竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

バキバキにギリギリーハセツネ30Kレポート2

レース終了から2ヶ月以上が経過してしまいましたが、2023年4月2日に開催された第15回ハセツネ30Kのレポート第2段です。

このレースで男子500位以内に入り、秋のハセツネへの優先エントリー権を獲得しました。

しかし、レース中は全く余裕がなく、写真をほとんど撮ることができませんでした。

写真少なめで一気に振り返ります。

 

今回のハセツネ30K2023はウェーブスタートが採用されていて、全部で3ウェーブに分けられていました。

ウェーブごとにゼッケンの色が違い、私が振り分けられた第2ウェーブはピンク色でした。

エリートカテゴリーの選手を含む第1ウェーブは緑か黄色で、第3ウェーブの選手は白です。

私達の第2ウェーブは、第1ウェーブの出発から5分後、8:35にスタートしました。

ちなみに第3ウェーブは私達の10分後、8:45に出発したそうです。

 

さて、スタート後はハセツネ本戦でも通る広徳寺周辺のロードとトレイルを走り、その後ハセツネ30Kでしか通らないトレイルで沢戸橋を目指します。

過去のハセツネ30Kの経験から渋滞は当たり前という意識が私にはあったので、とにかく道幅が広いところは飛ばす、と方針を決めていました。

がんばりすぎて脚を使いすぎたとしても、どうせ渋滞したらそこで休めます。

広徳寺過ぎのトレイルまではずっと走り続け、日向峰方面トレイルは少し詰まったものの、流れができてからは沢戸橋まで流れに乗っていきました。

序盤のトレイルは前日の雨で路面がぐちゃぐちゃでしたが、なるべくスピードを緩めずに駈け抜けます。

沢戸橋の先は西戸倉の登山口まで少しロードで繋ぎますが、そこも飛ばしました。

前に出られるうちに前に出ておく、そんな作戦で臨んだ序盤で、それなりに前に出ることができました。

西戸倉の登山口では案の定渋滞が発生しましたが、とりあえず体を休めながらゆっくり登ります。

登山口は足が止まるような渋滞でしたが、少し経ってからはベルトコンベアのような感じで進めました。

またこの日の午前中は意外に気温が低く、下げていたアームカバーを上げ、保温につとめながら歩きました。

西戸倉からは基本的に、急登とか激登りと言ってよいレベルのきつい傾斜を、城山、荷田子峠、予備関門のグミ御前(グミの木山)を経て、9kmくらいの地点にある臼杵山までひたすら登ります。

城山を通過したくらいまでは足元がまだぬかるんでいましたが、7km過ぎのグミ御前にある予備関門あたりからは気にならなくなりました。

グミ御前は10:04に通過しましたが、第3ウェーブの白ゼッケンを着けた速い選手には、グミ御前を過ぎてすぐの辺りで抜かれました。

実はレース中ずっと、第3ウェーブは私達第2ウェーブの5分後にスタートしたものと思い込んでいました。

なので、白ゼッケンのランナーに追いつかれた時は、そのランナーから5分のビハインドだと思っていましたが、実際は10分のビハインドだったと知ったのは、帰りの五日市線の車内でした。

8km弱で10分を詰めてくるとは、エリートレベルのスピードですね。

恐らくITRAのパフォーマンスインデックスは高くないのでしょうが、速い人は速いですね。

急登を登り切った先にある標高824mの臼杵山はこのレース最高地点で、私は10:29に通過しました。

臼杵山は9kmくらいなので、おおざっぱに言ってスタートから2時間で9km、時速4.5kmで進んできた感じです。

ちょっとペースが緩い気がしますが、私としてはかなり急いでいたつもりでした。

臼杵山からは、市道山方面への尾根道を辿ります。

ここは下り基調ですが、けっこうな急傾斜が続きます。

皆伐地で眺望のよいところを走っていると、ギァ~っと、お手本のような悲鳴を上げたランナーが、後ろからものすごい勢いですっ飛んできました。

恐らく木の根に足を引っかけてバランスを崩したうえに、コントロール不能なレベルまで加速してしまったのでしょう。

私は恐れをなして道を避けましたが、当人は悲鳴とともに軽快?に走り去っていきました。

転んだ様子もなく無事で何よりなのですが、絵に描いたような逃げ腰で避ける私の姿がオールスポーツにバッチリ撮られているのは、ここだけの秘密です。

その写真は記念に買ってしまいました。

このアクシデントでペースが狂ったこともあると思いますが、このあたりから脚に疲れを感じ始めました。

序盤から飛ばしたペースで入ってきて、そのまま中盤にさしかかってはいるものの、まだペースを落とせずに走り続けています。

11km過ぎの市道山の山頂手前からは、小坂志川をめがけてヨメトリ坂という名の登山道を下ります。

この坂はまた実に急な坂であるのですが、ここだけはこれまでのトレラン歴のなかでも全く通ったことがない区間で、事前に試走動画で仕入れた知識しかなく、不安で仕方ありません。

実際に走ってみると、急傾斜が続き、所々片側が切れ落ちて狭い箇所があり、やはり緊張しっぱなしでした。

ただ、足元は悪くないので意外と走りやすいかもしれないという印象です。

疲れが出始めていて何人かに抜かされたものの、総じてうまくまとめた感じで小坂志川の仮設橋に到着しました。

この橋のすぐ先に小坂志林道に設置された第1関門があります。

時刻は11:18、スタートから2時間50分くらいで13kmちょっと進んできました。

 

第1関門からはしばらく、小坂志林道のフラットに近いゆるい登りを走ります。

その先のゴロハチ林道からは傾斜が急になって走れなくなるため、走れるのは今のうちとばかりにペースを上げました。

ここは同じように考えている選手が多かったようで、ゆっくり歩いている選手はほとんど見かけませんでした。

この作戦がちょっと失敗だったなと思ったのが、ゴロハチ林道の登りに差し掛かった直後でした。

小坂志林道を走り続けた先、明らかに傾斜が急になり、足元がゴロゴロした石に変わると、そこがゴロハチ林道です。

レース前はこのゴロハチ林道の急傾斜でギアを上げてガシガシ登り、あわよくば順位を上げる目論見でいました。

しかし、第1関門手前から感じていた疲れが、小坂志林道を走り続けた結果増幅されてしまい、ゴロハチ林道の急傾斜で一気に噴出してしまいました。

脚がとても重くて前に踏み出せません。

近年登りに自信を深めつつある私にとって、この事態は、やベーな、の一言に尽きます。

もしもあのときもっとペースを抑えていればな、今まさにこんなに脚を疲れさせずに済んだな。

なんていう少しの後悔を抱えながら、よちよちと登りました。

でも周りのランナーも似たような状況ではあったようで、ガシガシ抜いていくことはもちろんできなかったわけですが、大量に抜かされることもなく、順位にさほど変動はないくらいで登りきってしまいました。

ただし、抜かれたのは後続の第3ウェーブの選手が主だったので、少しずつでも順位を落としていることは確実です。

ゴロハチ林道を登りきって稜線に出て、全体の半分くらいまでたどり着きました。

この醍醐峠のあたりから今熊山まで、ハセツネコースを逆走します。

長い登りはこの先もうないものの、市道山分岐くらいまではそれなりの急登で、その頃から身体が筋肉痛でバキバキ言い始めていました。

まだ15kmほどしか走っていないのに、かつてないバキバキ感です。

身体中をバキバキ言わせながら市道山分岐を通過、時刻は12:07でスタートから3時間32分経過していました。

 

この市道山分岐から先は下り基調ではあるものの、ハセツネコースの逆走であるため、登り返しが多数あるのはわかっています。

こうして先がわかっているというのも良し悪しがあるもので、戦略的に走れるという点ではメリットであり、キツイ場所を思い浮かべてメンタルがダウンするデメリットもあり、功罪相半ばといったところでしょうか。

ともあれ、身体はもうバキバキで、下りでも充分にスピードに乗れなくなっていました。

繰り返す登り返しでも、その都度筋肉痛による脚の重さを感じます。

後続の選手よりもペースが明らかに遅いのがわかるので、足音が迫る度に道を譲ります。

かなりたくさんのランナーに抜かれたので、男子500位以内で優先エントリー権を獲得することについては、半ば諦めました。

ハセツネコース序盤のこのエリアは森が深く、晴天であれば木漏れ日の美しい山道なのですが、この日はそんなものを愛でる余裕など全くないくらい、心身ともにバキバキです。

ただ、レースは続いているわけで、このコースをどれくらいの時間で走れるかというチャレンジは完遂しなければなりません。

途中、栗ノ木沢ノ頭に12:47に到着、市道山分岐から40分近くかかりました。

ただ、ここから少しずつ身体のバキバキ感が和らぎ始めます。

コースのアップダウンが同じく和らぎ始めるので、身体が楽になってきたのかもしれません。

とにかく遅くてもいいから走り続けるうち、次第に周囲のペースに合わせられるようになってきました。

トッキリ場を13:04に通過し、その勢いで第2関門の入山峠には13:17に到着、そのまま駆け抜けて今熊山を目指します。

入山峠~今熊山の区間は、身体は相変わらずバキバキなままなのですが、バキバキなりに良く動いていて、なかなか快適に走れました。

ここはどんな道なのかを身体で知っているくらい、過去に何度も走っている区間ということもあり、余計な頭を使わずに走れたということもあるのかもしれません。

ハセツネコースは入山峠から先(市道山分岐方面を指します)はアップダウンが激しくて、足元も木の根の張り出しに気を配らなければならないところばかりです。

今熊山から入山峠間は、少し狭いことを除けばとても走りやすいトレイルです。

復調したかなと思いながら、今熊山山頂を13:37に通過しました。

スタートからは5時間2分経過していますが、コースも25km地点を過ぎて後は下るだけ、山頂のスタッフは「残り3km」と呼びかけています。

ハセツネ30Kと名乗るものの、今回のレースは30kmはなく28kmほどであることは、公表されたマップで把握していました。

以前は33kmくらいの年もあり、それに比べれば5kmも短いわけですが、33kmの年には4時間代の前半でフィニッシュしていたのに、今年は5時間を過ぎてやっとラストセクションに差し掛かったところです。

コースのトレイル率が格段に高くなったことに比例して、難易度も圧倒的に上がったことが、その差につながったのでしょう。

 

今熊山からの下りは今熊神社の裏参道といった趣の山道ですが、それなりに急な下りのため、バキバキの大腿四頭筋が声のない悲鳴を上げていました。

この下りでもまとまった数の選手に抜かれましたが、もう順位は考えずに、5時間30分切りのフィニッシュタイムの実現を優先することにします。

そうするとなるとこの先にやることは限られていて、山道は耐えて無事に下りきる、ロードに出たらぶっ飛ばす、バキバキの頭では、そのくらい単純なプランしか思い浮かびません。

今熊神社の裏参道を下りきり、変電所周辺のロードから飛ばし始めました。

広徳寺の手前トレイルで少し減速はしたものの、最後のロードは文字通りぶっ飛ばします。

私は人生を通じて基本的にスロースターターなのですが、こんなところでもその基本に忠実に、ぶっ飛ばしました。

心身ともにバキバキだけど、ギリギリまでは攻めるぜ、とばかりに人生で初めての侠気を迸らせながら、フィニッシュに飛び込みます。

タイムは5時間28分57秒。

5時間30分をギリギリ切って、最後の最後でやりきった感覚がありました。

ただ、ウェーブスタートのため、順位はその場ではわかりません。

多分600位くらいなんじゃないかな、と思いながら身支度をして帰路に着きました。

秋川を渡る橋から鴨さん達。

私の心は、のんびりしながらもどこかそわそわしています。

そんな帰りの車中で発表された速報値で466位、後日その順位のままで確定しました。

先日郵送されてきた記録集によると、第1関門の通過順位は417位だったのでフィニッシュまで50名ほどに抜かれていました。

序盤に飛ばした結果、身体がバキバキになってしまい、中盤以降ずいぶん抜かれたなという感覚は正しかったのです。

優先エントリー圏内の男子500位まで30名ちょっとしか後ろにおらず、タイム差でも5分30秒ほどしか余裕がありませんでした。

本当にギリギリ。

でもこの結果を受けて、秋の日本山岳耐久レース・ハセツネカップのレース戦略も決まった気がしています。

秋もバキバキ言わせながらギリギリ攻めるんで、そこんとこ夜露死苦