竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

憧れを追いかけて―UTMF2022レポート3

2022年4月22~24日に開催されたUTMF2022の参加レポート第3段です。
スタートからU1富士宮(21.5km地点)を経て、U2麓(43.2km地点)までを振り返ります。

私の第3ウェーブは16:00にスタートしました。
第4ウェーブの選手やサポーターの方々、その他大勢の関係者の歓声を浴びて、またなんだか、涙が出てきそうになりました。
スタート直後のランニングカメラマンをしていたくれいじーかろこと甲斐大貴さんにも激励されました。
かろさんは翌日開催のKAI69kに出場するとのことだったので、今日は怪我しないように気をつけて、くらいの言葉をかけようかと思ったのですが、みるみる引き離されてしまったため、タイミングを逸しました。
KAIの男子のチャンピオンになってましたね。
おめでとうございます。
それにしても、こんなに大勢のトレイルランニング仲間(広義の)から声援を贈られたら、ただがんばるしかありません。
怠け者かつ若干ひねくれ者のトレイルランナーである私ですらそう思いました。
ここからの100マイル、本当は98マイルだけど、気合い入れて行きましょう。

富士山こどもの国から麓までの道のりは、この時まで全くの未経験でした。
コースの高低表はうっすら頭に入れているものの、トレイルなのかロードなのか、林道は未舗装なのか舗装されているのか、そんな知識をほとんど持ち合わせていないままに走り出しました。
出たとこ勝負もいいとこです。
こどもの国を出てからしばらくは、というか、最初のエイドであるU1富士宮までの区間の半分以上は舗装・未舗装の入り混じった林道です。

しかも、大体が下り基調で走りやすいことこの上なかったのですが、100マイル経験者から序盤に飛ばすのはよくないというアドバイスをもらっていたこともあり、若干セーブしながら走りました。
ただ、いいペースで走っている選手達を見ると、ついつい流れに乗って走ってしまいそうになります。
暑さは感じるものの、気持ちよさそうというか、本当に気持ちよく走れる道でした。
それでも、ここで走りすぎると後に響くと自分に言い聞かせて舗装路の登りを歩いていると、後ろから「がんばって行きましょう!」とさわやかに声をかけられました。
心の中では「言われなくてもがんばっとるわい!」と思いつつも、こういう選手同士の励まし合い自体はとても嬉しいものなので、エール交換をしようと相手の顔を見たところ、私から15分後の第4ウェーブからスタートしたヤマケンこと、山本健一選手でした。
「わぁヤマケンさん!」と不意に大声を出してしまい、軽くびっくりさせてしまいましたが、ヤマケンは足取り軽やかに走り去って行きました。
ヤマケンは私と同い年なのですが、トレランを始めた頃からの憧れのランナーです。

著書は読んだことがありましたが、実際に本人をこの目で見たのは初めてかもしれません。
なんだろね声までさわやかヤマケンは。
字余り。

今回のフィニッシュタイムは、理想が36時間、現実的な線として38時間、トラブル等を含めて42時間、この3種類を想定していました。
それぞれに対して、各エイドステーションの到着目標時刻を設定しています。
スタートからU1までの21.5kmは、早い方の2つの想定でちょうど3時間としていました。
最初に富士山が見えたのは、スタートから50分ほどで辿り着いた皆伐地からでした。

でかい。
そしてきれいです。
UTMF中に富士山を見ると元気になると参加者からよく聞いてはいましたが、本当でした。
かつてウォーターステーションがあった粟倉かと思われる場所からは、陽光が夕日の色に変わっています。

皆写真撮ってますね、ていうか撮りますよね。
ここが粟倉ならば、スタートから14kmほど来ていることになります。
撮影時刻は17:34で、スタートから1時間34分が経過しています。
今振り返れば少しオーバーペースなのかなと思いますが、GPSウォッチを持っていないのでレース中にはわかりません。
いい加減導入すべきかどうか。
悩みどころです。

粟倉らしき地点から少し進むと、かの有名な送電線トレイルに入ります。

私はつい、鉄塔通り、と呼びたくなるのですが、送電線トレイルという呼び名が定着しているようですね。
この送電線トレイルは、今回のUTMFでは富士宮に向かって下り基調ですが、過去の大会では開催年によってはこどもの国に向かって登り基調となります。
UTMF2016が短縮にならなければ、私はここを登っていたはずでした。
正直な話、登りだったら単調で飽きるのは必至だと思います。
ただ、下りの送電線トレイルはこれまた気持ちよく走れてしまう場所でした。

前を走るボンバーヘッドなランナーの足裏がこちらを向いているのが見えるでしょうか。
このように、足裏が完全に見えるくらいのスピードを出せる場所が多々あります。
また、日暮れも近くなり気温が下がってきていたこともあって、快適に走れる時間が続きました。
時折トレイルを横切る深い谷があり、そうしたところで小さな渋滞が時折発生していましたが、林道も含めてここまでずっと走ってしまうコースだったため、少しくらいは休めてよいかなとも思います。
全選手を見送ってからスタートした大会会長の鏑木毅さんに抜かれたのは、そんな渋滞で立ち止まっている間のことでした。
鏑木さんは憧れを通り越した存在です。
グータッチでエールをもらいます。
コロナ禍以降流行りのグータッチについて、初めのうちはなんだこりゃと思っていたのですが、やってみると握手やハイタッチよりも気軽にできて、これはこれでいいなと思い始めています。
スーパーカブと拳でエールを交わしてからほどなくして、本格的に夜が訪れ始めました。
ヘッドライトとハンドライトを装着し、送電線トレイル脇の森に入ったところで点灯し、その直後にU1富士宮に到着しました。
時刻は18:43、スタートから2時間43分と、想定よりも少し早いくらいでした。

ここU1富士宮のエイドは、本来ならば天子山地に向けて英気を養うポイントとなるはずでした。

しかし、天子山地が回避され、次のU2麓までの距離も短くなったことで、長い休みを入れることなくすぐにエイドアウトしようと思っていました。
せっかく想定の3時間よりも早く到着しているので、その分ゲインしておきたかったというのもあります。
ただ、目論み通りにはことが運ばず、トイレの行列がなかなか進まずに、かなり時間を使ってしまいました。
その後、好物のホットコーヒーを発見してついついくつろいでしまいます。
レースで飲むホットコーヒーって、とてつもなく美味しく感じるのです。
その結果17分ほど滞在してしまい、エイドアウトしたのはちょうど19:00でスタートから3時間。
想定タイムに追い付いてしまいました。
ここでずっと声援を送ってくれていたガンバフンバくんとグータッチ、ホットコーヒーのおかわりを飲みながらエイドを後にします。

ここからU2麓までは21.7kmです。
元々は29kmくらいのレース最長区間が7kmほど短くなって、獲得標高も1200mほど削られました。
厳しい山岳区間がごっそりなくなったのです。
大分楽になったものの、反面、当初の計画が全く通用しなくなりました。
この時点では様子が全くわからず、タイムはとりあえず4時間かからなければいいか、とにかく調子に乗らないこと、くらいな決めごとで走り出しました。
U1を出てから富士宮の市街地を横切り、登らなくなった天子山地の登山口に向かいます。
すっかり夜です。
かつてエイドステーションだった西富士中学校の脇も通りました。
かつてUTMF2012のテレビ番組で、相馬剛さんや大内親子のお父さんの映像を観た記憶がよみがえります。
あの番組で初めて、UTMFに憧れを覚えたのです。
そういえばさっき、あの番組で初めて観たヤマケンに抜かれたんだった。
ここがあの場所で、あの場所に今いるんだ。
聖地巡礼のような感慨深さを覚えます。
この夜は川や田んぼの近くを通ると、蛙の大合唱がそこここで響き渡っていました。
ていうか、大合唱なんてかわいいものではなく、爆音ライブといっていいくらいのボリュームです。
これには衝撃を受けましたが、これも声援だと思えば心強いなと思えなくもありません。
蛙に畏敬の念を抱きつつロードを登り詰めると、天子山地の取りつきにたどり着きます。

ここから先は、車が走れるくらいの傾斜の林道のような登山道を進みます。
足下はぐちゃぐちゃで、一部は川のようになっていました。
15分ほど登ると、天子ヶ岳へ登る道と田貫湖方面に下る未舗装林道の分岐に差し掛かります。

ここから天子ヶ岳に登るはずだったのか。
UTMF2022の天子山地はこれにて終了です。
ここから未舗装林道を下り切ると、田貫湖方面に向かうロードを進むことになります。
緩やかなアップダウンが繰り返されるものの、やはりロードなので走りやすい区間でした。
田貫湖を過ぎてからも、時折農道のようなトレイルに入りつつも基本的にはロードを進みます。
そういえば、前後関係の記憶は定かでなくなってしまいましたが、利用可能な公衆トイレが最低2箇所はありました。
当たり前の話ですが、仮設トイレよりも公衆トイレの方が広々としていて快適です。
今後も感謝しつつ使わせてもらいたいと思います。
日中の暑さはすっかり引いて、走りやすい気温になっていました。
オーバーペースにならないようにたまに歩きを入れてはいたものの、ついつい走れるので走ってしまいます。
U1出発から3時間くらい経過した頃、フラットな舗装路が轍のある未舗装路に変わりました。そろそろ麓のエイドかなと思っていたところで、夜霧が出てきました。
ヘッドライトの灯りが白く散乱してしまったので、ここで霧対策のイエローフィルターを装着しました。
エイドまで間もなくと思われるところで足を止めるのはいかがなものかと逡巡したのですが、万が一轍に足を取られるようなことがあったらそっちの方がいかがなものかと思い直しました。
まあ、総距離が短くなっているので焦る必要はないと、自分に言い聞かせます。
この時U1富士宮を出てから3時間くらいが経過していましたが、元々4時間以内であれば御の字だろうとも思っていました。
それに、安全のためなら時間を使っても問題はありません。
イエローフィルターを着けた後は、光の散乱が収まり、視界良好です。
ただ、すぐに夜霧が薄くなってきたのには笑うしかありませんでした。
この夜の霧はずっと深く立ち込めていたわけではなく、まだらに現れるような感じでしたが、フィルターはずっと着けっぱなしにしました。
着けっぱなしでも充分な明るさは得られているので、着脱を繰り返す面倒を避けることにしました。

ほどなくして、U2麓には22:16に到着。

U1からは21.7kmで3時間16分、スタートからは43.2kmで6時間16分経過していました。
距離がほとんど同じのスタート~U1間が2時間43分だったので、33分余計にかかっています。
スタート~U1がほぼ下りだったのに対し、U1~U2は多少登りもあったのと、夜間走になったことでペースが落ちたのではないかと思っています。
それでも、早すぎるなという印象がありました。
計画が上手く立てられないものの、とりあえずはゲインしています。
ただ、妙に焦っている気持ちもあったので、落ち着いてゆっくり休むことにしました。
ここ麓のエイドステーションも、憧れの地の一つです。
荒天短縮UTMF2016では、最初はこの麓に短縮後のフィニッシュが変更になったとアナウンスされていました。
私たち参加者は、河口湖からこの麓の地を目指して走っていたのです。
しかし、短縮後の荒天の悪化によりコースがさらに短縮され、フィニッシュも朝霧高原道の駅に再変更されました。
このUTMF2016での、大雨の中の変更に次ぐ変更が混乱を呼んでさあ大変、となった顛末は、この記事の最後にリンクを貼っておきます*。
ともあれ、私は過去にこの麓の地に到達したことがなく、この時を楽しみにしていました。
あれは炊事場なのでしょうか。
あの大きな広い八角形の屋根の下で休憩する日がやっときたかと思うと、それだけで満足した気になります。
レースはまだ、この先110km以上も残っているのに。
満足感に浸りながらゆっくりコーラを飲んでバナナをつまんでホットコーヒーで一服していると、第4ウェーブからスタートしたBさんがエイドインしてきました。
作業が手早いBさんは、名物の富士宮焼きそばを食べに行く私を残して、先にエイドアウトしていきます。
15分差を追いつかれて、あっさり抜かれてしまいました。
それでも競っているわけではないので、私はもう少しゆっくりします。
富士宮焼きそばを食べながら、UTMF2016で道の駅朝霧高原のフィニッシュ後に雨に濡れた身体で震えながら食べたよな、美味しかったな、なんて感傷に浸ったりして。
そんな麓エイドについて、下記の素敵な記事がありました。

ようこそ麓エイドへ。3年ぶりのUTMFを支える人々(前編)
https://note.com/trail_story/n/ndf0ca2745e65

いい時間を提供してくれて本当にありがたいです。
でも、さすがにゆっくりしすぎ。
食後にトイレを済ませ、夜間の冷え対策に腹巻きとアームカバーを装着します。
この夜はさほど気温が下がらなかったものの念のための対策でしたが、対策過剰とは感じませんでした。
エイドアウトは22:40、スタートから6時間40分が経過していました。
憧れの地を後にして、U3本栖湖に向かいます。


https://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2017/02/13/221151
https://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2017/02/15/125010