竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

シンボル イズ ベストーUTMF2016レポート1

しばらくはレースもなく山行の予定もないので、2016年のレースを振り返ろうと思います。
一番思い出深いのは、やはりUTMF2016です。
ご存知の通り、UTMF2016は悪天候の影響で、当初169kmの予定が、スタート時にはA3麓までの49kmレースに短縮されました。
スタート前に鏑木さんから発表があったときは、一瞬会場にため息混じりの静かなどよめきが起きました。
ある程度までは覚悟ができていましたが、やはり脱力感に見舞われました。
やはり、この日まで100マイルの準備を積み重ねてきたわけです。
背中の力が抜け、ザックが急に重く感じられ、思わず軽く膝に手をついて、わずかな時間ですがうつむいてしまいました。
息を整えて顔を上げると、鏑木さんが泣いています。
このとき、何て好い人なんだろうこの人は、と、軽い感動を覚えてしまいました。
恐らく鏑木さんは、無意識であると思いますが、シンボルになれる人なんだなと思います。
その場にいる皆の思いの象徴になれる人なんだと、ひしひしと思いました。
会場の誰もが残念で、泣きたい思いの人もいっぱいいたでしょう。
かくいう私もサポートについてくれた友人が一緒にいなければ、たぶん少しは泣いてたんじゃないかなと思います。
鏑木さんの涙は、会場にいた私たち皆の涙だったのだと思います。

ともあれ、49kmとはいえ、レースはレースです。
しかも、この時点で大雨警報が発令されている地域に向かって走っていくわけで、タフなことは否定できません。
気持ちを切り替えて臨まなければなりません。
そのとき私は、ドロップバッグのあるA5富士山こどもの国までの補給食として、ジェルなどを100km分ザックやウェアに入れていました。
さすがにそんなに必要ないなと思い、軽量化のため半分くらいサポートの友人に渡しました。
サポーターが付いていてくれていると、こういうちょっとしたことでも本当に助かります。
ただ、このときは、後々ジェルを減らしすぎたと後悔することになるとは、つゆとも思ってもいませんでした。
実はそのとき、100km分のジェルを丸々持っていたのではなく、途中のサポートありのエイドで友人から補給を受けることを前提に少し減らしてあったのですが、それをすっかり忘れていました。
後でひもじい思いに悩むのは当然なのですが、ハプニングやトラブルに見舞われた際、私がいかに、自分のしてきた準備を忘れてしまう人間なのかがよくわかります。
唐櫃越でイノシシに遭遇した後も、動揺でルート情報のメモを読み忘れて道に迷いかけて、結果的に立ち往生しました。
事前に対策は取ってて、なおかつその場でも対応はしているのですが、前提を忘れてしまうので妙な結果に終わるのです。
反省はそれとして、その後悔についてはまた後のお話しです。

レースが短縮されたことで、モチベーションの問題が発生します。
私は100マイラーになりたくて、挑戦したくて、この場に立っていました。
前日から悪天候だったので、何かしらが起きてもおかしくないという覚悟はできていましたが、いざその場に立つと、事前の覚悟など予行練習でしかないことがよくわかります。
新しい状況に遭遇したら、その場で納得する答えを探して腹をくくるしかないのです。
私にとっての目標、これを設定し直すことを余儀なくされました。
そこで、ベストです。
ベストを尽くすではなく、フィニッシャーベストのベストです。
今回のフィニッシャーベストは機能もデザインもよく、完走できたらこれが着られるんだなと、テンションの上がる一品でした。
このことだけ考えよう。
完走できたらフィニッシャーベストがもらえるよ。
不本意だけど、短くなった120kmの分、フィニッシャーベストが向こうから近づいてきてるんだよ。
こんなチャンスはないぞ。
と、自分に言い聞かせて、サポーターの友人にも「ベストのことだけ考えて走ります」とおかしな所信表明をして、スタートラインに並びました。
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先にも書きましたが、短縮とはいえ、悪条件下のミドルレンジレースです。
スタート時に49kmだったのが、スタート後にはさらに44kmに短縮されましたが、大雨警報が発令されている中に突っ込んでいくことには変わりありません。
しかも、憧れだった、やっと立てたUTMFのスタートライン。
緊張感を覚えるのを禁じ得ません。
そして15:00ちょうど、49kmの旅がスタートしました。
目標はシンプル、イズ、ベスト!
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このベストは、私にとってこのレースのシンボルとなりました。
家で見返すと、鏑木さんの涙が浮かんできます。
そして、誰のためとか自分の目標のためとかそんな教条的なものをかなぐり捨てて、ただベストのために走ったあの日が思い出されるのです。
いいのかなそんなことで…。
本当はサポーターはじめ友人たち、会社の上司や同僚たち、両親、その他大切な人たちのために走りました、と言えなくもないのです。
そうした人たちの理解と応援があって自分がここにいることができる、ということもわかっています。
でも、それは前提なのです。
感謝の気持ちはもちろんあります。
しかし、レース、あるいは山を前にしたら、それは前提でしかないのです。
山に入ったら何があっても生きて帰らなくてはなりませんし、レースだったらどんなに苦しくても完走できるようベストを尽くすべきなのです。
そのためには、前提条件を越える何かが、私には必要なのです。
今回はそれを、ややこしいですが、ベスト、フィニッシャーベストに設定しました。
他者とのつながりは前提だから、それ以外に、何かを成し遂げるために何を目指せばいいのか。
ゆるいくせにうざいトレイルランナーである私は、そういうめんどくさい思索の時間が大好きな、めんどくさいトレイルランナーでもあります。
人とのつながりを越え、ただの個人として、もしくはただの個体として物事に向き合う。
私にとってトレイルランニングとは、そうした時間であって、またそうあるための時間であるかもしれません。
話がめんどくさいな…。