竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感です。藤沢周平が好きです。

過剰なものを鎮める

このお盆もカレンダー通りに職場に通っているのと、故障のために山行を控えているため、新たな山ネタを仕入れることができませんでした。
コンパス、ドライサック、テントなど、小さなものから大きなものまで買い物はしましたが、まだ思い出はもちろん、あふれるほどの思い入れがあるわけでもなく、いずれ何かしら書くことができればいいと思います。
9月10日の信州戸隠トレイルまでに、1度だけ山に入る機会があるので、それは記録に残したいと思いますが、ちょっと先のお話です。
今は私がブログを始めてから考えていたことをつらつら書いてみたいと思います。

先の記事で、百日紅の過剰なまでの生命力の発露に感服しているという話をしました。
しかし、過剰であること全てを肯定しているわけではありません。
過剰なものを放出することで発露される表現に、私は自ずと心を揺さぶられてしまう、というのが近いと思います。

過剰ということであれば、ブログに書かれる言葉もまた、過剰なものといって過言ではないように思います。
特に私は、自分の意識に上った言葉を全て記録したいという無茶な願望を持っている節があり、どうしても書き言葉が過剰になります。
ただし、そうした過剰な言葉たちによって得られるものがあると思います。
私がトレイルランニングを始めてから6年が経とうとしていますが、その間、山の知識やレースのレポートなどが書かれているブログに、どれだけお世話になってきたことでしょうか。
恐らくはブログなど書かなくても人生には支障がないのに、あえて書いている人たちがいます。
そこに並べられた言葉たちは、筆者の人生の必要最低限ではなく、それを越えて言葉にしたい何かたちの表現であり、私はそれを過剰な言葉たちとして受け止めています。
余剰の言葉といってもいいかもしれません。
そうした過剰や余剰によって私は、足りないものを補い、知らないことを知り、想像すらしたこともないことについて考えることができるようになったと思っています。
実際に山に行くのと同じくらい、他人の言葉を読むことによっても自分のなかに蓄積していくものがあると、しみじみ思っています。
先達たちがその身の内に抱えていられなくなった、過剰だったり余剰だったりする言葉によって、私の世界は拓かれていきました。
このことには大きなありがたさを感じています。
101本の記事をこれまでに書いてきて、私自身の過剰な言葉が、同じように誰かの役に立っていれば、これは大変な幸いだと思っています。

ただ、誰かの役に立つことがこのブログの至上命題かと言われればそれはノーで、あくまでも自分のために、過剰な言葉たちを鎮めているのです。
私は昔から自意識過剰でしたが、それを特に何かで表現するような人間ではありませんでした。
ただ、そのことで色々と溜め込んでしまって、それが問題となっていることもあります。
今の私は、この場を利用して過剰な自意識を放出することで、自意識のバランスを整えているのだと思います。
私の身の内に溢れる過剰なものを、言葉に乗せて解き放てば、私自身がそれに押し潰されないですみます。
このブログは、私にとってはそうした意味合いのものです。
当初は薄れてゆく記憶を補い、かつ、今までにお世話になった先達と同じように、情報源として役に立つようなブログになればいいなと思っていました。
101本の記事を書いてきて思うのは、当初の目論見よりも、私は私の過剰なものを放出することを一番の目的としているのだ、ということです。
これからも恐らく、私は過剰な自意識を放出し続けるのだと思います。
私に限らず、過剰なものが放出されて、その過剰が誰かに何かをもたらす世界を、私は豊かな世界だと思います。
世界は過剰で、豊かであって欲しいと思います。
そして私は、世界がそのようであることを支える人間でありたいと思います。
とはいえ、この御大には、過剰なマグマを放出しないで欲しいものですが…。
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