UTMF2016の余録第2段です。
余録なのに2段てなんなんだ、どれだけ書きたいんだあんたと私自身思いますが、やはりどうしても、あの集団ロスト勘違い騒動について考えをまとめておきたいと思います。
特に私のように、戻る判断も進む決断もできず、ただ立ち止まってしまったものの反省は、何かしら書き残しておかないといけない気がしました。
レース後に色々なレポートを探したのですが、渦中の方が何かを書き残しているものが、なかなか見つけられません。
そのため、あの場で何が起きていたかを考える材料として、引き返していったランナーたち目線のものを参照できないのが残念ですが、立ち止まってしまったたものの視点で考えたいと思います。
それが起こったのは、22:30頃、恐らく42,3kmくらいで、UTMFコースマップで言えば、D11とD12の間で、D12にはあともう少しという地点でした。
木立の中の緩やかな坂の途中で、ロストしてフィニッシュを過ぎてしまっているかもしれないと言って、ランナーが引き返してきたのですが、私の前後のランナーがほぼ皆、一緒に引き返して行きました。
もしかしたら、その時点で先に進んだランナーもいたかもしれませんが、私のところからは確認ができませんでした。
私は即座の判断ができずに、ただ一人取り残されてしまいました。
とりあえず人心地ついてから、本部に電話して状況を確認しましたが最初の通話では現在地を知らせることができず、判断材料を得ることはできませんでした。
すると後方から、お二人のランナーが下ってきました。
私はお二人に事情を話して協力をあおぎ、本部に再度電話した際、GPSで現在地を表示してもらったり、進退の相談に乗っていただいたりしました。
この方たちと一緒に進んで、それぞれフィニッシュすることになるのですが、非常にありがたかったです。
私達3人とその前にフィニッシュしたランナーのタイム差は8分ほどありました。
私達の後ろのランナーとの差は4分です。
前後はいわゆるボリュームゾーンと思われ、1分間に数人フィニッシュするような時間帯でした。
フィニッシュ前に会ったサポーターの友人が、全然人が来なくなっちゃったから心配したよ、というくらい、不自然な間隔だったと思います。
現場のスタッフにも勘違いで引き返してしまった人達がいることを伝えましたが、だから全然来なくなっちゃったんだ~、みたいな反応でした。
私達がトラブル解決に擁した時間が8分、トラブルが影響した時間が、前後合わせて12分ほど。
参加人数が多いので、その12分間に3人しかフィニッシュしていないのは異様です。
私はフィニッシュ前後にスタッフに伝えたのですが、私以外にも同様の連絡をしたと話していたランナーがいました。
フィニッシュ地点では、ある程度事態が把握されていたと思いますが、どのような対応がなされたかは、その後私は把握していません。
ただ、その後、引き返していったと思われるランナー達がフィニッシュしているのを見て、無事に帰ってこれたんだ、よかった、と安堵したのは覚えています。
振り返るに、私はなぜ引き返さずに立ち止まってしまったんだろうかということ、あの状況で自分の取った行動がどのように位置付けられるだろうか、この何ヵ月か考えていました。
なぜ、についてはけっこう簡単に答えが出て、頭が判断できる状況になかったため進退窮まって止まってしまった、加えて、状態の悪いトレイルを引き返すのが嫌だった、の2点が主な理由でした。
引き返していった人達の気持ちはわからないのですが、行動原理は理解できます。
ロストしたと思ったら、わかるところまで引き返すのが登山者のセオリーです。
鏑木さんも石川さんも望月さんも、奥宮さんもヤマケンも、どんなにレベルの高いランナーであれ、トレイルでは登山者としての自分を忘れないという趣旨の話をします。
我々トレイルランナーは登山者なのです。
引き返すことを決断したランナー達は、登山者であるトレイルランナーとして、正しい決断をしたと思います。
一方で私のとった行動は、自分がどういう状況に置かれているかが自分自身判断できない中で、外部に助けを求めるというものでした。
これを登山者の文脈で考えれば、私は遭難者です。
自力でルートがわからず外部に連絡した時点で、その登山者は遭難者です。
そのときの私は、自律した登山者としてのトレイルランナーではなく、遭難者としてのトレイルランナーでしかありませんでした。
後から進んできたお二人がいなければ、弁慶でもないのに立ち往生している、遭難トレイルランナーでした。
立ち往生から逃れられたのは本当にお二人のおかげでした。
ありがたいの極みです。
来た道を引き返したランナーの選択は、結果的にロストしてなかったという意味では、間違いとなってしまったと言えなくもありません。
しかし、セオリーに沿った思考プロセスと行動は、自律した登山者としてのトレイルランナーという文脈で考えれば、正しく適切な行動をとっていたと私は思います。
その場に立ち止まって外部の指示をあおいだ私は、結果的に正しいコースを走ってフィニッシュできましたが、それは生還した遭難者だと思います。
どちらが登山者として優れているかと言えば、明らかに引き返していった方たちだと思います。
そして、迷うことなく進んできたお二人のランナーも、自律した優しい登山者でした。
今回のことを振り返って実感するのは、結果が正しければ全てがよいわけではないということです。
結果は大切ですが、そこに至る過程と心得も大切です。
当たり前の結論で恥ずかしいのですが、そんなことを痛感させられました。
私は、心得の面で自分自身に足りないものを感じました。
本部に電話すること自体が悪いとは思いませんし、むしろ積極的に必要な局面はあると思います。
そういう連絡なしに遭難されるのは、主催者にとって最悪の事態でしょうから、そこは否定できません。
自力ではヤバイときに人に頼ることは、生きて帰るための必須スキルです。
それも、自律することと同じくらい大切な、登山者の心得だとは思います。
そういう前提に立ってなお、あのときの私が、もっと自律しているべきだったという自省と自戒の念を、今にして強く感じるのです。
修行が足りません。
もっと山に入って、登山者の心得を鍛えることが私には必要なようです。
精進あるのみ。