竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

懐かしい痛みよー故障の記憶

美ヶ原トレイルラン2017のレース中から痛みだした左アキレス腱ですが、3週間経過した今も回復していません。
また、菅平で転んで強打した右膝周囲の発作的痛みも、相変わらず出てきます。
その間に安静にしていなかったということが一番悪いのですが、しばらくはレースもないため、ランニングや山行を控えたり、苦手なストレッチに励んだり、セルフケアに勤しみたいと思います。

このアキレス腱炎という故障を抱えるのはずいぶん久しぶりで、前回は20年以上前にもなります。
当時は高校生でバドミントンをしていたのですが、左右両方に発症してしまい、2ヶ月くらいは脚を使った練習ができませんでした。
そういえば、あのときもやはり7月に症状が出始めました。
期末試験前の練習で痛め、試験休みを過ぎても回復せず、夏休みの練習を棒に振ったのです。

今回は左だけですが、その時と全く同じ痛み方をしています。
左右のアキレス腱に触れてみると、左が右の1.5倍くらいに腫れているのがわかります。
往時よりはましでしょうか。
発症時にさほど慌てなかったのは、懐かしい勝手知ったる故障だったからでした。
久しぶりだね、会いたくなかったけどね。
くらいの心持ちで、とりあえず受け入れることができましたが、長い付き合いになることは覚悟しなければなりません。

よくよく思い返してみると、高校生の私は若いなりに苦しんでいたなと思います。
アキレス腱を痛める半年ほど前の冬に肘を痛めてしまい、ラケットを使った練習ができなかった私は、冬の間に脚力の強化ばかりやっていました。
たぶんその時の疲れや無理が足腰に溜まっていて、夏を前にしてツケを払わされたのだと思います。
もともと5kmくらいの道のりを自転車通学していたのですが、痛みがひどいためバスを乗り継いで通う羽目になりました。
夏休みのハードな練習もすべてはこなせず、不全感で悶々としていました。
それどころか、この先バドミントンができなくなってしまうという不安や恐怖、挫折感、あきらめ、自責の念、罪悪感、自嘲…。
こうしたあらゆる黒々とした気持ちを、大量に抱え込んでいました。
このときの苦しみは強烈で、痛いからできない、が、できないからやりたくない、に簡単に変わってしまいました。
故障が明けても、プレー自体を楽しめなくなった私は、大学に入ると競技としてのバドミントンからは離れました。
今でもバドミントンは好きなのですが、当時の強度でプレーしたいかと問われれば、したくない、とはっきり答えると思います。

こう振り返れば苦しみと苦味だけしかないような思い出なのですが、悪いことばかりでもないと今では思うことができます。
当時色々な医師や鍼灸師に診てもらった経験は、自分の身体の見方を覚えるという意味で、少なからず今の私の糧になっています。
私自身の黒々とした気持ちにあれだけまとまって向き合わされたのも、たぶん何かの役に立ってきたと思います。
何よりも、年をとって同じ故障を抱えても、大して落ち込まずにすんでいます。

私は本来、経験すべてが尊いとは単純に考えておらず、むしろ、人生を決定的に傷つけるような経験などはこの世から無くなれ、ぐらいの考えの持ち主です。
「これも経験だから」「いい経験になるよ」などといった、物のわかったような言葉に附随する苦しみを、受け入れなければならない理由などどこにもないのです。
私の経験は私のものでしかなく、他人があらかじめ評価して与えるような筋合いのものではないのです。
それを踏まえても私は、あのひどく苦しかった時期と同じ痛みを抱えている現在を、淡々と受け止めています。
あの時の黒々とした気持ちを、同じ痛みを抱えている今、感じることはありません。
20年以上余計に生きてきて、私が、一言で言えば鈍感になっていて、それに希望を交えた解釈をすれば、図太くなっているのだと思います。
でもそれは、私の経験に対する私の評価です。
誰もが同様の痛みや苦しみを経験するべきだ、とはみじんも思っていません。
本当は痛くて苦しい経験なんて、しないに越したことはないのです。

まあ、とりあえず早く治ればいいのですが、あのときの私から20年以上余計に生きてきた分、治りも遅くなっています。
そして、もしこれから黒々とした気持ちがわいてきてしまったとしたら、故障が明けたときに自分がトレイルランニングを嫌いになっていない保証はないのです。
でも、それは治ってから心配すればよいのです。
まずは図太く待つのみです。
そして、私が山を嫌いになる保証も一切ないのです。
図太いなあ、私。

2017年下半期の出場予定

負傷に故障にDNF3回、2017年の上半期はネガティブな事柄だらけなのが振り返るとよくわかるのですが、希望がなくもなかったかとは思います。
今後の出場予定は以下の通りです。

9/3日 千葉市海浜アクアスロン:泳600m・走5km
9/10日 信州戸隠トレイルランレース:50km
9/24日 若狭路トレイルラン:15km
10/14土 東京湾アクアスロン:泳500m・走5km
11/18土 FTR100K:105km

菅平と美ヶ原の2レースに完走できたため、次の戸隠のレースに完走できれば、フィールズが長野で開催する3レース完走者に贈られるビューティフル・トレイルin信州トリプルマスターズの特典が受けられます。
今年の唯一現実的な目標なので、ここまでに足と脚の状態を戻して完走できればと思います。
戸隠のレースは、前に参加した2015年のレースから距離が長くなっているため、その分の覚悟をもって臨みたいです。
若狭路トレイルランには、友人BさんのITRAポイント獲得シリーズに乗っかった形ですが、私の出場する距離は対象外です。
FTRは第1回大会から3年連続3回目の出場です。
今年は足と脚の状態次第で色々考えなければならなそうです。
DNFしかり、DNSとかボランティアにまわるとか、その辺も検討対象に入ってきそうです。
まずは戸隠で、自分がどれだけやれそうか、状態を見極めたいと思います。

アクアスロンは水泳とランニングのデュアスロンですが、昨年初めて参加した東京湾アクアスロンで、その面白さを知りました。
小学生の頃にずっと水泳を習っていた私は、一応の甲斐があって、一通りは泳げるようになりました。
とはいえ中学と高校でバドミントン、大学ではラグビー、社会人になってからはフットサルとランニングに登山というように、水泳で他人と競うことがない人生を歩んできました。
よくよく思い出せば、水泳を習っている頃ですら、大会はおろか記録会にすら参加したことがありませんでした。
小学生の私は既に一人前のめんどくさがりで、レッスンの日以外にプールに行くのが面倒だったのです。
そんなものなので、昨年の東京湾アクアスロンが私にとって初の水泳の競技経験となりましたが、会場の稲毛の浜は私の故郷ということもあり、かなりお気楽に出場しました。
最初に海を500mを泳ぎますが、水泳は男子の出場44選手中36位でした。
ラン5kmでは順位を上げて男子全体の15位でフィニッシュしたものの、途中でコースミスしてしまったため、本当は失格です。
故郷の海でしょっぱいデビューとなりましたが、楽しかったことは楽しかったので、今年は出場数を増やしました。

今年初出場の千葉市海浜アクアスロンは、稲毛の浜に隣接する稲毛海浜公園にある市民プールが会場になります。
水泳はオープンウォーターではなく「流れるプール」を2周するコースですが、このプールも昔よく遊んでいた場所です。
稲毛の浜や稲毛海浜公園に付く「稲毛」というのは埋め立て前の歴史的な地名で、現在は浜もプールも「高浜」という町にあり、この高浜で私は生まれ育ちました。
なので、今年出場するアクアスロンの2戦を、勝手に高浜アクアスロンシリーズと命名して、故郷を堪能したいと思います。

f:id:CHIKUSENDO:20170722112536j:plain

新装備のトライスーツ。
高浜アクアスロンシリーズでデビューです。
私の両親は現在住んでいないため、私が故郷を訪れる機会は、この高浜アクアスロンシリーズ以外にはほとんどありません。
ノスタルジーは最強の感情だと常々私は思っていますが、この機会に満たしておきたいと思います。

余韻ー美ヶ原トレイルラン2017余録3

私は美ヶ原トレイルランでは後泊するのを恒例にしていますが、朝が弱いために早朝散歩をしたことがありませんでした。
しかし、今回は落としてしまった手袋を探すために、初めてレース翌朝の会場を歩くことになりました。

f:id:CHIKUSENDO:20170718122614j:plain

テーブルの周りに椅子が積み上げられています。
昨夜のにぎわいは今いずこといった感じです。
私はこうした祭りのあとの風景に漂う寂しさに、なぜだか心をひかれます。
終わった寂しさの向こうに、何かがまた始まる楽しさの芽があるようにも思っています。
始まったら終わりますが、終わったら始まります。

昨年の美ヶ原の次のレースは、UTMF2016でした。
初の100マイルレース挑戦だったため、美ヶ原のすぐ翌週からトレーニング山行を始めました。
7,8月の毎週末、9月になってもレースの2週前までは毎週、どこかの山で走り込むといった夏を過ごしていました。
終わったと思う間もなく、始まっていたのです。
今年は、まだ次が始まっていないところが、昨年と大きく違うところです。
足と脚の故障を抱えてしまったので、負荷がかかるようなことはせずに、余韻に浸りながら夏を過ごす計画を立てたいと思います。
とか言いながら先の海の日がらみの日月、八ヶ岳天狗岳に歩きで山行してきました。
下山してから故障の痛みを噛み締めているところなのですが、それはまた別の機会に。

余韻に浸ると言えば、南の耳のことが気になります。
今年のレースでは行くことがありませんでしたが、いつかの週末や三連休などで行ってみてもいいのかもしれません。
3回出場した美ヶ原トレイルランの記憶に、あのピーク周辺の景色が、なぜだか強く残っているのです。
南の耳は正確には「美ヶ原」にはなく、霧ヶ峰とか車山高原の奥に続く草原地帯にあります。
しかし、草原地帯の柔らかで穏やかな緑と、足下の硬くゴツゴツとした岩の感触が、私にとっての美ヶ原トレイルランの象徴となっています。
たぶん、象徴であるこの場所に来なければ終わらない、そうどこかで思っているのかも知れません。

「もう終わっちゃうね」
美ヶ原トレイルラン2016の終盤、南の耳でおしゃべりを交わした方の言葉でした。
そして、もしかしたら、私にとっての美ヶ原トレイルランの終わりは、フィニッシュゲートではなく、南の耳から見える景色なのかもしれません。
だから、今年の美ヶ原トレイルランはまだ終わってないとも言えます。
「でもまた始まるね」
フィニッシュ後に、私はそう思いました。
終われば始まります。
その感慨を私は忘れることができません*。

http://chikusendobo.hatenadiary.jp/entry/2016/12/31/163615

今年はどうだったかなと、今思い返しています。
終わらなければ始まらないけど、終わらないものは終わらないのです。
そして、終わらないなら終わらないまま、それはそれでよいのです。
余韻にひたりながら、足と脚の回復に努める夏にしたいなと思います。