竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

雲を行くー先生と山2017夏2

2017年夏の天狗岳周辺山行の第2段です。
夏沢峠は雲の中で、強い風が吹いていました。

夏沢峠の山小屋2軒の周辺は多くの登山者が休憩していましたが、風を避けられる場所がなく、しばらく進んだ森の中の空地で休憩することにしました。
ここまでよいペースで来ていますが、私はアキレス腱の痛みが気になってしかたありません。
先生のケガは右足首の捻挫でしたが、この時点では大丈夫のようでした。

少し休んだ後、雨具を引っかけて歩き出します。
雨は降っていませんが、完全に雲の中なので、薄い霧の中を進むような感じになります。
うっすらではあるものの確実に体が湿っていくため、安心のための雨具着用です。
今日の宿泊先の根石岳山荘までは1時間ちょっとなので、着ない選択肢もありましたが、用心に越したことはないと判断しました。
こういう判断はトレランレースでも普段の山行でも難しいものですが、ひとつの考え方として、安全原則に準じれば大きな間違いにはならないということが言えます。
この場合は、外から体を濡らすリスクを避けることを優先にしました。

歩き出してしばらくは、森に囲まれた稜線を行きます。
雲の中で視界は悪いのですが、前がまったく見えないということはなく、数十mの見通しは確保できていたと思います。
森を歩いていると、この辺りでも縞枯現象が起きていることがわかります。
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どうやら縞枯山の専売特許ではなく、北八ヶ岳エリアによく見られる現象のようです。
ただ、縞枯た木々の手前に生えたシラビソの若木を見ていると、これも世代交代のひとつの方法なのかなとも思います。
ちなみに、シラビソの若葉の若芽はカプセルで守られています。
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ちょっと過保護かなとは思いますが、強風と低温から身を守る知恵なのかもしれません。

夏沢峠から稜線の森を1時間ほどで、箕冠山に到着します。
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箕冠山は森の中で見通しがほとんど効かず、ピークというよりは峠のような雰囲気でした。
ここから根石岳山荘までは目と鼻の先ですが、下りに入ると森がなくなり、岩場歩きに変わります。
木々で守られていないので、強い西風が直接吹き付けてきます。
風というよりは雲が吹き付けてくるイメージでしょうか。
風雲急を告げるとか風雲児とか言いますが、この場所では風=雲であることがよくわかります。
手にしたストックがみるみる結露していきます。
10分ほど下って、根石岳山荘に到着しました。
山荘前にはコマクサの大群落があります。
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クローズアップした二株です。
先生から教わったところによると、このコマクサは高嶺の花の「花」のモデルで、高山植物の女王とも呼ばれているとのことでした。
そのコマクサが、1面に点々と咲き誇っている光景は壮観でした。
女王というだけあり、吹き付ける雲をどっしりと受け止めていました。
強いから女王なのです。
澤穂希吉田沙保里が女王であるように。

根石岳山荘は定員60名に対して30名強の宿泊客でしたでしょうか。
混んでもなく寂しくもなく、ちょうどいい感じでした。
懸案のお風呂は入れ替え制で、グループごとに入るシステムでした。
3人が余裕で入れるくらいの湯船がどーんとあるだけですが、2,500m級の稜線で入るお風呂は、標高的な意味では人生最高ですが、忘れられない一っ風呂になったことは言うまでもありません。
外は雲なので窓からは何も見えませんが、それもまた一興、西向きなので夕日が見えるときにもまた一興なのでしょう。
雲のなかの山小屋。
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窓からの景色もまた雲。
今ふと思うのは、この根石岳山荘もまた、コマクサと同じ強さを持つ小屋なのかもしれないと思います。
コマクサが高山植物の女王に君臨しているのは、他の高山植物が、高山の環境に耐えることのできる他の高山植物ですら、生えることのできない荒れ地にで生きることができる強さゆえです。
その女王と共に根付く根石岳山荘は、山小屋の女王といってよいと思います。
消灯は20時、翌日に備えて眠りにつきます。
女王陛下の庇護の下、登山者たちは雲の夢を見るとか見ないとか。

雲に登るー先生と山2017夏1

7月16,17日に八ヶ岳天狗岳に登ってきました。
入山と下山は、稲子湯から少し登ったみどり池入口登山口です。
初日はみどり池から本沢温泉、夏沢峠、箕冠山を経由して根石岳山荘に泊まりました。
2日目は根石岳から東天狗に登頂した後、中山峠からにゅうを経て、シャクナゲ尾根経由で下山しました。
同行者は仕事で知り合った先生です。
先生とは7年来の付き合いになりますが、ここ2,3年、夏と冬に1度ずつのペースで山行しています。
天狗岳には昨年の夏に唐沢鉱泉発着の日帰り山行をしましたが、今回は八ヶ岳を挟んで反対側の稲子湯近辺を起終点としました。
元々は権現岳~赤岳の縦走を計画していましたが、二人とも足にケガを抱えてしまい、やむなく難所を避けるルートを取りました。
ヘルメットも買って準備播但線じゃなくて万端でしたが、足元の不安には役立ちません。
安全第一ケガしない、この日もこの方針で行くことになります。
この方針はいかなるときでも必須のはずですが、ほとんどの場合、最初のケガをしてから意識し出すもので、なんだか後の祭り感が半端ないのです。
それもまた人生、とは言い過ぎであるものの、よくある話ではありますが、意識しないよりはましです。
安全第一で歩き、ケガしないで帰ってきたいと思います。

みどり池入り口登山口の駐車場に着いたのは、8:30前でした。
駐車場は既に一杯に見えましたが、なんとかスペースを見つけて止めることができました。
登山口は林道のゲートです。
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8:45頃に出発しました。
みどり池までは、シラビソの森のなかをなだらかに登っていきます。
かつて木材の搬出に使っていたレールが、今も残っています。
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森は大木が多く、立派なシダもたくさん生えていましたが、今回の山行で一番気に入ったのがシラビソの若葉でした。
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枝の先にちょこんと伸びた葉の黄緑の色彩が、何とも言えずによいのです。
新緑の季節なのか、そこかしこのシラビソの葉が黄緑に浮かび上がって、森のなかが明るく感じられます。

登山口から1時間30分ほどでみどり池にたどり着きました。
ほとりのしらびそ小屋で、まとまった休憩をとります。
この日は曇っていましたが、みどり池からは翌日登る天狗岳の全容を見ることができました。
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また、みどり池と言えば逆さ天狗です。
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曇天のせいか、池に映る天狗ははっきりしていますが、本体の方がパキッと写りません。
山の上を見ていると、天狗の奥からどんどん雲が流れてきているのがわかりました。
稜線は風が強いようです。
天気を気にしながら出発します。

しらびそ小屋からは本沢温泉に進路をとりました。
20分弱歩くと、湿地帯にお花畑が現れました。
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クリンソウの群落です。
花の名前は先生に教わりました。
先の美ヶ原トレイルランのレポートで、よく見るけど名前を知らない花、というような紹介をしたのがこの花です。
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元・よく見るけど名前を知らない花。
FTR関連で秩父に行くと『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』というアニメの看板をよく見かけましたが、よく見るけど名前を知らない花を見るたびに思い出します。
今年は『心が叫びたがってるんだ』の看板に出会うのでしょうね。
余談でした。
ちなみに先生は、クリンソウの群落を見て「お花畑
というよりワサビ田みたいだなぁ」と言っていましたが、言い得て妙だと思います。
先生は写真がお好きで、一緒の山行では花や景色の写真をたくさん撮って、後でデータをまとめて送ってくれます。
まめで親切な方です。

クリンソウの群落があった橋から本沢温泉までは、起伏の少ない森の中を歩きます。
このエリアで、トランスジャパンアルプスレース(TJAR)のトレーニングをしている方とすれ違いました。
TJAR2016の選手だった方で、マウンテンスポーツネットワーク(MtSN)の記事で顔と名前を覚えていました。
私たちの姿を見ると走るのを止めて、私たちが立ち去ってから走り出す、トレイルランナーの理想的なハイカーとのすれ違い方を見せてくれました。
紳士です。
もしTJAR2018に参加されるのなら、一番に応援したいと思います。
やがて、大きな下りを下りきると林道に出ます。
ここにもクリンソウのワサビ田があり、目を楽しませてくれます。
やがて林道を詰めきると、本沢温泉に到着します。
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12時前にたどり着きましたが、ここで昼食をとりました。
硫黄岳の爆裂火口を雲がはい上っていきます。
稜線方向はやはり強い風で、ガスがどんどん濃くなって行きます。
コンビニおにぎりとガスストーブで沸かした紅茶で軽く昼食を済ませて、出発したのは12時半過ぎだったでしょうか。
天候が心配だったので、早めに動き出すことにしました。

本沢温泉から夏沢峠に登る道は、これまでの緩やかの登りとは違い、急な傾斜が含まれていました。
私はここで左アキレス腱の痛みが再発してしまいました。
むしろ、美ヶ原のレース中より痛いかも。
この後は痛みを抱えながら進むこととなりました。
どうも登り坂のアキレス腱を伸ばす動作と、着地時の左右のブレがよくないようでした。
極力刺激のないように歩きはしますが、アキレス腱てのはそれを動かさないと歩けないため、刺激を絶無にすることはできないのです。
今、改めて山と高原地図を見返していますが、本沢温泉までの等高線の間隔と、本沢温泉からのそれとは、随分と差があります。
急登と言えるかは微妙ですが、アキレス腱の使い方≒動かす範囲に大きな変化が起きて、ケガに影響が出るだろうことはなんとなくわかりました。
膝のケガは下りの痛みに繋がりますが、アキレス腱のケガは登りで痛み出す。
今後のために覚えておこうと思います。
1時間ほど痛みにこっそり顔をしかめながら登ると、夏沢峠に到着しました。
予想していた通りの強風で、見事に雲の中でした。
こういう天候でなければ、本沢温泉の日本最高地点の露天風呂につかってもよかったのですが、この日は先を急いで正解でした。
それに、宿泊先の根石岳山荘にもお風呂はあります。
欲張って2回入る必要はないのです。
ここからは、雲のなかを歩きます。

懐かしい痛みよー故障の記憶

美ヶ原トレイルラン2017のレース中から痛みだした左アキレス腱ですが、3週間経過した今も回復していません。
また、菅平で転んで強打した右膝周囲の発作的痛みも、相変わらず出てきます。
その間に安静にしていなかったということが一番悪いのですが、しばらくはレースもないため、ランニングや山行を控えたり、苦手なストレッチに励んだり、セルフケアに勤しみたいと思います。

このアキレス腱炎という故障を抱えるのはずいぶん久しぶりで、前回は20年以上前にもなります。
当時は高校生でバドミントンをしていたのですが、左右両方に発症してしまい、2ヶ月くらいは脚を使った練習ができませんでした。
そういえば、あのときもやはり7月に症状が出始めました。
期末試験前の練習で痛め、試験休みを過ぎても回復せず、夏休みの練習を棒に振ったのです。

今回は左だけですが、その時と全く同じ痛み方をしています。
左右のアキレス腱に触れてみると、左が右の1.5倍くらいに腫れているのがわかります。
往時よりはましでしょうか。
発症時にさほど慌てなかったのは、懐かしい勝手知ったる故障だったからでした。
久しぶりだね、会いたくなかったけどね。
くらいの心持ちで、とりあえず受け入れることができましたが、長い付き合いになることは覚悟しなければなりません。

よくよく思い返してみると、高校生の私は若いなりに苦しんでいたなと思います。
アキレス腱を痛める半年ほど前の冬に肘を痛めてしまい、ラケットを使った練習ができなかった私は、冬の間に脚力の強化ばかりやっていました。
たぶんその時の疲れや無理が足腰に溜まっていて、夏を前にしてツケを払わされたのだと思います。
もともと5kmくらいの道のりを自転車通学していたのですが、痛みがひどいためバスを乗り継いで通う羽目になりました。
夏休みのハードな練習もすべてはこなせず、不全感で悶々としていました。
それどころか、この先バドミントンができなくなってしまうという不安や恐怖、挫折感、あきらめ、自責の念、罪悪感、自嘲…。
こうしたあらゆる黒々とした気持ちを、大量に抱え込んでいました。
このときの苦しみは強烈で、痛いからできない、が、できないからやりたくない、に簡単に変わってしまいました。
故障が明けても、プレー自体を楽しめなくなった私は、大学に入ると競技としてのバドミントンからは離れました。
今でもバドミントンは好きなのですが、当時の強度でプレーしたいかと問われれば、したくない、とはっきり答えると思います。

こう振り返れば苦しみと苦味だけしかないような思い出なのですが、悪いことばかりでもないと今では思うことができます。
当時色々な医師や鍼灸師に診てもらった経験は、自分の身体の見方を覚えるという意味で、少なからず今の私の糧になっています。
私自身の黒々とした気持ちにあれだけまとまって向き合わされたのも、たぶん何かの役に立ってきたと思います。
何よりも、年をとって同じ故障を抱えても、大して落ち込まずにすんでいます。

私は本来、経験すべてが尊いとは単純に考えておらず、むしろ、人生を決定的に傷つけるような経験などはこの世から無くなれ、ぐらいの考えの持ち主です。
「これも経験だから」「いい経験になるよ」などといった、物のわかったような言葉に附随する苦しみを、受け入れなければならない理由などどこにもないのです。
私の経験は私のものでしかなく、他人があらかじめ評価して与えるような筋合いのものではないのです。
それを踏まえても私は、あのひどく苦しかった時期と同じ痛みを抱えている現在を、淡々と受け止めています。
あの時の黒々とした気持ちを、同じ痛みを抱えている今、感じることはありません。
20年以上余計に生きてきて、私が、一言で言えば鈍感になっていて、それに希望を交えた解釈をすれば、図太くなっているのだと思います。
でもそれは、私の経験に対する私の評価です。
誰もが同様の痛みや苦しみを経験するべきだ、とはみじんも思っていません。
本当は痛くて苦しい経験なんて、しないに越したことはないのです。

まあ、とりあえず早く治ればいいのですが、あのときの私から20年以上余計に生きてきた分、治りも遅くなっています。
そして、もしこれから黒々とした気持ちがわいてきてしまったとしたら、故障が明けたときに自分がトレイルランニングを嫌いになっていない保証はないのです。
でも、それは治ってから心配すればよいのです。
まずは図太く待つのみです。
そして、私が山を嫌いになる保証も一切ないのです。
図太いなあ、私。