竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

食いしん坊日月抄ーFTR100K2017余録

2017年のFTR100で食べたもの達の記録です。
ジェルの類いは、何を何本食べたか忘れてしまったので省いています。

スタート前、朝食に加えてちちぶ餅を1つ。
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秩父に来たら必ず食べています。
美味しゅうございました。

A1橋立堂・土津園では、しょうがおにぎり。
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初めて食べましたが、美味しゅうございました。
体の中から温まるようにとの配慮も嬉しいです。

A2有馬山は、おいなりさんとワインゼリーを。
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いつも思いますが、このワインゼリーは絶品です。
おいなりさんも美味しゅうございました。

A3名栗・さわらびの湯では名栗の郷土料理、しばづと。
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ちまきのような食べ物です。
私は例年、名栗のエイドでこれを食べるのを楽しみにしていました。
また食べられるかな。
ランナーストップの後に、一人一個までの制限がなくなって大盤振る舞いされました。
そのときカレーと一緒に食べたのですが、これまた美味しゅうございました。
ここには名栗まんじゅうもあります。
黒砂糖と白砂糖の二種類があり、どちらも美味しゅうございます。
大盤振る舞いの時にはラップにくるまれていて、持ち帰りやすいようにしてくれていました。

どのエイドでも郷土の美味しいものが食べられる、FTR100Kにはそういう楽しみかたもあります。
用意してくれた皆さま、ごちそうさまでした!

また逢う日までーFTR100K2017レポート4

FTR100K2017のレポート第4段です。
記事上の私の所在地はスタートから35km弱進んだA3名栗・さわらびの湯、日時は2017年11月18日12:40頃でスタートからは7時間40分ほど経過していました。

予定時刻を過ぎて到着したA3名栗ですが、元々ここでは30分程の大休止をする予定でした。
その時間を短縮すればよいか、くらいに考えながら、補給と食事とマッサージ(自分で)と、あれこれこなしていました。
A3の大テントにはだるまストーブがあったので、前に陣取って故障部位などを入念にほぐしました。
大休止の目的は、このマッサージに時間を使うことにあります。
準備播但線、じゃなくて準備万端となったところで一度エイドアウトしようとしてテントを出ました。
13:00ちょうどくらいだったと思います。
しかし、テントの中から「コーヒーができました」的な声が聞こえてきたため出戻りました。
ただの飲んべえなだけでなくコーヒー飲んべえでもある私は、もう既に一杯飲んでいたのですが、外でも飲みながら歩きたくなってしまったのです。
余談ですが、私はエイドアウトの際、何か食べながら、何か飲みながら、歩いて出発する、というルールを自分に課しています。
その目的は、究極的には「慌てない」というところにまで集約されますが、少し細かく考えると「動作や状態の移行を緩やかに行う」というところなのだと思います。
これは以前友人Aさんとのおしゃべりの中で得たアイディアで、以来、私のテーマともなっています。
いつか詳しく考えてみたいと思いますが、今はその日の名栗の話を進めたいと思います。

エイドに戻った私は、お目当てのコーヒーを手に再度エイドアウトしようとしました。
ところが、スタッフに、出発しないで待っててもらえないか、と頼まれました。
何らかの事情でレースが止まっているので、再開まで指示を待ってほしいとのことでした。
13時を少し回った頃です。
再度テントに戻って待っていると、エイドの責任者の方がやって来て、レースが中止になった旨のアナウンスをされました。
エイドアウトをストップしてから、中止のアナウンスまでは長くても7,8分かかっていなかったような気がします。
事故で大会を続けることができなくなったという趣旨の話があったように思いますが、何かの記憶と混同しているかもしれません。
ただし、詳細は明かされなかったものの、中止にした理由の説明があったように思います。
私はそこで、先ほどのA2で奥宮さんとスタッフが交わしていた「滑落」という言葉を思い出しました。
関係があるとは思ったものの、その時点では事故が滑落であることがわかっただけで、それ以上のことはわかりません。
ただ、大きな事故になってしまったのだなとは思いました。

アナウンス後のテント内はそれなりにザワザワしましたが、総じてボリュームは小さく、静かな騒然といった趣でした。
私は自分の両隣に座っていた方々と3人で、おしゃべりしながら状況確認や情報収集をしていました。
私は気がつかなかったのですが、ヘリの飛ぶ音を聞いたという人が多かったです。
救急車の音なら私も金比羅尾根の途中で聞いたのですが、今回の事故に関係があるかは不明です。
A3名栗は山中のエイドではなく人里のエイドなので、スマホがバンバンつながります。
先行している友人Aさんからは、安否確認のLINEをもらいました。
Aさんはとんでもなく速い選手なので、A6飯能に着いたところでストップとなったそうです。
テント内は秩序だってはいるものの、ランナーストップの後にエイドインしてきた選手も増えてきたため、大分賑やかになってきました。
また、残しても仕方がないということで、食料や料理の大盤振舞いが始まると、今度は本格的に騒然としてきました。
私も大分食べさせてもらいました。
ごちそうさまでした。

さて、お腹も落ち着いたところで、3人で秩父の会場まで帰ることになりましたが、ここで小さな問題が起こります。
実は、このA3名栗でレースを終えた選手達は、他のエイドでストップした選手達よりも、少しではありますが、金銭的な負担が大きくなります。
A3と他のエイドとの最大の相違点は、鉄道駅までのアクセスです。
他のエイドは距離こそあれど、徒歩で西武鉄道に出ることができます。
しかし、A3名栗の場合はそれがほぼ不可能です。
飯能駅まで40分ほどバスに乗らざるを得ないのですが、そのバス代が620円かかります。
これはお金さえ持っていれば負担にもならない額だとは思いますが、私の周囲では、電車代はあるけれどもバス代までは持っていない、という方が多くいらっしゃいました。
これは大会規則にも問題があると思います。
規則には、飯能から秩父までの電車賃410円を持って走るようには書かれていましたが、A3名栗から飯能までのバス代については記述がありません。
有り金は全部背負って走る系のトレイルランナーである私には影響はないのですが、最低限の所持金で走る系の選手には気の毒だったと思います。
特に関東地方以外から参加された選手はこの地域の交通事情に詳しくないので、バス代についても書いておくべきではないかと強く思います。
まあ、3年間出ている私でも今回こういう事態が起きて初めて気がついたことなので、盲点ではあったのだと思います。
金額まで詳細に書いてあるのは、親切心の現れであることも想像ができます。
しかし、その親切心が裏目に出てしまい、名栗からのバス代に想像がおよばなくなってしまったのだと思います。
誰も意図せぬミスリードです。
この点、またの機会にはぜひ、改善していてほしいポイントです。
FTRにまたの機会があることを強く願っている者として、改善を要望します。
でも、こういうことはここじゃなくてランネットに書くべきかもしれませんね。
後で書こ。

名栗から飯能に向かうバスは、乗客の95%くらいをトレイルランナーが占めていて、まるでリタイアバスのような光景でした。
秩父に戻る西武鉄道も似たようなものでした。
はじめは、席が少し空いている程度の混み具合でしたが、途中駅で他のエイドからの帰還者が続々と合流して混雑してくると、専用の輸送列車のような雰囲気になってしまいました。
すでに事故の報道も把握できるようになっており、整然とはしているものの、車内は静かな興奮状態に包まれていました。
私はA2で見た奥宮さんの姿を思い出しました。
事故対応のためにエイドを飛び出したあの時、どんな気持ちだったのでしょうか。

Aさんとは幸運にも電車で合流できました。
合計4人となった私たちは、文字通りの四方山話をしながら会場に戻り、そこで別れました。
彼らとは、恐らくほぼ確実に、またどこかのトレイルレースの会場で会うのだと私は思っています。
私は人の顔を覚えるのは得意な方で、一度レースで言葉を交わした人であれば、その人をしばらくは忘れません。
名前は忘れてしまうこともありますが、そうやって覚えた人たちとまた会う機会を、私はかなり楽しみにしています。
ただし、人付き合いは苦手なので、連絡先の交換したり、再会の場で私から声をかけたりすることは稀です。
それでも、「あ、○○で話した人だ」「今年もまた会えたな」などと思うだけで、柄にもなく幸せな気分になります。
トレイルランニングは愛好家の人数が少なく、レースの規模も小さいので、ちょっとだけでも見知った顔に会うことが多いスポーツだと思います。
そして、たとえ個別に付き合いはなくとも仲間は仲間である、そう思える距離感がこのスポーツにあることが、私にとっては心地よいのだと思います。
また会えた、それだけで十分なのです。

今回の事故で他界された方とも、もしかしたらそういう形で会っていたのかもしれません。
そう考えるとやはり、私は私の立場でしかないのですが、大きな喪失感と悲しみを覚えます。
また会えた、と思えること自体の重みを強く感じています。
これから必要なことは何か、個人が考えていくしかないことではあります。
私は、事故の検証が丁寧になされること、この山域を安全に楽しむことができるようになること、できれば誰もが納得出来るような形でFTRが再開できるようになること、これらを願って止まず、できることを探して協力したいなと思っています。
またFTRで会える日が来るという希望をもとに、何かをしたいと考えています。

☆以下追記
記事をアップロードした後に帰宅したところ、FunTrailsから封筒が届いていました。
中身は、封筒を触っただけで想像がついたのですが、完走者に贈られるFinisherメダルでした。
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そんなことしなくてもいいのに、わざわざ贈ってくれたのです。
この心意気に開封前から目が潤んでしまいました。
奥宮さんからの丁寧な手紙も同封されていました。
来年については全く未定とのことですが、またの機会のために、私に何か協力できることがあるのでしょうか。
真面目に考えたいと思います。

金比羅尾根は下り坂ーFTR100K2017レポート3

FTR100K2017のレポート第3段です。
私の記事上の所在地としては、武甲山から名栗方面へと南下する尾根道を経て、突き当たりの有馬峠を右折してしばらく進み、有馬山のピークを過ぎてすぐの林道にある、A2有馬山に滞在しております。
記事上の時系列で言えば、10:40前後のことです。
スタートから5時間40分が過ぎています。

A1橋立堂とA2有馬山の間は、このレースで一番山深い区域で、しかもエイドの間隔が16kmを超えるレース最長区間でもあります。
私はこの間、胸のボトルに入れていた500mLのOS1を飲み干していました。
背中のハイドレーションに1,200mL積んでいるので、水分が不足することはありませんが、進んできた距離の長さを感じます。
A2では軽く食べてから水を補充し、小指に靴が当たって痛みが出ている箇所のケアをしてから出発しました。
10:45を少し過ぎたところでした。

A2を出発すると、結構長い距離のロードの林道を下ります。
A3名栗・さわらびの湯までは11kmくらい、そのほとんどが下りです。
ここまであまり疲れてはいないので、快調に行けるかと思いましたが、そうは問屋が卸しませんでした。
やはり右足の小指の付け根に、靴の何かが当たっているのです。
すぐに立ち止まって靴下をずらしたり、靴紐の締め加減を調整したり、色々やってみましたがさほど効果はありませんでした。
結局、A3に着くまでずっと痛いまま進むことになります。

ロードの林道は逆川乗越で山道に入るまで続きます。
この合流部はスタッフが足りなかったのか、合流に気づかずにロードを進んでしまう人が何名かいたようです。
この付近は、毎年コース設定が変わっている区間です。
一昨年は有馬峠で左折して、山道をA2だった逆川乗越まで進む設定でした。
去年は、元々は今年の設定と同じでしたが、崩落か工事か何かで林道が使えず、当日はA2有馬山と有馬峠間がピストン区間となりました。
その後はずっと山道を名栗まで進んだのです。
なので、ロードから逆川乗越に入るのは今大会が初めてでした。
私は有馬峠から名栗に向かう山道が好きなので、このロード区間では、主に左側に見えている稜線を見上げながら、早く山に入れないかなぁと思い続けていました。
金比羅尾根という名がこの山道には付けられています。
日の出山の金比羅尾根はハセツネでラストの下り坂となりますが、それと同じで、里の近くにある金比羅神社に由来する名です。

逆川乗越から入った山道では、足の痛みが気になっていたのと、思いの外、ロードで走ってしまって少し脚が重くなっていました。
少し注意力が落ちて、一度落ち葉に覆われた山道を踏み抜いてコケました。
右側がツツジか何かの灌木の生えた斜面になっているところです。
思えば一昨年も、ほぼ同じ場所で蹴つまづいてコケた記憶があります。
後の選手が「ゆっくり行きましょう」と声をかけてくれました。
「コケちゃいました」と谷口裕美へのオマージュを含めてお返しします。

その後は足の痛みに悩みながら、急ぎすぎないように、されど止まらないように淡々と進んでいきます。
2016年のレース中の話ですが、このあたりで10人前後の集団で走っていたところ、コース左側の崖を慌てて駆け上がる猪を見ました。
距離にして5mなかったと思います。
体長は1.5mほどでしょうか。
背中の筋肉が立派に盛り上がっていました。
たぶん大人の雄だと思います。
出会ったときは、やはり大いにたまげました。
前後のランナーの足がパタッと止まり、その場の皆で走り去る猪の背中を呆然と見送っていたのが、今でもありありと思い出されます。
見送っていた気持ちは人それぞれだと思いますが、私は一瞬の驚きと恐れの後に、美味しそう、と思っていました。
この猪は体つきがたくましくて美しく見えたのと同時に、非常に美味しそうに見えました。
私はあまり食にこだわりがありませんが、生き物が即食べ物に見えてしまうほどには業が深いようです。
あの猪には、無事に生き延びてほしくもあり、誰かの食卓に乗ることになったとしても、それはそれでいいような気がします。
だって美味しそうなんだもん。
でも今年は猪にも出会うことなく、淡々と金比羅尾根を下ります
昨年猪に会った場所も特定することができませんでした。
逆川乗越より前の山中だったのかもしれません。
今年は、とにかく淡々と痛みをこらえながら進みました。
下りなのにスピードが出せないので、A3への到着予定時刻がどんどん後倒しになります。
足の痛みに対しては、A6飯能のドロップバッグにある替え靴にたどり着くまでの辛抱、という覚悟が出来てきました。
痛いけど履き替えられるから大丈夫。
ドロップバッグは偉大です。

そのうち名栗の里が近づいてくると、ランナーの集団が出来てくるようになりました。
このとき私は、集団のペースに合わせて走るのが辛くて少し嫌だったので、なるべく最後尾をキープし、隙あらばペースを緩めて離脱することを繰り返していました。
痛みに付き合うのが精一杯で、他人のペースなどの余計なことを考えたくなかったのです。
鶏口となるも牛後となるなかれ、とは言いますが、私はむしろ牛後となることを選び、頭のなかでは「ぎゅうご、ぎゅうご」とループしています。
そして、折を見て一人旅に持ち込んでばかりいました。
小さいけれど切れ目のない痛みに悩んで、気持ちの余裕が全くなくなっていました。
A2からA3の間は好きな山域なのに、楽しめなくてもったいなかったなと、今では思います。
道は下り基調、というよりもほぼ下りなのに、足の痛みで快調には程遠いスピードしか出すことができません。
道は下り坂で、私の気分もまた下り基調です。
痛みはやはり、小さなものでも確実に気分を損ないます。
それ以外の身体は元気なのに、心がどんどん曇っていきます。
それでも、先は長いんだから今は頑張らなくていい、と自分に言い聞かせながらなんとか走りました。

A3名栗には結局、12:35ごろに到着しました。
A2を10:45頃に出発するときには、12:10くらいのA3到着を目論んでいました。
20分ほど遅れましたがまだ序盤の3分の1が終わったばかり、少し休んで計画を立て直せばいいかなと思っていました。
A3の入り口では十月桜が出迎えてくれました。
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雨はまだ降っていません。
私の気分とは違って、お天気は下り坂ではなく、平行線のままでした。
静かな曇天。
A3の大テントのなかで、食事と休息に入ります。