竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

ボラボラートレイルレース参加計画2018秋

先日の台風で若狭路トレイルラン2018、信州戸隠トレイルランレース2018が中止となりました。
私はどちらにもエントリーはしていませんが、昨年は両方とも出場したため、こういう知らせを聞くと残念でなりません。
次回は好天に恵まれることを祈っています。

ただ、台風による中止のリスクはありますが、秋のシーズンはその年のメインになるようなメジャーレースが目白押しで、どのレースに出るか検討するのは、トレイルランナーにとって春から夏にかけての楽しみであると思います。
しかし、今年の私は骨折の影響でトレイルランニング自体ができません。
正確には、今年いっぱいはトレイルランニングをしないことにしています。
レーニングや遊びはもちろん、レースにも出ません。
骨折して以来、トレイルランニングをすることへの恐怖がまだ残っている今、無理をする必要はないのだと思っています。

かといって、山から遠ざかるのも面白くありません。
骨折後も、富士山五合目に行ったり、トレランレースの応援に行ったり、なんだかんだで山やトレランの周辺でウロチョロ遊んでいました。
ただ、遊んでばかりいるのも面白くありません。
この秋は、4月に骨折してから半年が経ちます。
日常生活には問題がないくらいに回復しました。
そろそろ人様のお役に立てる頃合いなのではないかと思い、2レースにボランティアスタッフとしてエントリーしました。

そのうち参加が確定しているのが、今週末10月7日に迫った日本山岳耐久レースハセツネカップ2018です。
ハセツネには昨年スタッフとして参加したため、本来ならばレースの優先出場権が行使できたのですが、骨折のため出場を見合わせました。
はからずも2年続けてスタッフになりましたが、今年も務めを果たしたいと思います。
まあ、台風は今週も心配ではあるのですが、こればかりは天に祈るしかないのでしょうね。

FTR100/FT50のキャストにも応募しました。
こちらは10月1日現在、まだ募集中のようです。
FTR100には2015から2017まで3大会連続で出場してきました。
この先ずっと参加したいくらい好きな大会で、今年も開催できることがわかった時には、心の奥底から喜びが込み上げてきました。
昨年の大会中の事故以降、この大会には何かしら協力をしたいと思っていたこともあります。
タイミングよく?骨折してレースに出られないこともあり、今回はじめてキャストとしてエントリーしました。
やるからには役割を果たしたいと思います。

ハセツネやFTRのような夜間レースのスタッフの持つ誘導灯の明かりは、選手としては心強いものでした。
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ライトセーバーみたいに、もうろうとした意識を覚醒させてくれる光のように感じていました。
でも、まさか今年もライトセーバーを持つことになるとは思っても見ませんでした。
それは私が、私の予測を越えた大怪我をした結果なのです。
でも、これを持つからには持つだけの責任があり、この役割に自発的に身をおいたものとしての責任を果たしたいのです。
選手をはじめ全ての関係者(私を含めて)が、フォースと共にあらんことを。
ジェダイの騎士でもなんでもない私ですが、ライトセーバーの誘導灯にかけて祈りたいと思います。
皆さま、ご無事で。

舞台ー信越五岳2018応援感想記

9月15~17日に開催された信越五岳トレイルランニングレース2018の観戦・応援に行ってきました。
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発案は友人Bさんでした。
ちょうどこの3連休に一緒に長野に行く予定があったため、いい機会だからついでにこの人気レースの雰囲気だけでも感じて来ようと思いました。
前日は長野を観光し、明けて16日の朝、始めは妙高高原駅近くの応援ポイントに足を運びました。
そこは熊坂エイド出発間もなくの、川沿いのフラットなトレイルでした。
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ここは110kmの選手しか通過しない地点ですが、応援スポットになっているようで、近くに他の応援者が10人ほどいました。
小一時間ほどカウベルを鳴らしながら声援を送りましたが、一桁順位の選手から女子の三位くらいまでを見送ることができました。
40km弱経過しているはずですが皆走りが軽快で、上位選手のレベルの高さに感心しました。

その後、Bさんは用事で別行動となり、私一人飯綱高原ハイランドホールのフィニッシュ会場に移動しました。
この大会の100mileに友人Aさんが出場していたので、フィニッシュに立ち会えたらいいなと思っていました。
飯綱高原スキー場のバス停を降りると、会場はすぐ目の前です。
フィニッシュ手前のコース上には、キビキビと働く男性が。
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石川弘樹さんです。
プロデューサー自ら、選手がやって来る直前まで設営作業をこなしていました。
よりよい大会にしよう、という心意気を強く感じる姿でした。
最後の下りからフィニッシュを望みます。
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ゲレンデを下りきった先のステージがフィニッシュです。
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ステージ上にはゲートやエイドなどが設置されています。
舞台の設定が最高だなと思いました。
ゲレンデが観客席で、選手はステージ上で観客から祝福を受けます。
この日、この舞台で最初に祝福されたトレイルランナーは、100mileのチャンピオン、奥宮さん。
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喜びを噛み締めている素敵な表情です。
この会場には観客が少なかったため、UTMFのフィニッシュのような祝祭感はないのですが、選手のこうした表情を見ているだけで気持ちが盛り上がってくるから不思議です。
結局、Aさんのフィニッシュまで会場にいることはできなかったのですが、この舞台を見に来れただけでもよい刺激になりました。
私もいつかこの舞台に、フィニッシャーとして立ちたくなってきました。
来年ケガから復帰できていれば、エントリー合戦に参加したいと思います。
でも、復帰できるかな。

故地散策ー木曽路藪原2018夏2

私の曾祖父は中山道藪原宿の近郊出身の櫛職人だったそうです。
この夏TJARの聖地・スーパーまるとに巡礼*したついでに、私のルーツの一つである土地を散策してみることにしました。

http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2018/09/05/125025
曾祖父の生まれは長野県木曽郡木祖村藪原のどこかということなのですが、ピンポイントでどこという情報がありませんでした。
そこで今回はとりあえず、藪原の街を散策するだけ散策してみることにしました。

中央西線藪原駅は古い木造の駅舎です。
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近隣の名所案内には上高地とありますが、
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その距離なんと54km、それは近いとは言わないよと思いつつ、TJARの選手はその距離を繋いで藪原にやって来るのです。
改めてTJARのスケールの大きさを感じます。
駅から宿場に入るには、アンダーパスで線路をくぐらなくてはなりません。
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ここは川を利用したもので、その先にはレンガづくりの趣のあるものもありました。
宿場町。
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高札場の跡。
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公報の掲示板のようなもので、宿場の出入口に作られることが多いそうです。
ここでは京都側にありました。
少し歩くと、宿場時代の防火壁遺構がありました。
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隣には現在、消防団の詰所があります。
藪原宿には本陣もありました。
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大名の宿泊施設ですが、すべての宿場にあったわけではありません。
藪原宿鳥居峠越えを控えていたため、大名行列が一泊していくことが多かったそうです。
飛騨街道の追分。
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上高地方面への分岐で、TJARの聖地・スーパーまるとへ行くには、中山道を離れてこちらの道を行く必要があります。
少し高台に登ると尾張藩鷹匠役所の跡。
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江戸時代の木曽地方は尾張藩の領地でした。
藪原を流れる木曽川が伊勢湾に注ぐことを考えると、その結び付きも納得がゆきます。
わかりやすく残っているものはほとんどないのですが、この土地の歴史の積み重なりを感じることはできました。
遺構がなくとも、案内板などで土地の記憶を残して知らせることは大事なことだと思いました。

さて、今回の旅の目的の一つに、曾祖父の作っていたお六櫛を、その故地で手に入れるということがありました。
道の駅でも売っていたのですが、宿場町を散策しているときに見つけた櫛問屋の山六篠原商店で購入しました。
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藪原では珍しい、古い町家造のお店です。
創業は古く、曾祖父がまだ藪原にいた頃からあるようです。
そこで手に入れたのがこのお六櫛。
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お店の主人は福型と呼んでいました。
伝統的な型とのことなので、恐らくは私の曾祖父もこの型の櫛を作っていたのではないかと思われます。
このお店にも櫛を納めていたのでしょうか。
定かなことはわかりませんが、感慨深いものがあります。
使い心地はとてもよいです。
髪が薄い私の場合、歯の一部が直に頭皮に当たりますが、ほどよい刺激を受けてなんとも気持ちがよいのです。
もしかしたら生えてくるんじゃないか?
と、希望を持てるような気持ちのよさです。
生えるかどうかはわかりませんが、それとは関係なく、使い続けたいと思います。

そんなお六櫛ですが、お店の主人によると、今では職人が片手で数えるほどしかいなくなってしまったそうです。
先祖の従事していた産業が細っていくのは悲しいことですが、まだ残っていることには希望が見いだせます。
この先末永く残り続けてほしいと思いますし、できる範囲の協力はしたいと思います。
まずは自分で使い続けることから始めます。

中央西線跨線橋から鳥居峠方面を望みます。
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鳥居峠を越えて曾祖父は上京しました。
もし彼が上京しないで藪原に住み続けていたら、私は生まれることがなかったのだと思いますし、生まれていたとしても違う人生を送っていたのでしょう。
今生では旅人として訪れたこの土地が、生活の場であった可能性があります。
櫛職人を継いでいたり、まるとで働いていたりしたのかもしれません。
感傷でしかありませんが、今の私と全く違う私があり得たことについて、実感できる旅でした。
それでも、もしかしたら、木曽の山々を駈けめぐるトレイルランナーであったかもしれません。
なんだろう。
40歳になるのを前にして、こんな、そうであったかもしれない人生というものに思いが奪われてしまいます。
これは、不惑になる前にとことん迷い惑いなさい、という何かのメッセージなのかもしれません。
それならばもう少し、あり得たかもしれない人生を想像していたいと思います。

ただ、それでも共通する思いはまたそこにあります。
千葉の海岸で生まれ育った今生の私も**、木曽の山々に囲まれて育った私も、同じように山を駈けめぐる人生を送るのだとしたら、それもまた人生の綾なのかもしれません。
**
http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2017/03/06/204417
不思議なことに、骨折の影響でこの数ヶ月トレイルランニングをしない人生を送っていてなお、自分がトレイルランナーであるとの思いは消えないのです。
もしかしたら、私は私がトレイルランナーであることだけは惑わずにいていいよということなのかもしれませんが、それは本当に不惑になるまではわかりません。
でも、生涯トレイルランナーでありたいなあ。
そんなめんどくさい感傷を覚えた、故地への旅でした。

◇ふと藪原フォトコレクション
日本酒「木曽路」の湯川酒造
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御嶽海
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藪原神社
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彫刻
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百度参りの石
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極楽寺
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念ずれば花開く
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木曽路は雨の中
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木材運びのモーターカー
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木曽川の上流
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伊勢湾に向かって流れる
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タッチ
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