竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主でしたが、2018年4月以降、骨折治療のためトレランは控えています。藤沢周平が好きです。

猫の手はチタンー2018FTR100/FT50予報

今日、11月17~18日に開催されるFTR100/FT50 2018のボランティアスタッフ=キャストのシフト表やマニュアル類が送られてきました。
FTR100には第1回大会の2015年から昨年まで3年連続出場していましたが、今年は骨折でトレランができないためエントリーを見合わせました。
それでも思い入れの深い大会であるため、今回はキャストととして参加することにしました。

100km超のFTR100にしか私は出場したことがないのですが、魅力あふれるレースだと思います。
エイドが充実とか、コースが適度に厳しく走りごたえがあるだとか、レースに関わることは色々な人が様々に発信しているのでここでは控えますが、レースとして完成度の高い大会だと思います。
本当にいい大会です。
私がここで推したいのは紅葉です。
それも黄葉の方が特に楽しみでした。
コース上の黄色の葉っぱがきれいで、見ていて飽きませんでした。
特に、薄暗い山の中で黄色の葉っぱが明るく浮かび上がっているのを見ると、気持ちまで明るくなります。
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木全体が黄葉していると行く手が照らされているようで、気分が高揚します。
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選手の皆さんには、こんな黄葉を堪能してきてもらいたいと思います。
本当は私自身が見れるとよかったのですが。

正直なところ、今年は、それどころかもう金輪際、FTR100/FT50は開催されないものだと思っていました。
昨年の事故で、同じレースに臨んだ仲間を亡くした悲しみを強く覚えました。
そして、同じトレランの愛好者として、他人事ではなく自分の事として受け止めた出来事でした*。
また今年は自分自身が山の事故で骨折し、トレランから離れざるを得なくなりました。
それだけに、この第4回大会が開催されることの喜びは大きいものがあります。
選手として参加できなくても、猫の手程度ではあるものの、手を貸すことが出きるのは嬉しいのです。
私の左腕には、折れた上腕骨を補強するためのチタンプレートが入っています。
チタンの猫の手、この大会のために力になれればよいと思います。
そして選手の皆さん、無事に帰ってくることを祈っています。


自分の事として
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2017/11/19/182753

**他のFTR100K2017関係記事
当日の天候について
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2017/11/21/215251

レポート1
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2017/11/30/191853

レポート2
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2017/12/06/194946

レポート3
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2017/12/12/193956

レポート4
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2017/12/14/201711

余録
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2017/12/15/125450

温度差20℃の耐久ーハセツネ2018ボランティアスタッフ余録

11月に入ってFTR100/FT50も来週末となりましたが、私はのんびり、ハセツネ2018のボランティアスタッフの主に着衣についての余録を書いています。
本当はFTRのボランティアの準備を始めなくてはならないのですが、してないものは記事にしようがないのです。
さて、私はハセツネという愛称よりも、日本山岳耐久レース、という正式名称の方が好きで、そして山岳で耐久するのは、選手だけでなくスタッフもまた同じなのです。
というのは昨年も同様の記事*で書きましたが、今年もスタッフとして山岳で耐久してきました。

http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2017/10/14/010307

ハセツネ2018の1日目、10月7日の東京の最高気温は32℃を記録しましたが、夜はガクンと気温が下がりました。
私の配置場所は標高が高いこともあり、2日目の深夜から朝方にかけて、手元の温度計で12℃まで下がりました。
その差なんと20℃。
スタッフの活動をしながら、この温度差に耐えなくてはなりません。
活動中の装備は以下のごとくです。

夜間活動中の服装
帽子:マムート・ワークキャップ
首:バフ
アンダーシャツ:アイスブレーカー・メリノウール混紡半袖
シャツ:アイスブレーカー・オアシス長袖
シャツもう1枚:ティートンブロス・ジップアップ長袖
タイツ:アイスブレーカー・メリノウール混紡ロングタイツ
ズボン:フェニックス・ロッククライミング風のロングパンツ
靴下:スマートウール・クルー丈
雨具ジャケット:ノースフェイス
雨具ズボン:ノースフェイス
手袋:セブンイレブン
靴:スポルティバ・ウルトララプターGTX
ベスト:ハセツネスタッフベスト

寝具
シュラフ:イスカ・ピルグリム370
マット:ノルディスク全身用

上記は全部着込んで、仮眠のときもそのままシュラフに潜り込みました。
2017年は薄手のインサレーションも着ていたのですが、さほど気温も変わらないにも関わらず、今年はその必要性を感じませんでした。
私が選手であれば、半袖にアームカバーでしのげる気温であろうことは、2017年と変わりません。
薄手のダウンジャケット、ビーニーキャップと腹巻きも持ってきてましたが、それは結局身に着けませんでした。
また、手袋は持参を忘れたため、前日ミーティングの後にセブンイレブンで購入しました。
これは本当に買っておいてよかったなと思います。
コンビニは偉大です。
来年は選挙ハセツネの年なので、大会開催が10月末になると思われます。
そうなると夜間の冷え込みは相当厳しいものがありますので、今年の装備では通用しなくなるでしょう。
できれば選手として出たいものです。

さて、問題になるのはやはり20℃の温度差です。
夜間以外は暑さに対応しなければならなかったのが、今回のハセツネだったと思います。
初日配置場所までの登山は、Tシャツ1枚で過ごしました。

シャツ:ハセツネフィニッシャーTシャツ

これはしぼれるほどの汗みどろとなったため、翌日以降に着用するのはあきらめました。
下山時には、天気予報になかった雨が降ってきていました。
活動を終えて撤収を始めようとしたときに、いわゆる本降りの雨となり、しばらく撤収を見合わせざるを得ませんでした。
このまま降り込められて動けなくなるのではないかと弱気になってしまうくらい、嫌な降り方の雨でした。
ただ、私たちの配置場所のチームは私以外はベテランぞろいで、私のような登山経験の未熟な者にとっては心強い方々でした。
私はいちいち雨にブー垂れていたのですが、他の方々は落ち着いてくつろいでいました。
こういうところに経験の差が出ると思いますし、私は大人になれていないなとつくづく思います。
今回の同僚スタッフの方々には、この場で敬意を表したいと思います。

さて、雨はやむことがないものの、一瞬、弱くなるタイミングがやってきました。
ベテラン達の行動は素早く、あっという間に撤収作業を終え、下山を開始しました。
下山時は前夜の半袖シャツをそのまま着ていましたが、雨具の上下も着こんでいたため、ご他聞に漏れず汗びっしょりになりました。

シャツ:上記アイスブレーカー半袖
雨具:上記の上下

高度を下げるにつれ高くなっていく気温と降りやまない雨にいちいち悪態をつきながらも、順調に下山することができました。
下山中、雨で時刻も午後に差し掛かっているにも関わらず、山頂を目指す登山者と何組もすれ違いました。
中には絵に描いたような軽装散歩者のような方もいて、非常に心配にはなるものの、何か介入ができるのかと言われれば、何もできないのだと思います。
それでよいとは思いませんが、とにかく無事を祈ることぐらいしかできません。
睡眠不足の妙にテンションの高い頭で、そんなどうにもならないことばかり考えながら下山してきました。
送迎車の待つ峠はやはり雨でしたが、五日市の町は曇ってるだけとのことで、ドライバーの方は予想もしていなかったそうです。
雨の下山は少々大変でしたが、最後は無事に本部に送り届けてもらうことができました。
若いドライバーの方は運転が上手でした。
ありがたかったです。

本部で解散した後に直面したのが、何を着て帰るか問題です。
帰ってきた五日市の町は、前日に引き続き暑かったのですが、持参の服で着て帰れる状態のものは、ウールの長袖シャツしか残っていません。
他はおしなべて汗臭く、他人様の前で着ていられるようなしろものではありませんでした。
と、そこで思い当たったのが本部に置いていた私物の中に入れっぱなしのスタッフTシャツです。
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これには助けられました。
ちょうど暑い日で、半袖の方がよいことは明白です。
後は、前日含めて3日間はきつづけたズボンから、比較的状態のよい雨具のズボンにはきかえて、着替え完了です。
裏山ベースでシャワーを浴びて、他人様に顔向けが出きるようになってから帰路に着きました。

帰りの電車
シャツ:ハセツネスタッフTシャツ
ズボン:上記雨具のズボン

今回の反省点は手袋を忘れたことと、暑いときの着替え不足です。
手袋に関しては完全なる不注意でした。
着替え不足は暑さへの想像力不足が原因です。
10月に30℃を超えるとは思っていなかったのですが、天気予報で把握していたのに準備を怠ったのは不覚でした。
FTRのボランティアは、こういう詰めの甘さがないように準備したいと思います。
とか言いながら、またやらかすのかもな…。

その声はーハセツネ2018ボランティアスタッフ雑感

日本山岳耐久レース・ハセツネカップ2018が終わり、もう3週間が経とうとしています。
今年も私は、昨年に引き続きボランティアスタッフとして参加しました。
スタッフは大会前日に会場入りして打ち合わせを済まし、大会本部のある建物のそこかしこで雑魚寝して活動に備えます。
既にこの雑魚寝から、スタッフ達の耐久レースが始まると言えるでしょう。
お世辞にも快適な環境とは言えず、具体的には、漏れてくる明かり、消灯時間過ぎても騒ぎ続ける酔っ払い、など、諸々の睡眠妨害要因に打ち勝つ必要があります。
アイマスクと耳栓は必須だと思います。
私は昨年の経験に学ぶことなくそのどちらも持っていかなかったため、なかなか寝付かれずに苦しみました。
次の機会には忘れることのないようにしなくてはなりません。

明けて大会当日は朝から暑い一日でした。
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スタートの準備を横目に、配置場所への送迎車に乗り込みます。
春に骨折していなければ、数時間後にはここに並んでいるはずでした。
でも、これもまた人生なのでしょう。
今回は山深いポイントに配置されました。
送迎車に乗っている間も、かなりの山登りをしていきました。
下車後、夜間用の点滅灯の取り付けやマーキングの追加をしながら90分近く歩いて目的地に到着しました。
骨折してから本格的に登山をしたのはこれがはじめてでしたが、とりあえず無難にこなすことはできました。
共同装備を分けて持ち歩いているので、通常の登山よりも10kg近く重い荷物を担いでいました。
骨折した左腕周辺の筋肉は以前より弱っているため、さすがに大きな疲れを感じました。
それでも、その後の活動に支障が出るような痛みや動きの悪さなどは出ませんでした。
こうした負荷の高い状態を過ごすことができたときに、自分が回復してきていることを実感できます。

私がいたのはレース後半のポイントで、選手の多くは夜間に通過する場所でした。
夜が明けてから来る選手もかなりいますが、選手通過のピークは深夜になります。
深夜の山のレースの誘導スタッフの仕事道具は、ライトセーバーな赤色誘導棒と「声」です。
特に視界のきかない山中の深夜は、声だけが遠くまで届く道具です。
声を出したり、声をかけたり、時には黙ったりもしながら、いかに適切な誘導と励ましを選手に届けるか、というところが腕の見せどころなのかな、というか声の聞かせどころなのだと思いました。
伝えなければならない情報を伝える、または、辛くてどうにもならない気持ちをどうにか奮い立たせる、そんな声を届けることが、私の役割だったんだなと、今振り返ってしみじみ思います。
役割を果たせたのかについては、自分では評価できないのですが、やれることはやったという思いでいます。
その私の自己満足が、少しでも選手の力になっていれば、大きな幸せです。
これは私の自己満足でかつ理想論にすぎないのですが、それが嫌いな人は一定数いるでしょう。
ただ、何か行動するときにそれを目指さないことには、その何かをする意味すらないと私は思っています。
自分の好きでやっていることに対しては、なるべくなら自己満足と理想論の追求をしていたいと思います。

それはそうと、夜の山中には野生動物の声もまた響いています。
それは私が配置場所から少し離れた山中で一人で誘導していたときのことで、時刻はまだ夜の9時くらいでした。
選手が通らない時間が続き、山は静まりかえっていましたが、鹿がいきなりピーピー鳴き出したのです。
結構近かったのですが、鹿なら危険も少ないだろうと思って、その場を離れずにいました。
すぐにおさまるだろう、という根拠のない楽観的な観測もありました。
ところが、鹿はしばらく鳴きやみませんでした。
ピーピー鳴いてはまたピーピー、移動しながら鳴いている気配です。
しかもよく聞くと、鹿の鳴き声と鳴き声の間に、別の声が聞こえています。
ガルル、ガルル、と、低いうなり声がするのです。
その声に気づいた瞬間、本能的に恐ろしくなりました。
多分、肉食獣の声だと直感したのだと思います。
東京の奥山の肉食獣と言えば、ツキノワグマ以外には思い浮かびません。
ヤバイクマガチカイ!
と思うや否や、私は持ち場を離れて仲間の皆がいる場所へ一目散に引き返しました。
カッコ悪いことこの上ないのですが、マジでおっかなかったので、三十六計逃げろはしかたないのです。
仲間には恐くなって戻って来た旨を正直に打ち明けたのですが、なぜかガルルといううなり声のことは話せませんでした。
少し落ち着いてから考えると、熊ではなく犬のような動物の声だったように思えます。
山で犬なら狼…、というのは飛躍が過ぎますが、ハセツネコース上の大岳神社や武蔵御嶽神社は狼を祀っています。
大岳神社の護符。
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武蔵御嶽神社の護符。
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特に武蔵御嶽神社は狼信仰の一大中心地です*。
何かあってもおかしくないんじゃないの、という期待を抱かせるような環境ではあります。
まあ、十中八九で野犬、でなければ熊というのが妥当なところなのでしょう。
あり得ないことではないと言えるレベルのことではないことは承知の上ですが、あの声が本当に狼だったら歴史が変わるんだろうなと、ちょっとだけ夢想しています。
その声をまた聞くことができればよいのですが。
でもマジでおっかなかったな…。

*狼信仰については小倉美惠子氏の『オオカミの護符』が詳しくて読みやすいです。
https://www.shinchosha.co.jp/sp/book/126291/
私が山岳信仰に興味を持つきっかけになった、思い出深い本です。

ボラボラートレイルレース参加計画2018秋

先日の台風で若狭路トレイルラン2018、信州戸隠トレイルランレース2018が中止となりました。
私はどちらにもエントリーはしていませんが、昨年は両方とも出場したため、こういう知らせを聞くと残念でなりません。
次回は好天に恵まれることを祈っています。

ただ、台風による中止のリスクはありますが、秋のシーズンはその年のメインになるようなメジャーレースが目白押しで、どのレースに出るか検討するのは、トレイルランナーにとって春から夏にかけての楽しみであると思います。
しかし、今年の私は骨折の影響でトレイルランニング自体ができません。
正確には、今年いっぱいはトレイルランニングをしないことにしています。
レーニングや遊びはもちろん、レースにも出ません。
骨折して以来、トレイルランニングをすることへの恐怖がまだ残っている今、無理をする必要はないのだと思っています。

かといって、山から遠ざかるのも面白くありません。
骨折後も、富士山五合目に行ったり、トレランレースの応援に行ったり、なんだかんだで山やトレランの周辺でウロチョロ遊んでいました。
ただ、遊んでばかりいるのも面白くありません。
この秋は、4月に骨折してから半年が経ちます。
日常生活には問題がないくらいに回復しました。
そろそろ人様のお役に立てる頃合いなのではないかと思い、2レースにボランティアスタッフとしてエントリーしました。

そのうち参加が確定しているのが、今週末10月7日に迫った日本山岳耐久レースハセツネカップ2018です。
ハセツネには昨年スタッフとして参加したため、本来ならばレースの優先出場権が行使できたのですが、骨折のため出場を見合わせました。
はからずも2年続けてスタッフになりましたが、今年も務めを果たしたいと思います。
まあ、台風は今週も心配ではあるのですが、こればかりは天に祈るしかないのでしょうね。

FTR100/FT50のキャストにも応募しました。
こちらは10月1日現在、まだ募集中のようです。
FTR100には2015から2017まで3大会連続で出場してきました。
この先ずっと参加したいくらい好きな大会で、今年も開催できることがわかった時には、心の奥底から喜びが込み上げてきました。
昨年の大会中の事故以降、この大会には何かしら協力をしたいと思っていたこともあります。
タイミングよく?骨折してレースに出られないこともあり、今回はじめてキャストとしてエントリーしました。
やるからには役割を果たしたいと思います。

ハセツネやFTRのような夜間レースのスタッフの持つ誘導灯の明かりは、選手としては心強いものでした。
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ライトセーバーみたいに、もうろうとした意識を覚醒させてくれる光のように感じていました。
でも、まさか今年もライトセーバーを持つことになるとは思っても見ませんでした。
それは私が、私の予測を越えた大怪我をした結果なのです。
でも、これを持つからには持つだけの責任があり、この役割に自発的に身をおいたものとしての責任を果たしたいのです。
選手をはじめ全ての関係者(私を含めて)が、フォースと共にあらんことを。
ジェダイの騎士でもなんでもない私ですが、ライトセーバーの誘導灯にかけて祈りたいと思います。
皆さま、ご無事で。

舞台ー信越五岳2018応援感想記

9月15~17日に開催された信越五岳トレイルランニングレース2018の観戦・応援に行ってきました。
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発案は友人Bさんでした。
ちょうどこの3連休に一緒に長野に行く予定があったため、いい機会だからついでにこの人気レースの雰囲気だけでも感じて来ようと思いました。
前日は長野を観光し、明けて16日の朝、始めは妙高高原駅近くの応援ポイントに足を運びました。
そこは熊坂エイド出発間もなくの、川沿いのフラットなトレイルでした。
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ここは110kmの選手しか通過しない地点ですが、応援スポットになっているようで、近くに他の応援者が10人ほどいました。
小一時間ほどカウベルを鳴らしながら声援を送りましたが、一桁順位の選手から女子の三位くらいまでを見送ることができました。
40km弱経過しているはずですが皆走りが軽快で、上位選手のレベルの高さに感心しました。

その後、Bさんは用事で別行動となり、私一人飯綱高原ハイランドホールのフィニッシュ会場に移動しました。
この大会の100mileに友人Aさんが出場していたので、フィニッシュに立ち会えたらいいなと思っていました。
飯綱高原スキー場のバス停を降りると、会場はすぐ目の前です。
フィニッシュ手前のコース上には、キビキビと働く男性が。
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石川弘樹さんです。
プロデューサー自ら、選手がやって来る直前まで設営作業をこなしていました。
よりよい大会にしよう、という心意気を強く感じる姿でした。
最後の下りからフィニッシュを望みます。
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ゲレンデを下りきった先のステージがフィニッシュです。
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ステージ上にはゲートやエイドなどが設置されています。
舞台の設定が最高だなと思いました。
ゲレンデが観客席で、選手はステージ上で観客から祝福を受けます。
この日、この舞台で最初に祝福されたトレイルランナーは、100mileのチャンピオン、奥宮さん。
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喜びを噛み締めている素敵な表情です。
この会場には観客が少なかったため、UTMFのフィニッシュのような祝祭感はないのですが、選手のこうした表情を見ているだけで気持ちが盛り上がってくるから不思議です。
結局、Aさんのフィニッシュまで会場にいることはできなかったのですが、この舞台を見に来れただけでもよい刺激になりました。
私もいつかこの舞台に、フィニッシャーとして立ちたくなってきました。
来年ケガから復帰できていれば、エントリー合戦に参加したいと思います。
でも、復帰できるかな。

故地散策ー木曽路藪原2018夏2

私の曾祖父は中山道藪原宿の近郊出身の櫛職人だったそうです。
この夏TJARの聖地・スーパーまるとに巡礼*したついでに、私のルーツの一つである土地を散策してみることにしました。

http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/09/05/125025
曾祖父の生まれは長野県木曽郡木祖村藪原のどこかということなのですが、ピンポイントでどこという情報がありませんでした。
そこで今回はとりあえず、藪原の街を散策するだけ散策してみることにしました。

中央西線藪原駅は古い木造の駅舎です。
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近隣の名所案内には上高地とありますが、
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その距離なんと54km、それは近いとは言わないよと思いつつ、TJARの選手はその距離を繋いで藪原にやって来るのです。
改めてTJARのスケールの大きさを感じます。
駅から宿場に入るには、アンダーパスで線路をくぐらなくてはなりません。
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ここは川を利用したもので、その先にはレンガづくりの趣のあるものもありました。
宿場町。
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高札場の跡。
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公報の掲示板のようなもので、宿場の出入口に作られることが多いそうです。
ここでは京都側にありました。
少し歩くと、宿場時代の防火壁遺構がありました。
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隣には現在、消防団の詰所があります。
藪原宿には本陣もありました。
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大名の宿泊施設ですが、すべての宿場にあったわけではありません。
藪原宿鳥居峠越えを控えていたため、大名行列が一泊していくことが多かったそうです。
飛騨街道の追分。
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上高地方面への分岐で、TJARの聖地・スーパーまるとへ行くには、中山道を離れてこちらの道を行く必要があります。
少し高台に登ると尾張藩鷹匠役所の跡。
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江戸時代の木曽地方は尾張藩の領地でした。
藪原を流れる木曽川が伊勢湾に注ぐことを考えると、その結び付きも納得がゆきます。
わかりやすく残っているものはほとんどないのですが、この土地の歴史の積み重なりを感じることはできました。
遺構がなくとも、案内板などで土地の記憶を残して知らせることは大事なことだと思いました。

さて、今回の旅の目的の一つに、曾祖父の作っていたお六櫛を、その故地で手に入れるということがありました。
道の駅でも売っていたのですが、宿場町を散策しているときに見つけた櫛問屋の山六篠原商店で購入しました。
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藪原では珍しい、古い町家造のお店です。
創業は古く、曾祖父がまだ藪原にいた頃からあるようです。
そこで手に入れたのがこのお六櫛。
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お店の主人は福型と呼んでいました。
伝統的な型とのことなので、恐らくは私の曾祖父もこの型の櫛を作っていたのではないかと思われます。
このお店にも櫛を納めていたのでしょうか。
定かなことはわかりませんが、感慨深いものがあります。
使い心地はとてもよいです。
髪が薄い私の場合、歯の一部が直に頭皮に当たりますが、ほどよい刺激を受けてなんとも気持ちがよいのです。
もしかしたら生えてくるんじゃないか?
と、希望を持てるような気持ちのよさです。
生えるかどうかはわかりませんが、それとは関係なく、使い続けたいと思います。

そんなお六櫛ですが、お店の主人によると、今では職人が片手で数えるほどしかいなくなってしまったそうです。
先祖の従事していた産業が細っていくのは悲しいことですが、まだ残っていることには希望が見いだせます。
この先末永く残り続けてほしいと思いますし、できる範囲の協力はしたいと思います。
まずは自分で使い続けることから始めます。

中央西線跨線橋から鳥居峠方面を望みます。
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鳥居峠を越えて曾祖父は上京しました。
もし彼が上京しないで藪原に住み続けていたら、私は生まれることがなかったのだと思いますし、生まれていたとしても違う人生を送っていたのでしょう。
今生では旅人として訪れたこの土地が、生活の場であった可能性があります。
櫛職人を継いでいたり、まるとで働いていたりしたのかもしれません。
感傷でしかありませんが、今の私と全く違う私があり得たことについて、実感できる旅でした。
それでも、もしかしたら、木曽の山々を駈けめぐるトレイルランナーであったかもしれません。
なんだろう。
40歳になるのを前にして、こんな、そうであったかもしれない人生というものに思いが奪われてしまいます。
これは、不惑になる前にとことん迷い惑いなさい、という何かのメッセージなのかもしれません。
それならばもう少し、あり得たかもしれない人生を想像していたいと思います。

ただ、それでも共通する思いはまたそこにあります。
千葉の海岸で生まれ育った今生の私も**、木曽の山々に囲まれて育った私も、同じように山を駈けめぐる人生を送るのだとしたら、それもまた人生の綾なのかもしれません。
**
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2017/03/06/204417
不思議なことに、骨折の影響でこの数ヶ月トレイルランニングをしない人生を送っていてなお、自分がトレイルランナーであるとの思いは消えないのです。
もしかしたら、私は私がトレイルランナーであることだけは惑わずにいていいよということなのかもしれませんが、それは本当に不惑になるまではわかりません。
でも、生涯トレイルランナーでありたいなあ。
そんなめんどくさい感傷を覚えた、故地への旅でした。

◇ふと藪原フォトコレクション
日本酒「木曽路」の湯川酒造
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御嶽海
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藪原神社
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彫刻
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百度参りの石
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極楽寺
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念ずれば花開く
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木曽路は雨の中
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木材運びのモーターカー
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木曽川の上流
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伊勢湾に向かって流れる
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タッチ
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聖地巡礼ー木曽路藪原2018夏1

私の母方の曾祖父は、中山道藪原宿の近郊出身の櫛職人だったそうです。
藪原の名産品にお六櫛という櫛がありますが、その職人だった曾祖父は、上京して根津神社の門前で櫛を作って売っていたそうです。
しかし若くして亡くなったため、家業として私の祖父には伝わりませんでした。
もし祖父が櫛職人になっていたら、私も今ごろ根津神社の門前で櫛を作っていたのかもしれません。

藪から棒になんでそんな話をしているかというと、この夏、トランス・ジャパン・アルプス・レースTJAR2018を見ていて、その藪原がコースになっていることに初めて気がついたからでした。
選手達のオアシスと呼ばれるスーパーまるとが、木祖村の藪原にあるということを初めて知りました。
この藪原って、確かうちの先祖の土地じゃないか。
私はこれまで藪原を訪れたことはなく、興味はあったものの、実際に訪問するまでには至りませんでした。
今回はTJARとの絡みを発見したことがきっかけとなり、既に大会は終わって久しいのですが、この9月1日に訪問してきました。
先祖の土地でTJARの聖地巡礼です。

目指す藪原は長野県木曽郡木祖村にあります。
新宿から8時ちょうどのスーパーあずさ塩尻まで行き、中央西線のワンマン電車に乗り換え、藪原駅に着いたのはお昼前でした。
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駅近くの道の駅でそばを食べ、
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腹ごしらえができたら、TJAR選手のオアシスでありファンの聖地であろう、スーパーまるとに向かいます。
道の駅の高台から見た藪原の街。
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山間の宿場町はあやしい雲に覆われていました。
降りだす前にいざ行かん。

駅からまるとまでは2kmほど歩きます。
私は宿場町の旧中山道を抜けてから、県道26号線に合流して上高地方面に向かうコースをとりました。
2kmほどです。
宿場町には歴史的建造物は少ないものの、中山道を中心にした街並みに往時の名残は感じました。
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宿場を抜けて県道26号線に入り、しばらくすると、木曽川を右岸に渡ります。
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写真は橋から下流を写していて、右手が右岸です。
橋を渡ってからは、緩い登り基調の道を10分も歩けば、聖地・スーパーまるとに到着します。
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写真はTJAR選手の目線に合わせて、一度上高地側に通り過ぎてから撮ってみました。
選手たちは上高地方面からやって来るので、藪原からきた私とは見ている方向が逆になります。
今回何よりも見たかったのは、TJAR選手がいつも座っているテラスのような場所でした。
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イスは片付けられていましたが、雰囲気はそのままでした。
TJARからまだ一月も過ぎてないのかと思うと、感慨深いものがあります。
私が選手としてここに座る姿はまったく想像ができないのですが、そういう日が来たら素敵だろうなと思いました。
まあ、怠惰な私にはそういう日は来ないとは思いますが。
まるとでの買い物のラインアップはこんなところでした。
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木祖村産の酒米を使った燦水木と、村内限定販売の女獅子、どちらもこれからじっくり飲みたいと思います。
他には、この日に飲む用の木曽路源流水仕込み300mLと、つまみになすの肉味噌乗せを買い込みました。
リュックが重くなったことこの上ありませんでしたが、TJAR選手、特に今回の望月さんに比べれば大したものではありません。
リュックの重さだけ選手になったつもりでまるとを出発、聖地にお別れです。
出発直後の26号。
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こんな風景を見ながら走ってるんだな。
ただの道ですが、巡礼者にとっては選手と同じ道を歩いているというのがまた心踊るものでもあります。
自分が選手としてこの風景の中を走っている姿は、やはり想像はできませんが。