竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

また逢う日までーFTR100K2017レポート4

FTR100K2017のレポート第4段です。
記事上の私の所在地はスタートから35km弱進んだA3名栗・さわらびの湯、日時は2017年11月18日12:40頃でスタートからは7時間40分ほど経過していました。

予定時刻を過ぎて到着したA3名栗ですが、元々ここでは30分程の大休止をする予定でした。
その時間を短縮すればよいか、くらいに考えながら、補給と食事とマッサージ(自分で)と、あれこれこなしていました。
A3の大テントにはだるまストーブがあったので、前に陣取って故障部位などを入念にほぐしました。
大休止の目的は、このマッサージに時間を使うことにあります。
準備播但線、じゃなくて準備万端となったところで一度エイドアウトしようとしてテントを出ました。
13:00ちょうどくらいだったと思います。
しかし、テントの中から「コーヒーができました」的な声が聞こえてきたため出戻りました。
ただの飲んべえなだけでなくコーヒー飲んべえでもある私は、もう既に一杯飲んでいたのですが、外でも飲みながら歩きたくなってしまったのです。
余談ですが、私はエイドアウトの際、何か食べながら、何か飲みながら、歩いて出発する、というルールを自分に課しています。
その目的は、究極的には「慌てない」というところにまで集約されますが、少し細かく考えると「動作や状態の移行を緩やかに行う」というところなのだと思います。
これは以前友人Aさんとのおしゃべりの中で得たアイディアで、以来、私のテーマともなっています。
いつか詳しく考えてみたいと思いますが、今はその日の名栗の話を進めたいと思います。

エイドに戻った私は、お目当てのコーヒーを手に再度エイドアウトしようとしました。
ところが、スタッフに、出発しないで待っててもらえないか、と頼まれました。
何らかの事情でレースが止まっているので、再開まで指示を待ってほしいとのことでした。
13時を少し回った頃です。
再度テントに戻って待っていると、エイドの責任者の方がやって来て、レースが中止になった旨のアナウンスをされました。
エイドアウトをストップしてから、中止のアナウンスまでは長くても7,8分かかっていなかったような気がします。
事故で大会を続けることができなくなったという趣旨の話があったように思いますが、何かの記憶と混同しているかもしれません。
ただし、詳細は明かされなかったものの、中止にした理由の説明があったように思います。
私はそこで、先ほどのA2で奥宮さんとスタッフが交わしていた「滑落」という言葉を思い出しました。
関係があるとは思ったものの、その時点では事故が滑落であることがわかっただけで、それ以上のことはわかりません。
ただ、大きな事故になってしまったのだなとは思いました。

アナウンス後のテント内はそれなりにザワザワしましたが、総じてボリュームは小さく、静かな騒然といった趣でした。
私は自分の両隣に座っていた方々と3人で、おしゃべりしながら状況確認や情報収集をしていました。
私は気がつかなかったのですが、ヘリの飛ぶ音を聞いたという人が多かったです。
救急車の音なら私も金比羅尾根の途中で聞いたのですが、今回の事故に関係があるかは不明です。
A3名栗は山中のエイドではなく人里のエイドなので、スマホがバンバンつながります。
先行している友人Aさんからは、安否確認のLINEをもらいました。
Aさんはとんでもなく速い選手なので、A6飯能に着いたところでストップとなったそうです。
テント内は秩序だってはいるものの、ランナーストップの後にエイドインしてきた選手も増えてきたため、大分賑やかになってきました。
また、残しても仕方がないということで、食料や料理の大盤振舞いが始まると、今度は本格的に騒然としてきました。
私も大分食べさせてもらいました。
ごちそうさまでした。

さて、お腹も落ち着いたところで、3人で秩父の会場まで帰ることになりましたが、ここで小さな問題が起こります。
実は、このA3名栗でレースを終えた選手達は、他のエイドでストップした選手達よりも、少しではありますが、金銭的な負担が大きくなります。
A3と他のエイドとの最大の相違点は、鉄道駅までのアクセスです。
他のエイドは距離こそあれど、徒歩で西武鉄道に出ることができます。
しかし、A3名栗の場合はそれがほぼ不可能です。
飯能駅まで40分ほどバスに乗らざるを得ないのですが、そのバス代が620円かかります。
これはお金さえ持っていれば負担にもならない額だとは思いますが、私の周囲では、電車代はあるけれどもバス代までは持っていない、という方が多くいらっしゃいました。
これは大会規則にも問題があると思います。
規則には、飯能から秩父までの電車賃410円を持って走るようには書かれていましたが、A3名栗から飯能までのバス代については記述がありません。
有り金は全部背負って走る系のトレイルランナーである私には影響はないのですが、最低限の所持金で走る系の選手には気の毒だったと思います。
特に関東地方以外から参加された選手はこの地域の交通事情に詳しくないので、バス代についても書いておくべきではないかと強く思います。
まあ、3年間出ている私でも今回こういう事態が起きて初めて気がついたことなので、盲点ではあったのだと思います。
金額まで詳細に書いてあるのは、親切心の現れであることも想像ができます。
しかし、その親切心が裏目に出てしまい、名栗からのバス代に想像がおよばなくなってしまったのだと思います。
誰も意図せぬミスリードです。
この点、またの機会にはぜひ、改善していてほしいポイントです。
FTRにまたの機会があることを強く願っている者として、改善を要望します。
でも、こういうことはここじゃなくてランネットに書くべきかもしれませんね。
後で書こ。

名栗から飯能に向かうバスは、乗客の95%くらいをトレイルランナーが占めていて、まるでリタイアバスのような光景でした。
秩父に戻る西武鉄道も似たようなものでした。
はじめは、席が少し空いている程度の混み具合でしたが、途中駅で他のエイドからの帰還者が続々と合流して混雑してくると、専用の輸送列車のような雰囲気になってしまいました。
すでに事故の報道も把握できるようになっており、整然とはしているものの、車内は静かな興奮状態に包まれていました。
私はA2で見た奥宮さんの姿を思い出しました。
事故対応のためにエイドを飛び出したあの時、どんな気持ちだったのでしょうか。

Aさんとは幸運にも電車で合流できました。
合計4人となった私たちは、文字通りの四方山話をしながら会場に戻り、そこで別れました。
彼らとは、恐らくほぼ確実に、またどこかのトレイルレースの会場で会うのだと私は思っています。
私は人の顔を覚えるのは得意な方で、一度レースで言葉を交わした人であれば、その人をしばらくは忘れません。
名前は忘れてしまうこともありますが、そうやって覚えた人たちとまた会う機会を、私はかなり楽しみにしています。
ただし、人付き合いは苦手なので、連絡先の交換したり、再会の場で私から声をかけたりすることは稀です。
それでも、「あ、○○で話した人だ」「今年もまた会えたな」などと思うだけで、柄にもなく幸せな気分になります。
トレイルランニングは愛好家の人数が少なく、レースの規模も小さいので、ちょっとだけでも見知った顔に会うことが多いスポーツだと思います。
そして、たとえ個別に付き合いはなくとも仲間は仲間である、そう思える距離感がこのスポーツにあることが、私にとっては心地よいのだと思います。
また会えた、それだけで十分なのです。

今回の事故で他界された方とも、もしかしたらそういう形で会っていたのかもしれません。
そう考えるとやはり、私は私の立場でしかないのですが、大きな喪失感と悲しみを覚えます。
また会えた、と思えること自体の重みを強く感じています。
これから必要なことは何か、個人が考えていくしかないことではあります。
私は、事故の検証が丁寧になされること、この山域を安全に楽しむことができるようになること、できれば誰もが納得出来るような形でFTRが再開できるようになること、これらを願って止まず、できることを探して協力したいなと思っています。
またFTRで会える日が来るという希望をもとに、何かをしたいと考えています。

☆以下追記
記事をアップロードした後に帰宅したところ、FunTrailsから封筒が届いていました。
中身は、封筒を触っただけで想像がついたのですが、完走者に贈られるFinisherメダルでした。
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そんなことしなくてもいいのに、わざわざ贈ってくれたのです。
この心意気に開封前から目が潤んでしまいました。
奥宮さんからの丁寧な手紙も同封されていました。
来年については全く未定とのことですが、またの機会のために、私に何か協力できることがあるのでしょうか。
真面目に考えたいと思います。