竹仙坊日月抄

トレイルランニング中心の山行記やレース記、その他雑感が主です。藤沢周平が好きです。

残り9km通りゃんせー奥三河パワートレイル2017レポート3

三河パワートレイル2017のレポート第3段です。
A3小松を出てから右脚に痛みが出てしまい、なんとか39km付近の公認私設エイドにたどり着きました。
ここでリタイアするかどうか、エイドの陰で一人悩みます。
正確にはおぼえてませんが、時間にはまだ余裕がありました。
残り9kmを歩き通しても、A4の関門時刻には間に合うような時間でした。
問題は右脚のトラブルです。
登り坂は大丈夫なのですが、下りやフラットでふくらはぎの上側に強い痛みが出てしまい、まったく走れないのです。
右膝周りの筋肉が硬くなっています。
この先恐らく走れないままでフィニッシュできる時間はあるかというと、かすかに望みはありました。
残り30kmで6時間40分を残しており、急いで歩けばなんとかなるレベルでした。
右脚以外の体調は最近のレースで一番なくらいに良く、とても元気な日でした。
元気な分だけ、岩古谷山に登ってみたい、そして、もっと長く山に浸っていたい、そんな気持ちがとても強かったのです。
まあ、ここも収容が簡単ではなさそうだし、リタイアするにしてもA4だ、と脳内会議が結論を出し、12:50過ぎに私設エイドを後にしました。

岩古谷山への登山道は東海自然歩道となっており、よく整備されていました。
コースはすぐに、「十三曲り」というスイッチバックを登ります。
この十三曲り、全ての曲り角に「○曲り」という標識が立ててあり、些細なことですが数えているうちに楽しくなってきました。
また、登りは痛みがないので気持ちよく進むことができます。
最後の「十三曲り」の標識をポンとなでてから少し進むと、稜線歩きが始まります。
高低図を見ると、この岩古谷山から鞍掛山に至る稜線はアップダウンが激しく、レース前から難所として話題に上ることの多かった区間でした。
ここは前評判どおりのギザギザ感で、激しく登って急に下るような山道を進んでいきます。
岩古谷山山頂近くの鉄梯子や鉄階段が続く辺りの難所は、何かのアトラクションみたいに楽しめるのですが、ペースは上げられないのでタイムを稼ぐことはできません。
稜線上は眺望のきく場所が多く、晴れて風の強い日だったこともあり、とても良い眺めでした。
やっぱり進んで来てよかったな、と心から思いました。
岩古谷山から見た奥三河の山々には、低めではあるものの急峻な印象を受けました。
これから先も急なのかなと、少々身が引き締まる思いもしました。
今となっては後悔してますが、このA3~A4間では写真を一枚も撮りませんでした。
タイムを気にしていたというのもありますが、この日は本当に体調がよかったため、止まらないでずっと進んでいたい気持ちが強かったのです。
一歩一歩前に進んでいるだけなのに、楽しくて仕方なかったのです。
それでも一枚くらいは撮ればよかったのにな、と、リタイアした今となっては悔やまれます。
本当にいい景色でした。

岩古谷山を過ぎて、鞍掛山に向かう途中のけっこうな下り坂に差し掛かりました。
ここで右膝周りがヤバイことになっているのを、再度思い知らされました。
登りでは痛みが出ないのでつい忘れていたのですが、下りではやはり強い痛みが出ます。
また登り返してサクサク歩けても、下りではヨチヨチ歩きで進まざるを得ません。
登りはよいよい下りは痛い、痛いながらも通りゃんせ通りゃんせ…。
登りで時間的余裕を作るつもりが、さほど作れなかったので、下りも急がなくてはならないのですが、無理でした。
その後も変則通りゃんせを繰り返した後、45km地点付近で9割がた、リタイアの意志を固めました。

コースは45kmを過ぎてからも、鞍掛山にはなかなかたどり着きません。
有名な話だそうですが、岩古谷山から鞍掛山の間には偽ピークが山ほどあります。
炭鉱節なら一山、二山、三山越えたら、あヨイヨイ♪ですが、鞍掛山にはもう二山ほど越えなければたどり着きません。
偽ピークを越えるたびに残り時間がなくなっていきます。
このときは、スタートから8時間ほど経過していました。
私設エイドからの6km弱を1時間40分ほどで進んで来ていて、約3km先のA4の関門時間がスタートから9時間後なので、まだ余裕はあります。
リタイアの決意が9割なのは、A4四谷千枚田への到着時間が8時間30分を切っていたら先に進んでもよいのではないか、という往生際の悪い1割の思いがまだあったからです。
思い返せば冷静さを欠いていると言わざるをえませんが、痛みよりも進んでいる気持ちよさが勝っていて、どうにも諦めがつかないのです。
ただ、いくつも偽ピークを越えているうちに時間の余裕は確実になくなっていきました。

結局、鞍掛山の本物のピークに立てたのは8時間10分少し前で、A4への2kmほどを20分以内で下らなければならなくなりました。
下り始めてすぐ、急ぐどころかゆっくり歩くことすら危うい痛みを覚え、一気に気力がしぼみました。
その先は「やめるよ。やめるよ。絶対やめるよ」と自分に言い聞かせながら、ゆっくりゆっくり下りました。
途中でスタートから8時間30分が経過し、いよいよもう終わらせるんだと覚悟を決めました。
山中で沢の水を飲んだり、食べかけのジェルを食べたり、身の回りを片付けてゆっくり歩きました。
山を抜けると、棚田が一望できる広場が見えてきます。
A4四谷千枚田です。
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エイドスタッフが用意してくれたかぶり水でしっかりと頭を冷やして、エイドインしたのがスタートから8時間43分53秒後、関門時間の16分前でした。
まだ時間はありますが、右膝はもう完全に終わっています。
かすかな未練を絶ちきるため、デスクに直行してリタイアを申告しました。
ちょっとだけ間に合いましたが、最後までは行けませんでした。

さて、この岩古谷山から鞍掛山へ向かう山中では、多くの方々に応援してもらいました。
難所である山頂近くまでわざわざ登ってきて応援してくれていた方も、さりげなく声援してくれたハイカーの方々も、そして「ナイスラン!」とかハイタッチとか、山中でも熱く応援してくれていた田口高校陸上部の皆さんも。
とても嬉しかったですし、励みになりました。
ありがたいことです。
今度は私がどこかで、彼らの力になれたらいいなと思っています。

山はジェットコースターな2kmー奥三河パワートレイルレポート2

三河パワートレイル2017のレポート第2段です。
A3小松でトイレと水の補給を済ませて、五平餅と甘酒に舌鼓を打ちました。
蓬莱泉の甘酒はさっぱりしていて飲みやすく美味しかったです。
豊橋でも売ってたので、買って帰ればよかったなと軽く後悔してます。
そうこうしているうちに、スタートから5時間30分経過して12:00ちょうどになりました。
出発のときです。
リタイアする友人Dさんとその友人をA3小松に残して行きます。
A3まではDさんとの同行二人でしたが、ここからは一人です。
でも思い起こせば、石川弘樹さんと一緒でした。
何言ってるんだあんたと思う人も多いでしょうが、正確には石川さんのTシャツの切れはしと一緒でした。
Tシャツの切れはしについても、出場していない人にはなんのことやらだと思いますので補足します。
A3小松でボランティアの方々が、石川さんのTシャツの切れはしを御守りとして加工したものを、選手のリュックに結わえ付けてくれていたのです。
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左肩に結ばれている御守りとなった青い布切れ by Patagonia とともに、岩古谷山に向かう山道に入りました。

A3を出て岩古谷山へ向かう最初の登り坂は、斜度は急なものの、森のなかに入るので気持ちよく歩くことができました。
この森の涼しさで、林道やロードでさんざん太陽に焼かれた身体が癒されました。
本当に気持ちよくなってきました。
歩いている途中「パコッ、パコッ」という音が何度も聞こえる場所がありました。
音の正体がわからず不思議だったのですが、恐らくキツツキだったのでしょうか。
とにかくそうした自然の音も感じることができて、1kmほどだと思いますが、最初の登りを気持ちよく登りきりました。
行けるよこれ!と、頭のなかでスイッチが入りました。
登り坂の終点の林道沿いには、また熱い応援が待っていました。
スイッチが入った身体に、より力が入ります。

しかし、登りきった直後にいったん出たフラットな林道を走り出したとき、異変が起こりました。
右ふくらはぎの上側に、刺すような痛みが走ったのです。
痛みは右足が着地するごとに起き、歩くと軽減されますが、うっすらと残ります。
林道はすぐに終わり、下りの山道に入ると、痛みが強くなりました。
また、右膝周辺にもこわばりを感じるようになり、力が入りにくくなってきました。
揉みほぐしてなんとかならないかと思い、コース脇によけてマッサージしましたが、下りだしてすぐに痛みが走ります。
マッサージでなんとかなるような痛みではなさそうです。
元々左膝の打撲からの快復途上だったのですが、右膝にも疲れがたまっていたのかもしれません。
左をかばううちに右に負担がかかってしまい、そのツケが痛みとなって出てきたのでしょう。
あるあるネタを超えて、古典的王道感のある故障の重ね方で、今後のことを考えてもヤバイ状況です。
ここからの頭のなかは、ヤバイな~ヤバイな~痛いよ痛いよ、ところでこのネタ稲川淳二だっけ出川哲朗だっけ、どっちだっけ痛い痛い、みたいな、恐ろしく混乱した状態でした。
トレラン中に稲川と出川の区別が付かなくともさほど問題ない、ということに気がついたのはレースが終わってからでした。

ここの下りトレイルは途中で舗装林道と交差するのですが、そこにスタッフとリタイア者らしいランナーがいました。
もうここでやめようとも思ったのですが、先客もいるのと山中で収容が難しそうだったため、人里まで下りてから考えることにしました。
痛いとはいえ、まだ時間には余裕があったのです。
下りきってじっくりマッサージすれば治るかも、一縷の望みがまだありました。
1km弱、歩きよりも少し速いかもしれないくらいのスピードで下りきりました。

下りが終わっていったん人里に出ると、公認の私設エイドが現れました。
39km過ぎだったと思います。
ここまでの2kmはまるでジェットコースターのようでした。
登りは楽しく過ごせたのに、下りに入ったら苦しみを抱きしめまくりでした。
痛いよ~痛いよ~と、稲川だか出川だか色々と出てきて大混乱です。
山は♪、じゃなくて、~~は♪ジェットコースター♪な彼らの1人と実は同い年だったりする私なのですが、そんな爽やかさとは無縁です。
痛いよ~ヤバイよ~。

ともあれ、この私設エイドではレモン水のようなものを振る舞ってくれて、これがまた良かったです。
本当にこういう心遣いがありがたく感じられるから、トレランレースはやめられないのかもしれません。
応援自体を目的として走っているわけではない私ですら、このレースのホスピタリティには参ってしまいます。
ここで英気は養えました。
リタイアについてはすぐに決断せずに、少しここで考えることにしました。
行けるのか行けないのか、行きたいのか行きたくないのか、考えることは山ほどあります。
とりあえず日陰に入り、稲川だか出川だかな頭で考えます。
どうしようかなどうしようかな…。

おしゃべりな37kmー奥三河パワートレイル2017レポート1

4月30日に開催された奥三河パワートレイル2017に出走し、48km過ぎのA4四谷千枚田でリタイアしました。
右ふくらはぎの上側に刺すような痛みが出て、下りはおろか平坦地でも走れなくなったため、大事を取りました。
元々左膝に故障を抱えていたのですが、恐らくそれをかばった右脚に負担がかかり、右膝周りに破綻が来たのだと思います。
リタイアは残念ですが、意外と淡々とした気持ちでいます。
というのも、レースそのものはかつてないくらい快調に過ごすことができていたので、全体として不満よりも満足感のほうが強いのです。

今回のレースには友人Aさんと同宿で参加しましたが、他にも友人Dさんが夫妻で参加していました。
Aさんとはスタート前に別れて、ゆるゆるとスタートしました。
スタート直後の眺望のよいところで雲海の写真を撮っていたら、後ろから出発したDさんに見つかり、その後A3までの道中を一緒に走りました。
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はからずも同行二人です。
Aさんもそうですが、Dさんも純粋なトレラン仲間ではありません。
元々の仲間がトレラン仲間にもなったという間柄です。
そのため共通の話題が多く、A3までの37kmのうち30kmくらいはおしゃべりしながら走ったり歩いたりしていたように思います。
まあ、ほぼ私がしゃべっていたのだろうとは思われますが…。
そんな状況だったため、この間コースのことは、記録はおろか、記憶もあやしく、あまつさえ、おしゃべりの内容すらほぼ覚えていません。
写真はこの一枚だけ。
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でも、なんか楽しかったなと、思い出すたびに思うのです。

ただし、おしゃべりの効用はしっかりと感じることができました。
一番の効用は、インスリンショックの際、気力を保てたことでした。
エイドで食べ過ぎるトレイルランナーである私は、12km過ぎのA1で出てきた「からすみ」という小麦粉を練ったお菓子が気に入ってしまって、ついつい4つも食べてしまいました。
オススメは黒糖です。
そんだけ食べたら当然のごとく、その後の登り坂の途中でインスリンショックがやって来て、猛烈な眠気に襲われました。
私にとってインスリンショックは、トレランに限らず日常生活でもよく遭遇する症状なので慣れてはいますが、辛いものは辛いのです。
症状が出ると、ロングトレイルのときは特に、コースをそれて休むことが大半です。
座り込まないまでも、木に寄りかかって目をつぶるのがいつものやり方でした。
ただ今回はDさんがいるので、どうにか眠気をがまんしながら、そして何かどうでもいいことを話しながら、休まずに乗り切ることができました。
Dさんも言っていましたが、誰かと話しながら行くと一人で黙々と走るよりも楽だとはよく言われることです。
それは私にとっても心身双方において当てはまります。
本当に助かりました。

さて、この日は気温が高く、特に標高をぐんぐん下げてゆくW1からA3までの区間は非常に辛いものがありました。
W1では青汁味のMAGMAと水、A2ではミニトマトのみ食べてすぐに出てしまったのですが、もうちょっと息を整えて、ペース配分の作戦をしっかり立ててから走り出せばよかったなと今にして思います。
25km過ぎのA2からは川沿いの林道なので川の音が気持ちよく感じもしたのですが、木がなくて日射しのきついエリアだと、標高の低さも加わって一気に体感温度が上がります。
暑さに弱いトレイルランナーである私は、「暑いよ~」と何度口にしたかわからないくらいボヤキながら、ペースを緩めて下って行きます。
この暑さに、2015年の比叡山インターナショナルでリタイアした時の記憶がよみがえります。
その時はDさんと一緒に走っていたわけではないのですが、先にリタイアしたDさんがくれた、ビール飲んでお風呂に入ってるという連絡を見て、私も人生初リタイアを決断したということがありました。
その後、延暦寺の会場に戻る途中に、八瀬のケーブルカーで出会った応援者の方が、小さなファンタをごちそうしてくれたこと、何だか忘れられません。
あれ以来、小さなファンタを飲んでないような気がします。
余談が過ぎましたが、ファンタはないものの、二人ともリタイアという結果は今回も同じことになるのです。

林道を下りきると、37km過ぎのA3小松までの4~5kmはロードを走ります。
太陽に焼かれながら走るこの区間が、気持ち的には一番きつかった区間です。
このレースは基本的に北から南に向かう設定のため、晴れていれば太陽に吠えろじゃなくて太陽に走れというコースになっています。
少し下ってから赤い大きな橋を渡ると登りになります。
特にこの登りは斜度が微妙で、走れることは走れるのですが、気温によっては走りたくないようなところでした。
それでも地元の方の応援には応えたいので、見えているところだけは走るようにしました。
翌日に宿の風呂で会った同宿の参加者のかたは「神流よりも応援が熱い気がする」とおっしゃってましたが、奥三河パワートレイルの「パワー」には、この熱さも含まれているのかもしれません。
私も応援やエイドのボランティアの熱を強く感じました。
特に田口高校陸上部の皆さんは、灼熱のロードや山中の至るところで熱い応援を繰り広げてました。
おじさんになりかけた年齢のトレイルランナーである私は、こういう若者たちを見るといつも、いつか彼らの誰かと同じ参加者として一緒に山を走れたら面白いだろうなと思うのです。
トレイルランニングはどうしてもお金がかかるため、平均年齢が高いスポーツですが、若者達の参加が増えて老若男女で楽しむのが当たり前になると、これまでとは違った面白い展開が見られるのではないかと思います。
そのためには、世の中のおじさんやおばさんが、若者の所得を上げるためにがんばらないといけないなと思ったりもします。
また余談が過ぎましたが、熱い応援を受けながらも、暑さにやられてトボトボと歩くくらいしかできずに残りのロードを進みました。

A3小松の前では、愛しさと切なさと心強さとじゃなくて、戦隊ヒーローと雑魚キャラの皆さんと鎧武者とがお出迎えをしてくれました。
山里の鎧武者という字面にはそこはかとない八墓村感が漂うのですが、ここの鎧武者は祟るのではなく熱く応援してくれました。
5時間15分程で到着、ここでDさんは先着していたDさんの友人と一緒にリタイアしました。
私はこの時点で既に脚に違和感があったものの、時間には余裕があるのでなんとか行けるだろうと判断し、15分ほど休息をとってスタートから5時間30分が経過する、12時ちょうどに出発することにしました。
Dさんはすきあらばリタイアを勧めてきましたが、いったん行く気になってしまった私はにべもなく断り続けました。
その後A4でリタイアした私が宿に帰ると「だから一緒にリタイアしようって言ったのに!」と笑ってました。
結果的には誘いに乗っても同じでしたが、A3からA4四谷千枚田までの山道は、辛くもありましたが楽しい道のりでもありました。
誘いに乗らなくてよかったなと、行ってよかったのです。
12時ちょうどに出発、おしゃべりばかりの37kmが終わり、11kmの厳しい山道が始まります。