竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

原風景ーcoast to coast 2017余録1

本当は高尾山天狗トレイル2018のレポートを書こうかと思っていたのですが、こちらのレポートがまだ終わっていないのです。
"coast to coast"という言葉の本場アメリカでは、大西洋から太平洋、北米大陸東海岸から西海岸まで(逆でもいいのでしょうが)を指すようです。
この~coast to coast~房総半島横断という大会では、房総半島を東から西へ横断し、太平洋側の外房から、東京湾側の内房への道のりを行きます。
規模は違えど、東海岸と西海岸を繋ぐことには変わりありません。

今回、この東海岸から西海岸への旅で自覚したのは、私の原風景についてでした。
出発の地、小湊は太平洋に臨む東海岸です。
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まだ昇ってはいないものの、太陽が控えている朝焼けの海です。
翻って到着地、東京湾に臨む金谷は西海岸です。
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夕焼けの海に太陽が沈みます。
この海と太陽の関係が、東海岸と西海岸では違うということに、改めて気づかされました。
もちろん北海岸、南海岸ともまた別の違いがあるのでしょう。
ただ、今回は東と西についての気づきです。
それは、私が房総半島の西海岸で育った人間だからです。

西海岸で育った私にとっては、太陽は海に沈むものです。
しかし、東海岸で育った人達にとっては、太陽は海から昇るものです。
私の場合は正確に言えば、太陽は海に直接沈むのではなく、海の向こうの陸地に沈みます。
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それでも、夕陽と海との組み合わせが私の原風景であることには変わりありません。
砂浜で日の出を拝んで「日本の夜明けぜよ!」的な思いを持つことは、西海岸育ちの私にとっては自然なことではありません。
それは、太陽が海から昇るものではなく、海に沈むものだからです。
当たり前のことなのですが、身体にしみついた感覚とはなかなか自覚ができないものです。
夕陽と海にノスタルジーを覚えるのは、それが西海岸に育ったものの原風景だからです。
これが、他の大陸や島国の西海岸で育った人たちにとっても、同じく原風景なのでしょうか。
もしそうならば、原風景の共有という視点で世界を見れば、潜在的に世界中でノスタルジーを感じることができるのかもしれません。
そして、世界中に潜在的な同郷の志がいるのかもしれません。
どんな原風景でも構わないのです。
なにか共有できるものがあれば、それだけで仲間になれる可能性があります。
西海岸の夕焼けの海に、郷愁と、拝啓ジョン・レノン的な世界とのつながりを感じました。
東京湾だって海には違いないので、リアルに世界と繋がってますしね。

なんか、ポエムでどうしようもないのですが、ポエムが必要な時期は人生のどこかにあります。
不惑を目前にして思ったことを思ったように書ける自由が、正直に嬉しいです。

郷愁を共有することで世界中の人達と仲間になれるのなら、世界平和も夢ではないと思いますよ。
39歳なのにいつまでもポエマーなんだよな…。
でも、そんな自由がやはり嬉しいです。