竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

そんなに損ではないー2018年振り返り

年末年始は京都の親元に帰省するのですが、東本願寺の門前にはこんな看板があります。
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20年近く帰省していて今日始めて気がついたのですが、そう言ってくれるのならばこの年も悪くはなかったのかなと思います。
というのも、2018年は人生初の骨折に左右され、色々と考えさせられた1年であったからです。

4月に馬頭刈尾根付近で転倒、転落して左上腕骨を骨折しました*。

http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/04/22/063505

骨折は左上腕骨骨幹部の単純骨折、平たくいえば、二の腕の骨が真ん中からボッキリ真っ二つといったところでした。
二週間入院して手術、チタンのボルトとプレートで骨を固定して退院しました。
なんだか強化人間とか改造人間になったような気分は今でも時折感じますが、正確にいえば、補強人間といったところでしょうか。
決して強くなったわけではないのです。
それにしても、事故の当事者として、命に別状がないばかりか、後遺症等も特にないことが、不幸中の幸いとしか言いようがありません。

ということで、4月以降はトレランや登山などの趣味はもちろんのこと、日常生活までが骨折の影響を強く受けました。
ちなみに治療費は限度額の制度などもあり、予想よりも安く納まりましたが、それでも私のアパートの家賃3ヶ月分くらいは出ていきました。
骨折り損とは言いますが、これは明らかに骨折りに伴う損失です。
金銭的なものだけではなく、治療後の身体の痛みや動きの悪さは言わずもがなで、フラッシュバックというほどではないものの、事故を思い出して嫌な気分になることもしばしばありました。
身体の痛みがどれほど心を沈ませるのかということも、身をもって知りました。
痛いとそのことばかりに気が向いてしまい、他のことが考えられなくなるのです。
その結果、痛みによる辛さで心が疲弊していきます。
それはできるだけ避けたいと思うようになりました。
骨折してからは痛みに弱くなったというか、感度が上がったような気がします。

ただそれは、悪いことではないのかなとも思っています。
自分の体の声に対する感度が上がったこと、そのこと自体はよいことなのだと思います。
骨折の痛みを経験しなければ気づかないようなことでもないのはわかっていますが、このときでなければ私には気づくことができなかったことなのかなとも思います。
そしてたぶん、痛みに耐えてがんばってはならないのです。
もちろん、がんばれる範囲でがんばるのはよいことだと思います。
でも、痛みに耐えてはならない。
それが骨を折ったことで得た知恵の一つです。
骨折りもそんなに損ではない、少なくとも無駄ではない。
一つだけですが、賢くなれたのでしょうから。

ところで、最近は平穏に過ごしていましたが、今日の大晦日になってジョギング中に右ふくらはぎを痛めるアクシデントが…。
明日予定していた京都の愛宕山への初詣登山を中止しました。
愛宕山にはここ何年か続けて初詣登山をしていたため**、それが途切れるのは残念です。
しかし、ケガをしているときに無理して入山する必要はないわけです。
ちょっと古いけれど、登れぬものは登れぬのです。
そして、痛みに耐えてがんばってはならぬのです。
その分、いつもと違う正月を楽しみたいと思います。
こういうのも無駄ではないのです。
たぶん。

**
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/04/22/063505

そして今年もあとわずか、私は年越しそばを食べて寝ようと思います。
皆様よいお年をお迎えください。