竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感です。藤沢周平が好きです。

思いと安全ーUTMF2018に向けて3

間がずいぶん、半年近く空きましたが、UTMF2018への思い入れ第3段です。
ちょうど山ネタが枯渇していることもあり、過剰なまでの思い入れに、ある程度の区切りをつけてみたいと思います。

どうしても、UTMF2016の経験の総括が自分自身できていないのですが、まとめられないなりに私見を書き連ねます。
また、この記事を書く上で、2017年3月27日に栃木県の茶臼岳で起きた雪崩事故が大きな動機となっています。
実は、この記事を書き始めたのは3月の上旬からでしたが、なかなかまとめることが出来ないまま放置していました。
そのうちにあの遭難事故が起きました。
それが自分の経験と重なる点があったため、さらにまとめられなくなりました。
そして、もう8月も半ばを過ぎ、まだまだまとまってはいないのですが、それでも過剰になってしまった思い入れの一端を放出したいと思います。

あの雪崩事故の報道に接する度に、自分がUTMFで経験したことに構図が似ているなと思い、何かを書き残さずにはいられなくなりました。
でも、今回は落ちをつけられないテーマで、たぶん投げっぱなしで終わるのだと思います。
また、他者への批判ととられてもおかしくない内容が多々含まれます。
批判することが悪いことだとは微塵も思ってない私ですが、過剰な思い入れの言葉はは時に、誰かに不快感を抱かせる言葉となって現れるかもしれません。
そこだけは気になりますが、書いてしまったものは書いてしまったのです。

安全という面で大きな関心があるのは、大会の開催可否の判断基準についてです。
UTMF2016もSTY2016も、スタートしたことの是非の検証が改めて必要なはずです。
UTMFでは、気象警報発令中の地域に向かってスタートし、再度の短縮はありながらも、レースはとりあえず成立しました。
かたや、STYは気象注意報の発令下でスタートして、重大な事故につながりかねないコース状況の悪化で、レース中止に追い込まれました。
UTMFでは、天子山地に向かう途中にある涸れ沢が増水して危険な状況だったことを把握したため、スタート延期かつコース短縮となりました。
その判断ができるのなら、なぜSTYコース上にある涸れ沢が、天子山地同様に危険な状況に陥るという予想ができなかったのでしょうか。

私が一番気になっているのは、前日に大雨警報によってレース短縮を余儀なくされたことが、かえって「大雨注意報ならば大丈夫」というバイアスになっていなかったかという点です。
これは茶臼岳の雪崩遭難事故にも繋がるバイアスで、かの事故も雪崩注意報ならば「経験的に絶対安全」という、論理的に破綻した判断が引き起こした遭難でした。
脱線しますが、経験は過去のものでしかなく、未来予測の際に「絶対」というものを導けるものではないはずです。
それは経験からの類推の営みである科学ですら、絶対を保証しないのと同じことだと思います。
「経験的に絶対」という理路は、それこそ絶対に成り立たないのです。
こういう判断の仕方は危険であると、自戒をもって肝に銘じたいと思います。

で、STYです。
スタートさせなければ雷で危険だったという判断があったということは、その後の報告や報道で目にしました。
しかし、それが適切だったとはどうしても思えなかったのです。
むしろ、雷が迫るなかスタートするほうが危ない気がしたのです。
雷避けの施設がないことを理由にあげていたと思いますが、富士山こどもの国にはUTMF用のエイドステーションの準備がされていたはずです。
何とか、エイドと他の施設で選手を収容することはできなかったのでしょうか。
そもそも、トレイルランナーは登山者です。
登山者であれば、あの天候で不要不急の山行に出発するのでしょうか。
合理的に判断できる状況ならば、私は行きません。
それはUTMFにも言えるのです。
気象警報が発令されている地域に向かって、私達は突っ込んでいきました。
登山者としてそれは正しかったのでしょうか。
私は、今なら正しくなかったと思うことができます。
結果オーライではありましたが、それではよくないのです。
この問題は難しいのです。
正直、走れてよかったと思ってはいますし、あのフィニッシャーベストは宝物と言っても過言じゃありません。
そして、走らせてくれてありがとうと言っていた方の気持ちにも共感しています。
でも、やはり、それで済ませてはならないのです。
なぜならば、いわゆる「思い」が、私たちの判断を狂わせるからです。

私が一番心配なのは、現在のトレイルランニングレースが、全体的に、関係者の「思い」を重視し過ぎているのではないかということです。
思い無くして、楽しみも達成感も何物も成立しないのは重々承知しています。
そもそも、私は思いが過剰な人間です。
しかし、もしも、UTMFとSTYのスタートが、ランナーの走りたいという思いに応えるという動機があったのなら、それは合理的な判断を阻害する要因であると私は思います。
参加者の思いを主催者が汲んでくれることは、本当にありがたく、嬉しいことだと思います。
スタッフの思いも、参加者のそれよりもむしろ強いものであることは理解できます。
でも、「走りたい」「走らせてあげたい」という人間の「思い」が、ひとたび荒ぶってしまった自然の前では無力なことを、私を含めたUTMF/STY2016の関係者は身をもって知ったと思います。
状況によっては、「思い」は置いておいて、登山の安全原則に従うべきです。

茶臼岳の雪崩遭難事故について、詳しく知ることができないでいますが、現場の責任者がもっと「思い」にとらわれずに判断することができていれば、あの高校生達と若い教員は亡くなることがなかったのかもしれません。
山好きであろう彼らと、どこかの山で巡り会ったかもしれない未来を、私たちは喪ってしまったのです。
そのことがとても、残念でなりません。
心が痛みます。

たまには、やめる勇気を。
鏑木さんの「楽しむ勇気を!」のパロディーでしかないかもしれませんが、「思い」に引きずられず、やめる勇気を持つべき時には持つべきと思います。
「思い」は、生きてさえいれば持ち続けることができます。
そして、生きて「思い」を持ち続けるために、やめるときはやめるのです。
全ての登山者が当たり前のように持つ勇気であってほしいと、私は強く思います。
やめる勇気は、登山のカテゴリーにあたるトレイルランニングレースにおいて、私が大切だと思う心持ちの一つなのです。
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UTMF2016の足和田山から見た富士山です。
レース中にこの富士山を見ることができて、とても嬉しかったのは事実です。
でも、例えレース中止という状況でこの富士山が見られなかったとしても、私はそれを受け止めることができるトレイルランナーでありたいと思います。
現時点では、UTMF2018へのエントリーを考えてはいませんが、いつかはまた参加したいと思います。
そして、いつかこの地に帰る、生きてそう思えることは、やはり幸いであると思います。
待っててください、富士様。
じゃなくて富士山。