竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

幻なんかじゃないーハセツネ30K2021中止

今年2021年のハセツネ30Kには、2016年以来5年ぶりにエントリーしていました。
本来は5月23日(日)に開催される予定でしたが、中止になりました。
新型コロナウイルス感染症COVID-19の蔓延による緊急事態宣言が、開催地であるエピデミックトーキョーに発出されているために取られた措置です。
ハセツネ30Kは、秋の「ハセツネ」日本山岳耐久レースの優先エントリー権を得るためのレースという位置付けが濃いレースです。
私は2013年に初出場してから2016年まで、4年連続して出場していました。
もちろん、ハセツネ本戦、日本山岳耐久レースの優先権獲得が目的で、幸いどの年も獲得はできたのですが、獲得条件は途中で大きく変わりました。
何年か前から、現行のハセツネ30Kの着順○○位以内に優先権が与えられる方式に変わり、予選会的性格が強くなりました。
2021大会は女子が80位以内、男子が600位以内でした。
私が参加し始めた頃は、レースの完走とグリーンフェスティバル(清掃活動や森林整備など)への参加がセットで必須条件でしたが、着順は問われませんでした。
最後にグリーンフェスティバルに参加したときは、竹藪の伐採を担当しました。
竹藪の伐採というと森見登美彦の『美女と竹林』というエッセイが思い浮かびます。
なかなかぶっ飛んでて面白い本でした。
森見登美彦と私は誕生日が3日しか違わず、しかも私の職場の同僚が幼い頃に彼の家の近所に住んでいたそうで、同僚の母上は彼のことを「とみひこくん」と呼ぶそうです。
そんな話もありますが、私はただ彼のファンなだけです。
とにかく、この竹藪伐採時には、美女とか美男とかどちらでもない人とか、力を合わせて急斜面の竹をひたすら切り倒しまくりました。
楽しかったですけど、結構な重労働ではありました。
でもその時に手を入れた竹藪は、秋のハセツネ本戦のコース沿いにあったので、その後何年も通るたびに気になっていました。
愛着がわいた、といってもいいのでしょう。
自分の走るフィールドを自分で整えるという経験は、やはり必要なのだと思います。
今はグリーンフェスティバルへの参加は必須ではありませんが、アメリカではレース参加への条件としてトレイルワークを必須としている所もあるようですので、また条件として復活させてもいいのかもしれません。

さて、今回は、大会が中止となったことで、ハセツネ30Kのエントリー者全員に優先権が付与されることになりました。
エピデミックトーキョーの状況を考えれば仕方のないことで、かつ、レースの目的は果たせた訳ですが、一抹の寂しさを覚えます。
「人流」(嫌いな言葉です。「人の移動」を物流のように表現することが薄気味悪いです。)抑制で感染予防という狙いは理解できますが、寂しいものは寂しいです。
ということで、寂しさを紛らわすためにハセツネ30K2021の試走の記録を残しておこうと思います。
試走は5月2日(日)に行きました。
ハセツネ30Kは慣れたものだから試走は必要ないと思っていたのですが、2020大会(これも中止になっていますが)からコースが大幅に変わったという情報がありました。
従来は6割がロードだったのが、ほとんどがトレイルになったというのです。
どんなコースになったのか想像がつかず、様子を見たくなりました。
当日は2021大会のコースが発表される前だったため、2020大会用のコースマップを頼りに走りました。
まずは武蔵五日市駅から今熊神社まで一息で走ります。
2020大会のマップでは、ハセツネ本戦で通る南側の表参道ではなく、北側の裏参道のような道がコースとして表示されていました。
この道は途中から、以前のハセツネ30Kでは終盤の下り道にあたる山道を登るようになりました。
登り詰めると目の前に今熊神社が現れます。
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後日発表された2021大会のコースでは、表参道がコースとして示されていたのはご愛敬です。
どうせ中止でしたしね。
その後はハセツネ本戦のコースを辿ります。
峰見通りは相変わらずのアップダウンです。
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暑いくらいに晴れた日で、木漏れ日も鮮やかです。
ただ、時折強く吹く風が想像以上に冷たく、樹林が薄い所ではアームカバーを肘まで上げるような状況もありました。
本戦のコースは市道山分岐を通り過ぎて醍醐峠付近まで辿り、その後、試走用のマーキングに沿って脇にある林道に下ります。
この林道は林業会社が作業をしてない日に限って試走が許可されており、この日は解禁日でした。
林道はひたすら道なりに下りますが、こぶし大の石がごろごろしていて慎重に走ることを余儀なくされました。
たとえレースでも、かっ飛ばすのは危険でしょう。
この林道を下りきると、小坂志川に辿り着きます。
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春真っ盛りを過ぎて初夏の陽光が、水面でキラキラしていました。
しばらく川沿いに下っていくと、ヨメトリ坂の登山口に到着します。
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ここから市道山に登る予定でしたが、結論から言うとここで試走を中止しました。
川原に下りる桟道がボロボロで、とてもレースで1200人が通れるような代物ではありませんでした。
まだ本番までには日数があったとはいえ、現状では安全が確保できる状況ではありません。
写真を撮っておけばよかったのですが、迂回路探しに時間をとられてすっかり忘れていました。
2019年の台風で流された橋も流されたままで、復旧していませんでした。
レースでは渡渉する予定だったのでしょうか。
試走の数日後に発表されたコースマップでも、この辺りの詳細は分かりませんでした。
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その先にあった橋を使う予定だったのでしょうか。
でも、その橋からヨメトリ坂登山道につながる道を見つけることはできませんでした。
今となってはわかりませんが、このコースをつなぐならば解決しなければならない課題で、最低限、桟道の補修が必要だと思います。
つながればとても魅力的なコースで、是非ここが安全に通れるようになるといいと願っていますので、トレイルワークの募集があれば力になりたいと思います。

試走を止めた後は小坂志林道を下り、武蔵五日市駅~都民の森間のバス通りに向かいます。
バス停からすぐの登山口の標識には通行止めの案内が出ていました。
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早く言ってよ、と思いましたが、まあ、仕方がないです。
笹平のバス停には大会のポスターが。
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数日後には幻の大会となってしまいましたが、このときは現実のものでした。
この日は友人Bさんと一緒でしたが、Bさんが走り足りないとのことで、バス通りのロードを走ることにしました。
緩い下り道で順調に走ってはいたものの、途中で私の右足に痛みが出たり、暑さで私の集中力が切れたりしたため、檜原村の役場付近まで走ったところでこの日のランニングを終え、役場前からバスに乗ってこの日の試走は終了です。
役場に隣接した檜原郵便局にはひのじゃがくんというキャラがいました。
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檜原村には何度か遊びに行ったことがありますが、じゃがいもが特産とは知りませんでした。
檜のヒノッキー、とかそんな感じのキャラがいても良さそうなのですが、やはり食べ物のじゃがいもの方が親しみやすいですかね。

試走を終えて数日後、大会プログラムが到着しました。
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ゼッケンもランナーズチップも同封されていて、臨戦気分が高まったその次の日くらいに、2021大会の中止が発表されました。
エピデミックトーキョーに発出されている緊急事態宣言の延長が見込まれることが原因でした。
その時延長された緊急事態宣言は、本日2021年6月7日現在、まだ解除されていませんね。
大会は幻となりましたが、先日参加賞Tシャツが送られてきました。
表には大会ロゴ。
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裏にはフィニッシュテープを切るランナーのイラスト。
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振り返ってみると、すべてが幻だったのではなく、ただ大会が開催できなかっただけなのだなと気づかされます。
練習の記憶や開催準備の記録、参加賞ははっきりと手元に残っています。
幻なんかじゃない。
大会が中止になっても、残るものはいくらでもあります。

そういう意味では、オリンピック・パラリンピック東京2020大会も同じです。
開催できないからと言って、すべてが幻にはなりません。
オリンピック・パラリンピック東京2020大会は、日本のみならず世界の市民の生命と健康を危険にさらさないためにも、開催を取りやめるべきです。
ハセツネ30Kの実行委員会にできたことが、IOCやIPCにできないわけはないでしょう。
やめたからといって、これまで築き上げてきたものすべてが幻になるわけではありません。
残るものはいくらでもあるのです。
だから、安心して中止を決断してほしい、と切に願います。