節があります。
昨年このレースで転倒して半年近く影響が残る大ケガをした私ですが、今年も転倒したにもかかわらず、昨年ほどは大きな影響を残さずに済みそうです。
それは、昨年の轍を踏まないという意志を持って今年に臨んだからだと思います。
その分慎重に進んでいたため、自分の限界に挑むことはできませんでした。
ケガを避けるために、小さくなった走りで進まざるを得なかったのです。
それでもまたケガをしましたが、走りが小さくなった分、ケガも小さくなりました。
成長とは言えませんが、小さくなることすなわち悪いこと、ではないのだ、という収穫がありました。
来年もこりずに出たいと思いますが、こけるのは打ち止めにしたいものです。
そんな風に考えていれば、もっと小さいケガで済むかな。

最後が山だーcoast to coast 2017レポート4

もう2018年になって久しいのですが、~coast to coast ~房総半島横断2017のレースレポート第4段です。
レースから大分時間が経ったため、記憶が弱まりつつあります。
しかし、そろそろフィニッシュしないと、初詣山行や新春雪山山行、さらには高尾山天狗トレイル2018など、ネタが渋滞しているため、余計に首がしまることになります。
いい加減にフィニッシュを目指します。

記事はいい加減に目指しますが、レース本番の私はA4を13:00くらいに出発しました。
出発からしばらくは林道だったと思いますが、いつの間にか広い山道に入っていました。
最初に登り続けた後にゆるいアップダウンを繰り返し、その後にまとまった距離を下るようなコースレイアウトでした。
その下りの途中から山道に変わったような記憶があります。
林の中の広い土の道を下りきって、ちょっとした川を越えて少し登り返した先に、現場が広がっていました。
coast to coast名物、鋸山採石場跡の特撮現場です。
f:id:CHIKUSENDO:20180111084516j:plain
今にもショッカー的な皆さんや、色とりどりの全身タイツ、バッタ風バイク乗りなどが現れそうです。
非常に限定された意味ではありますが、これも日本人の原風景なのかもしれません。
ただ、少し角度を変えると、これがグランドキャニオンに見えなくもないかもしれない…。
f:id:CHIKUSENDO:20180106100143j:plain
房総のグランドキャニオン。
蔵王みたいにお釜もあります。
f:id:CHIKUSENDO:20180106100512j:plain
房総のお釜。
ちょっと無理がありますが、人造の風景とはいえ、表情の豊かさを感じました。

お釜の近くにあるA5は約59km地点で、14:25頃の到着でした。
残りは8km程です。
日没は16:30過ぎなので、日没前のフィニッシュという目標は達成できそうです。
また、10時間切りのフィニッシュも見えてきてしまいました。
今年最後のレースくらい欲張ってもいいのかなと思い、目標を10時間切りに再設定します。
ケガと故障で全然走れなかった、というより、走らなかった2017年でした。
最後くらいガチで走らなければバチが当たります。

A5を出て少し林道を登ってから、鋸山の尾根道に入ります。
鋸山には何回か友人Aさんと走りに来たことがあるので、何となく勝手はわかっていたはずなのですが、レースで急いでいるとなると感触が変わってきます。
この辺りはハセツネの前半のようなアップダウンが繰り返されます。
60km過ぎてからのアップダウンは、さすがに脚にこたえました。
それまでロードや未舗装林道の走りやすさになれてしまっていましたが、最後になって厳しい山道が待っていました。
でも、目標を設定し直してしまったので、急ぐしかありません。
最後が山です。
振り絞るのみです。

それにしてもこの日は晴れの時間が長く、眺めのよい1日でした。
山頂の手前の展望台から、南西の鋸南町方面を望みます。
f:id:CHIKUSENDO:20180106100622j:plain
振り向けば、
f:id:CHIKUSENDO:20180106100730j:plain
房総のお釜。
景色がよいとそれだけで楽しくなるから不思議です。
到着した山頂には、「房州低名山」。
f:id:CHIKUSENDO:20180106100845j:plain
わざわざ「低」を標榜する必要はあるのでしょうか?
謙虚に過ぎます。
でも低くても山は山なのです。
目を上げると青い東京湾が。
f:id:CHIKUSENDO:20180106101056j:plain
私はこの東京湾北部の工業地帯の埋め立て地で、味噌汁のような褐色の海を見て育ちました。
この青い海も同じ海なのだから不思議です。
もしも私がこの青い東京湾で育ったならば、今どんな人生を送っているのかな、ふとそんなことを今にして思います。

鋸山は江戸時代頃から採石業が盛んで、昭和の頃までは操業していたそうです。
さっきの特撮現場もお釜も採石場の跡です。
山頂から下りる途中にも、石切場の跡を通り抜けます。
f:id:CHIKUSENDO:20180111201540j:plain
この写真は2016年の夏に撮ったもので、今回は撮っていません。
ただ、よく「ラピュタ」のようだと言われているこの一画を、このレースでも通ります。
よく見ると石に彫りかけの標語が残っていて、それが失われた産業の爪痕のように思われます。
ラピュタを過ぎるとずっと下りです。
岩の上に落ち葉が積もった山道がしばらく続きます。
落ち葉は乾いていても滑りやすく、心身ともに消耗しました。
そして、その先には階段地獄が待っています。
しかも段の幅が狭く、足の大きい私には足の置き場がなく、リズムが全くつかめませんでした。
それでも、10時間を切るには急がなくてはならないので、私にしては珍しく力を振り絞りました。
ようやく終わりが見えてきた観月台で一息入れて、フィニッシュの金谷港を望みます。
f:id:CHIKUSENDO:20180106101135j:plain
画面右の海上には、白く東京湾フェリーが浮かんでいます。
前日は強風で欠航しましたが、この日は風は強いものの、運行できたようです。

観月台からは数分もしないうちに下山しました。
もうフィニッシュは近いと思っていた私ですが、コースは町の通を右へ左へと曲がって行きます。
たまらなくなって地図でコースを確認すると、まるで金谷の町を彷徨うようにルートが引かれているのです。
わー、市中引き回しだー!
なんて、心の中で悲鳴を上げました。
私はこういう、狭いエリアをぐるっと回らされるコースが苦手です。
例えば美ヶ原80Kの長門牧場、信州戸隠の戸隠牧場などの引き回しコースは、いつもげんなりしながら走っています。
これらのどれもがフィールズのレースなのは、果たして偶然でしょうか…。
この金谷の町中でも、もちろんげんなりしました。
けれど、もうフィニッシュまでは3kmほどで、しかも10時間を切るには、とにかく進む以外の選択肢はないのです。
とりあえず気力が戻るのを待ちながら、早歩きで町を通り抜けます。

げんなりしながらも町を抜け、バイパスのような大きい道路に出る時に、誘導のスタッフが「あと2.3km!」と声をかけてくれました。
この声でスイッチが入りました。
時計を見ると、10時間を切るにはあと20分しか余裕がありません。
たぶん大丈夫だろうけど、この先また引き回されたら、今度こそ気力がなくなるかもしれない。
ちょうど目の前には、下り基調の長いトンネルが見えています。
あー、走っちゃえ。
心の声はこれくらいのいい加減さでした。
それで走り出したら意外と脚が残っていて、スピードに乗ってしまいました。
また、前の選手に声をかけて抜かせてもらいながら走っているうちに、なんだか引っ込みがつかなくなりました。
せっかく抜かせてもらったんだから頑張らねば、みたいな、よく分からないベクトルの義務感が生まれてしまい、余計にスピードが上がります。
トンネルを抜けて海に向かう道でも、海沿いをフェリー乗り場のフィニッシュに向かう道でも、スピードを緩めずに走ります。
もう10時間を切るのは確実だろうとは思っていましたが、時計は見ませんでした。
このときはスピードを緩める気が全く起こらず、時計を見ることで、そのきっかけを作ってしまうことも嫌だったのだと思います。
もう最後だし、走りたいだけ走りたかったのだとも思います。
結局、ゲートの少し手前からスピードを落として前の選手のフィニッシュを見届け、最後は歩いてフィニッシュしました。
9時間51分台、2017年のレースが終わりました。
f:id:CHIKUSENDO:20180106101453j:plain
ラストの2.3kmは11分で走りました。
レース最終盤でここまで走れるなんて全く思っていませんでした。
まあ、ペース配分を全く考えなかったという点で、完全に暴走だと思います。
ただ、ケガと故障でろくに走れなかった2017年の最後のレースで、残っていた脚を大放出できたのは純粋に嬉しかったです。

到着の地、金谷の夕景。
f:id:CHIKUSENDO:20180106101559j:plain
金谷は、鋸山から切り出した石を運び出す港町として栄えた歴史があります。
夕陽には一日の終わりを感じますが、一年のレースが終わった感慨を、この日は強く覚えました。
思う存分に走れるのはいいもんだな、と、改めて思います。
もちろん走る以外のことでも、思う存分に何かをできることは幸せなことだと思います。
2018年はケガも故障もなく、思う存分に何かをできる年になればよいなと願うばかりです。
そのために、まずは、レース初めの高尾山天狗トレイル2018でこけないことを誓わなくてはなりません。
今年はこけませんよ。