竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

スイッチーチャレンジ富士五湖100km2019レポート4

チャレンジ富士五湖100kmの部のレポート第4段です。
70km過ぎから100kmのフィニッシュまでたどり着きたいと思います。

旧精進小学校のエイドにある関門を出るとすぐに、往きに下ってきた長い橋を登り返します。
この橋に差し掛かったところで、突然体が動き出すようになりました。
私は元々登り坂を見るとなぜか心が燃え立つタイプのランナーですが、この日はロードで70kmを超えてくるという初めての経験で体が疲れきっています。
当然この坂も、これまでのように低空飛行でしのぐしかないと思っていました。
しかし、登り始めると意外に体が動くのです。
やっとスイッチが入りました。
坂の途中で、先行していたBさんに追い付き、追い越しました。
15分後のブロックからスタートしたBさんには60km近辺で追い越されていましたが、とりあえず元気になったので再度先行することにしました。
タイムでは15分のビハインドは変わらないのですが、競走しているわけではないので、その辺は気にする必要はありません。
最終的に二人とも完走することが一番の目標です。
それを目指して、やっと動くようになった体を動かし続けるのみです。
坂を登り終えてから下り、吉田うどんのエイドを再度過ぎてから西湖の周回コースに戻り、80kmの計測ポイントを越えました。
西湖から精進湖への下りがメインの60~70km、復路の登り基調な70~80kmのタイムを比較してみると、地味ではありますが、回復の痕を見ることができます。
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下り区間と登り区間をほぼ同じタイムで走ることができています。
登り坂のスイッチが効きました。

とはいえ、80~90km、90kmからフィニッシュまでは再びペースが落ちています。
80km過ぎの関門エイドを出てから、淡々と走り続けてはいるものの、再度のペースアップは最後までできませんでした。
低空飛行すらおしまい、ただ地面をひたひたと進むだけです。
90kmまでは西湖の周回コースと、そこから下って河口湖の周囲を走ります。
登り坂のない区間でペースの維持には最適なのですが、ペースダウンしてしまいました。
西湖の周りも河口湖の周りも、私にとっては初マラソンの第1回富士山マラソン以来久しぶりに走る道で、その時もペースが落ちて苦しんでいた記憶があります。
この日も、スイッチが入った状態を維持してはいても、体は正直で、どんどん反応が鈍くなっていきました。
これはひとえに練習不足が原因なのでしょう。
ウルトラマラソンを走りきる脚が出来ていませんでした。

90kmを過ぎた河口湖大橋の辺りから、ステラシアターにあるエイドまでは、緩やかな登り坂が続きます。
この登りは全て走ることができたものの、再び登り坂スイッチが入ることはありませんでした。
信号待ちの度にホッと一息入れながら、淡々と走ります。
ステラシアターのエイドからフィニッシュの北麓公園に向かう急な登りは、左アキレス腱の痛みでもう既に走ることができなくなっていました。
ステラシアターのエイドで合流したBさんと一緒に、早歩きで一歩一歩進んでいきます。
それでも、気持ち的にも体的にもだれた感覚はなくなっていました。
タイムはかなり悪いにもかかわらず、なぜか満足している自分がいます。
不思議なものです。
大きいのは、どん底から一度持ち直したことにより、完走できる自信が付いたことでしょうか。
前半は自信などほぼない状態で走っていましたが、ペースはなんとか維持できていました。
それなのに、ペースがた落ちの後半を自信を持って進むことができるとは。
つくづく面白いものです。

ステラシアターからの登りを終えると、北麓公園まで約2kmの下りになります。
私のアキレス腱の痛みは登りの時に出てくるタイプのもので、下りは問題なく走ることができました。
北麓公園の競技場にあるフィニッシュゲートまでは、既にフィニッシュしたランナーや応援の方々で大にぎわいでした。
あんなに声援に迎えられてフィニッシュできるなんて、途中でやめないでよかったとつくづく思います。
応援してくれた読者の方、苦しいときに引っ張ってくれたBさんにも大感謝です。
苦しい時間の方が長い12時間49分47秒でしたが、今となれば本当によい時間だったと思います。
いやあ、よかった。

低空飛行ーチャレンジ富士五湖100km2019レポート3

世間、というよりもメディアは令和元日などと浮かれムードを醸しているこの日ですが、メディアの末端である竹仙坊日月抄は、相変わらずそんな空気を読む気は一切ありません。
チャレンジ富士五湖ウルトラマラソンのレポートがまだ終わっていない段階で、時代が変わったも何もないのです。
そもそも時代が変わったのではなく、時代の呼称が変わっただけのこと。
同じ時代の呼称の問題ということで言えば、私にとってはチバニアンの方が大きな問題です*。

http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/03/10/133807
なんたって地球規模の話ですからね。
そんなところで気を取り直して、チャレンジ富士五湖レポートの第3段です。
レース開始から6時間40分後くらいに、56km過ぎにある足和田のエイドを出発しました。

足和田のエイドは河口湖から西湖に向かう登り坂の途中にあります。
エイドアウトした直後は長い休憩による体の重さと暑さにやられて、全く走ることができませんでした。
この体の重さは、このレース後半の間にずっとつきまとうことになります。
とりあえずパワーウォークで進んでいると、118kmのトップランナー達とすれ違いました。
向こうは下りなので勢いがついているのは割引いても、疲れた様子が見えないのが凄いなーと単純に感心してしまいました。
ファイトー!なんて声援もしたのですが、向こうからしてみれば、お前もな、いや、お前がな!くらいのノロノロペースで前に進みます。
やっとのことで西湖にたどり着いた所で、トイレに行きたくなりました。
チャレンジ富士五湖は観光地を繋ぐコース設定のため、ルート上に公衆トイレが数多くあります。
その点は恵まれていると思います。
トイレ以外で用を足すランナーも多々見かけましたが、少しの我慢で必ずトイレにたどり着くので、絶対に次のトイレまで我慢すべきです。
トイレ以外で用を足すべきではありません。
さて、トイレから出てレースに戻ると、目の前を友人Bさんが走っていました。
15分遅いウェーブでスタートしたBさんには、既に足和田のエイドで追い付かれていたのですが、先にエイドアウトしたため辛うじて先行を取り戻していましたが、この地点で完全に追い抜かれました。
体の重さ、暑さ、加えて足の痛みもありスピードが上げられず、ここは先行してもらうしかありませんでした。

西湖の吉田うどんエイドを過ぎると、3kmくらい軽く登ってから、精進湖に向かう長い橋を下ります。
この橋はUTMF2016でも精進湖民宿村のエイドに向かうために通った道で、若干の懐かしさを感じました。
しかしこの日はスピードに乗ることができず、ただ脚に負担をかけないように下ることだけ考え、ただただ落ちるように脚を前に出していただけでした。
精進湖に着いてからもペースは回復せず、ただ淡々と前に進むことしかできませんでした。
足の痛みも少し強くなってきていて、気持ちはかなり弱っていました。
そんな時は気分転換に限ります。
河口湖と西湖では余裕がなくて写真を一枚も撮れませんでしたが、ここでは無理にでも撮影しました。
そんな精進湖からの富士山です。
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写真を撮ってから気づいたのですが、富士山を見ながら走ると少し元気になれます。
これはわりと大きな発見で、ここまで下り坂でも体が重くて辛かったのが、少し軽くなったような気分になりました。
実際は、相変わらずペースはだれているのですが、前に進む気持ちだけは回復しました。
富士山を見るといつも力が湧いてくるから不思議です。
精進湖の畔にある70kmの計測ポイントを過ぎると、60kmからの10kmは1時間20分かかってしまいましたが、少し気持ちが上向きになっただけでも、幾分かはましな状況になりました。
ペースは落ちたままの低空飛行ですが、それでもいいから、とにかく進み続けるだけだ、という割り切った気持ちにはなりました。

関門のある旧精進小学校のエイドでBさんに追い付きましたが、コース上では追い付いたとはいえ、タイム的には15分のビハインドです。
少しおしゃべりしながら残りの道のりの準備をしました。
私は、気持ちは回復したとはいえ、ペースに反映できるような状況にはまだないと思っていました。
しかし、エイドアウトした後、ターニングポイントは意外とすぐにやってきました。

リスタートーチャレンジ富士五湖100km2019レポート2

世間、というよりもメディアは平成最後と浮かれムードを醸しているこの日ですが、メディアの末端である竹仙坊日月抄はそんな空気を一切読む気はありません。
ということで、チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン100kmの部参加レポート第2段です。

レースは50kmを過ぎ、私は暑さと疲れでだれていました。
47kmほどから河口湖の畔を走っていて、桜と富士山のコンビネーションが最高な場所もあったのですが、心に余裕がなく、写真を撮りませんでした。
リタイアは、43kmの河口湖ステラシアターのエイドを過ぎてから心を何度もよぎっていました。
ウルトラディスタンスに到達したのでもういいかなという短絡的なものもありましたが、練習不足で自信がなかったのが一番の理由でした。
完走できる自信というよりも、これ以上走り続ける自信がありません。
ただ、やめるにしても、56km過ぎの足和田のエイドにはたどり着いてドロップバッグを回収した方がよいだろうとは思っていました。
「ハーフハーフ」とは、浅田真央がかつて自らの進退について発したコメントでしたが、このときの私も恐らくは似たような心境だったのだと思います。
続けようかな、やめようかな、と揺れる思いのなか走っていたのです。

そんなとき、55kmを過ぎたか過ぎないか、足和田のエイドが近づいたあたりで、このブログの読者の方から応援をしていただきました。
まさか読者の方から応援をしていただくなんて思ってもみなかったため、若干取り乱してしまいました。
それでも本当に嬉しかったですし、ありがたかったです。
おかげさまで気持ちに張りが戻りました。
また、私自身がブログに何を書いたかを思い出すきっかけにもなりました。
私はドロップバッグのある足和田のエイドを境に、レースを2つに分けるつもりでした*。

http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2019/04/19/194705
前半と後半で違うレースという心持ちで走ることで、私の長続きしない集中力を持たせる目的でした。
私は自分で書いておきながら、このことをすっかり忘れていました。
足和田からは違うレース、ここで一度リスタートすべきなのです。
つまりはやめるべきではない。
思い出せたのは読者の方から応援していただいたからです。
改めて御礼申し上げます。

少し気持ちに張りが戻ったところで、足和田のエイドに6時間20分くらいで到着しました。
ドロップバッグを受け取って着替えながら、レース続行の意志を再確認しました。
右足の内くるぶし付近と左のアキレス腱に若干の痛みがあるものの、これらに痛みが出るのは通常運行といえるほどよくある現象で、つきあい方はわかっています。
また、エイドで隣り合った選手と着替えながらおしゃべりしているうちに、少し元気になってきました。
元気になれば、リスタートしない理由がなくなります。
ちなみのその選手の方はトレイルランナーでもあり、レースは100km超のウルトラトレイルにしか出ないという強者でした。
レースやシューズの話なんかも楽しい時間になりました。
今度はどこかのトレイルでお会いできることを楽しみにしています。

そんなおしゃべりをしているうちに、友人Bさんが着替えを終えて前を歩いている姿を見かけたので声をかけました。
Bさんのブロックは私の15分後にスタートしたのですが、ここ足和田まで快調に進んできたようで追い付かれてしまいました。
Bさんには取り急ぎ、リタイアを考えていたけどそれはやめた旨を話しました。
これでもうリスタートするしかありません。

着替えを終えてシューズも履き替えました。
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シューズは、写真下のアシックス・ヌーサから上のアシックス・ヌーサへのヌーサリレーです。
Bさんと私の設定ペースは1km6分30秒で一緒でしたが、追い付かれているということは、私の落ち込みに原因があります。
競っているわけではなかったのですが、まだ半分過ぎで15分詰められているというのは、結構なプレッシャーでした。
全て含めて20分ほど滞在したエイドですが、そろそろ出発しなくてはなりません。
落ちた気持ちはおかげさまで引っ張りあげられています。
新たな気持ちで足和田のエイドをあとにします。
レース開始から6時間40分くらいが経っていました。