竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

旅立ちの刻ーUTMF2022レポート2

2022年4月22~24日に開催されたUTMF2022の参加レポート第2段です。
前日受付終了後からスタートまでを振り返ります。
そう、まだレースレポートは始まりません。
でも、スタートはします。
申し訳ない気持ちにはなるのですが、心に写りしよしなしことを書き綴ると、どうしても書き終わらないのです。

前日受付を済ませた後、新富士駅から歩いて10分ほどのルートイン新富士駅南にチェックインしました。
私はお風呂が好きなのですが、ほとんどのルートインには大浴場(ドーミーインも同様)があるため、レース前泊や仕事で出張する際には、最有力候補としています。
ただし、別の大会ですが、FTRの会場に近いルートイン秩父には残念ながら大浴場はありません。
改修するときにはぜひご検討ください。
ホテルでは、本屋で買ってきたチーズケーキを食べつつレースの準備を進め、夕食前には準備を済ませてしまいました。
夕食はホテル内の居酒屋で、三島コロッケ&メンチカツ定食にしましたが、他にも静岡産にこだわったメニューが色々あって目移りしました。
焼き魚にしておけばよかったかなと、今となっては若干後悔しています。
夕食後はもちろん大浴場です。
これから2日間は入浴できないので、とても大事な時間でした。

雨は夜更け過ぎまで降り続いたようでしたが、明けてレース当日の朝は快晴でした。
ホテルで朝食と着替えを済ませて10:00にチェックアウト、その後はロビーでゆっくりしながら、昼食のためにお腹が空くのを待っていました。
11:00になってから、荷物を全部持って移動を始めます。
ホテル近所の恵比寿屋という、たい焼きとたこ焼きとお好み焼きと焼きそばとスパゲッティなど、粉もののデパートのようなお店で昼食を摂りました。
いわゆる一つのカーボローディングです。
私はお好み焼きとたこ焼きをいただきました。

これがよい意味で普通に美味しゅうございます。
一緒に参加した友人Bさんのチョイスしたお店ですが、大満足でした。
スタート前のおやつにたい焼きもテイクアウトして、新富士駅のスタート会場行のバス乗場に向かいます。
次回のUTMFで新富士駅の前日受付があるのなら、ルートイン新富士駅南→恵比寿屋のコースを推奨します。

新富士駅の会場行バス乗場は、富士山口のロータリーでした。
バスに乗る前の富士山。

本日はくっきりと姿を見せています。
新富士駅からのバスは、スタート時刻が1時間遅くなったことに伴って、出発時刻が当初の12:00から13:00に変更されていました。
私たちがロータリーに到着したのは12:10頃でしたが、既に多くの選手たちが集まって来ていました。
すると、恐らく混雑解消のためにだと思いますが、定刻よりもかなり早めに乗車が始まり、乗り込んだバスではツアーコンダクターさんから、温かい「グッドラック!」のメッセージをいただきました。
とてもありがたいです。
これが「がんばって!」とかだと「言われなくてもがんばっとるわい!」ぐらいのことを瞬間的に思ってしまうくらいひねくれた私なのですが、この「グッドラック!」にはそのありがたさにちょっと目頭が熱くなりました。
この場で御礼申しあげます。

さて、その後の行程をお腹いっぱいだった私が大半を眠って過ごしている間に、バスはスタート会場の富士山こどもの国に到着しました。

13:30前でした。
私のスタート時刻は16:00なので、2時間30分ほどの余裕があります。
UTMF2016では、ここ富士山こどもの国にドロップバッグのある大エイドが設置されていました。
しかし、レースが短縮されたためここに来ることはありませんでした。
あの時来るはずだった場所にやっとたどり着いたんだなと、少し胸に迫るものがあります。
とりあえず検温だけ済ませると、園内には入らず駐車場のはじっこの方でドロップバッグや荷物の確認をすることにしました。
かなり時間に余裕があったのでトイレにも気軽に並べました。
陣取ったのが荷物預け場所への導線だったため、選手や関係者の往来が活発でした。
人々が行き交う様を見ていると、気分が高まって来ると同時に、UTMF会場に選手として存在していることへの実感が湧いてきます。
ただ、選手が着用しているウェアの色合いは、最近の流行りである街着としても通用するくすんだ色が多く、かつて主流だった原色バキバキ山の中は目立ったもん勝ち系のトレイルランナーがかなりの少数派となっていたのが印象的でした。
私のこの日のウェアは原色バキバキの赤いサイクルジャージで、少数派の中でも少数派です。
時勢というか、流れている時代を直接目にしたように思いました。
よく言われているのは、日本人の衣服は戦国時代までは派手な色彩が主流だったけれど、江戸時代から地味な色が主流になり始めた、という説があり、歴史考証的にも事実と捉えて差し支えないようです。
そういう意味では、近年のトレイルランニング界も戦国時代が終わり、泰平の世が訪れたのかもしれませんね。
地味な色は山に同化してしまうのではないかという危惧はあるにせよ、日本のトレイルランニングに成熟の時代が訪れたのならばそれはそれでよいのですが。
まあ、私は私で少数派の少数派であることに不満はなく、そもそも何を着ていようが着ていまいが、この先100マイルほどは走らなくてはならないのはみんな同じです。
そんな行き交う人々の中で、一際大きな(身長の)方がゆっくり荷物預けから帰ってくる姿が見えました。
友人Oさんです。
Oさんは自宅近所の飲み屋で知り合った方ですが、たまたまトレイルランナーでした。
私のトレイルランニング仲間は大体そんな感じの人ばかりなのですが、Oさんとはハセツネのボランティアを一緒にやったりFTRに一緒に出たり、たまに飲み屋で飲んだり、ごくたまに彼の自宅近くの川原のバーベキューにお呼ばれしたり、みたいな仲の友人です。
この日もUTMFに出ることは知っていたので探していたのですが、大げさに言うと進撃の巨人くらい大きいOさんなので、否応なしに目に飛び込んできました。
そんなOさんのウェアは江戸時代でした。
OさんとBさんと戦国の世を引きずっている私とで記念撮影をしました。
その前には古くからの友人で、私をトレイルランニングの世界に引き入れた友人Aさんに、ゼッケンナンバーの連絡を済ませています。
満を持しておやつのたい焼きを食べ終え、スタート地点へ移動します。

スタート地点への移動は、のんびりしていました。
私は第3ウェーブでスタート時刻は16:00、Bさんは第4ウェーブで16:15のスタートです。
どうせ今夜は寝られないんだからと、途中のベンチで軽く昼寝をしてから辿り着いたスタート会場はこちら。

「コロナって終わったんだ?」
周囲のランナーがそう感嘆の声を漏らすほど、かつての雰囲気がよみがえりつつありました。
とはいえ、コロナ禍ゆえに導入されたウェーブスタートのため、今スタートラインに並んでいるのは第1ウェーブの選手たち500名ほどのみです。
それでも壮観でした。
第1ウェーブはスター選手が大集合しています。

この写真ではみんな小さくてよくわからないと思いますが、トレラン界のスーパーカブ、ブラーキー鏑木毅さんが選手を激励して回っていました。

流行りのグータッチです。
嬉しいでしょうね。
第1ウェーブの華やかなスタートを見送った後、第2ウェーブのスタート前に福田六花さんが「前座の第1ウェーブがスタートしましたが、本命の第2ウェーブの皆さん準備はいいですか!!」と叫んだところで歓声が上がりました。
華やかなれど第1ウェーブは前座でしかなく、本命とは言ってもらえないまんま走って行っちゃったと思うと、一抹の寂しさを彼ら彼女らに覚えます。
そんな第2ウェーブのスタートを見送り、この場所に立ちました。

UTMF2022のスタートラインは明るく輝いてました。
「前座の前座の第1ウェーブ、前座の第2ウェーブの後はお待ちかね、本命の第3ウェーブの皆さん、準備はいいですか!!」の声を耳に、どうせ鏑木さんとヤマケンがいる第4ウェーブが真打ちなんでしょ、第4ウェーブのBさんがうらやましい、と、半ばひねた思いも抱きつつ。
緊張感とやっと走り出せる解放感を胸に、旅立ちの刻を迎えます。
2022年4月22日16:00、私のUTMF2022が始まりました。