6月10日のスカイライントレイル菅平では、応援者としてコース上に出没しながら、鐘ではなく小さなカウベルを鳴らしていました。
BUFFのノベルティのカウベル、大活躍でした。
左腕に骨折の手術による痛みがあり、拍手で応援するのは辛いのですが、カウベルなら片手を振るだけでカラカラと元気に鳴り続けてくれます。
菅平牧場で山ツツジに囲まれてカウベルをカラカラ鳴らしているとき、ずいぶんと妙な気分になりました。
自分がその手の妖怪(水木しげる的なそれ)になってしまったような気がするのです。
山道でトレイルランナーを待ち伏せしてカウベルを鳴らす、妖怪「カウベル鳴らし」。
もしくは妖怪「カウベル」にとりつかれてしまったような感じ。
手が勝手に自分の意思を離れてカウベルを鳴らしている、もしくは自分の意思と無関係にカウベルが鳴っているような感覚といえばいいのでしょうか。
そんな気分になりました。
まあ、たとえ妖怪だとしてもうるさいとかうざいとか、それ以上の害はなさそうなのが救いですが。
そんな妖怪カウベル鳴らしである私ですが、カウベルを鳴らして選手を応援するのは本当に楽しいものでした。
自分が参加していなくても、周辺でウロチョロ遊んでいるだけで十分楽しいのです。
今回は応援に徹したことで、私がいかにトレイルランニングというスポーツが好きで、トレイルランナーが好きなのか、ということがよくわかりました。
このスポーツに触れていることが、私の楽しみであることは間違いありません。
私の手で鳴っていたカウベルは、第一に私の楽しみのために鳴っていたのでしょう。
そのカラカラという音が、結果的に私のためだけではなく、選手の力になるのであればそれは幸せです。
鏑木さんの著書『プロトレイルランナーに学ぶ やり遂げる技術』には、誰かのためにと自分のためにを使い分けるというテーマがありました。
そこで鏑木さんは以下のように語っています。
「自分のために」走ったことが、回り回って「誰かのために」なるのです。この順番を間違えてはいけません。
この、まずは自分のために、という心がけは大切なものだと私も思います。
私は私の楽しみのために、トレイルランナーとトレイルランニングを応援する、という基本を忘れないようにしたいと思います。
BUFFのカウベルの片面には、FLAT IS BORING!!
私はこのスローガンが大好きです。
そうだよね、起伏がないとつまらないよね。
山に行かないと面白くないよね。
なんて、身を乗り出して同意してしまいます。
骨折の影響で、しばらくは「トレイルランニングをすること」からは離れざるを得ない状態の私ですが、だからといって起伏のない所ばかりで生きていては面白くありません。
そして、トレイルランニングはなにも、走るだけがトレイルランニングではないのだと思いたいのです。
退屈になったら、またどこかの山の何かのレースで、妖怪カウベル鳴らしと化してトレイルランナーを待ち受けていたいと思います。
そして、うちにはカウベルがもう一つ。
UTMFのPERTEXブースでもらった一回り大きなカウベルには、いつ出番が来るでしょうか。
まずは自分のために、鳴らしたいと思います。